2014.
02.02
Sun
所在地:秋田県仙北市角館町
交 通:JR角館駅~徒歩10分位


 武家屋敷で有名な角館には、生活の基盤を支えていた町人地(外町)もありました。
元和元年(1615)一国一城令が発令され、久保田藩は元和6年に小松山(古城山)北麓にあった角館城を廃城。これを機に、蘆名義勝は山の南麓に御殿を移し、城下町の工事を開始しました。
石垣や堀を建設することが許されなかったため、川を外堀に見立て、山や丘を障壁の役割としました。
 そして、外側を寺町で囲み、外町(町人地)と内町(武家地)の間は、延焼防止のため空地にして土塁を築き、さらに塀で区切って門が設けられていたという事です。


株式会社 安藤醸造 
 角館町下新町27  TEL:0187-53-2008

安藤醸造元
店内奥にある黒漆喰の土蔵(明治17年)の中では味噌汁などの試飲も可能。
安藤家・蔵
安藤家の煉瓦造の蔵座敷(明治24年)では西宮礼和の襖絵が見学可能。
安藤家・蔵座敷
 安藤家は享保からの地主であり、副業として質屋や煙草の卸店、味噌醤油の醸造『丸上安藤屋』としても営業しておりました。
 店内に残る「常陸傳、生醤油」の木製看板は、久保田藩の好みに合うよう常陸(茨城県)まで出向いて研究した事を表しています。 戦後の農地解放後も『株式会社 安藤醸造』として、味噌・醤油の製造が現在も続けられています。
安藤醸造元・蔵
 主屋・土蔵(明治17年)、煉瓦造の蔵座敷(明治24年)の建物は、明治15年(1882)の大火後に建設されたものです。


旧角館製糸工場  田町下丁14-3  
旧角館製糸工場
 太田蔵之助が明治後期に建てたと云われる製糸工場。 角館製糸合資会社(明治31年~明治40年)から、角館製糸所(明治44年~大正7年)として操業した後、太田家は地主となり、建物は農協の倉庫として賃貸されました。
 昭和40年代に道路の拡張工事のため、90度回転して北側の現在地に曳家され、現在も倉庫や車庫として利用。 ※内部非公開   詳しくはコチラを参照⇒【フィデア総合研究所
 
【2011年7月 訪問】


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2013.
03.10
Sun
所在地:秋田県仙北市角館町表町上丁1
建築年: 昭和10年(1935年)
構 造: 木造 一部2階建て
見 学: 9:00~16:30  無料
休 館: 12月~3月、貸切時など    TEL:0187-55-4188
交 通: JR角館駅~徒歩20分

石黒恵1
 この建物は、角館の平福記念美術館の隣にあり、「角館歴史塾」として2010年4月16日から一般公開されています。
武家屋敷・石黒家から歩いてスグの所にあり、江戸時代に分家した石黒家の昭和の建物です。
 建物は、千葉県に転居していた故・石黒 恵(ケイ)氏が、1999年5月に角館町に寄贈。
2009年10月から 5ヶ月の工期と、約 5900万円の予算をかけて修復されました。
外廻りは基礎や土台、屋根等は一新し、外壁等は傷みのない部材の一部を残して新材で修復。
内部は、設備類は新しくなったものの、建材の殆どは当時のままとなっているようです。
石黒恵2
左側に子供部屋。 広縁の奥に座敷がある。
石黒恵3
 先程の表玄関は、江戸時代なら式台のある客・主人用の玄関となる。
こちらは、女・子供・出入り業者が使う日常用の玄関。
昭和になっても、武家屋敷の名残りを感じる。
石黒恵・応接室窓
玄関入って左手にある応接室。 椅子座の形式だが、和風の要素を取り入れている。
石黒恵・座敷
1階の座敷
石黒恵・座敷明取り
座敷の床脇に、一風変わった下地窓を設け、堅苦しさをなくしている。
石黒恵・子供室
玄関入って右手にある子供部屋。 とても大事に育てられたよう。
石黒恵・子供室2
子供部屋の収納と飾り棚
石黒恵・仏間
左: 仏間。 神棚が同じ部屋にある事は珍しくない。 
右: 明り取りを設けるだけで床の間に光が入る。
石黒恵・浴室茶の間
左: 茶の間。 小さなガラス戸は、台所への受け渡し口。
右: 浴室には当時のタイルが残る。
石黒恵・台所
台所は殆どが新しくなった。
石黒恵・かまど
土間にあるカマド。 昭和時代の圧力釜が置いてある。


 近くにある石黒家の本家は、現存する角館武家屋敷の中で一番古く、格が高いと云われ、唯一、室内に上がれる建物です。 現在も子孫の方がこの屋敷を守り、観光客の案内もしています。
 石黒家は勘左衛門直起を初代とし、佐竹義隣に仕えて勘定役となりました。
嘉永6年(1853)8代目当主が、蓮沼七左衛門邸を買取り、現在の屋敷となっています。
 石黒家は代々、佐竹家の御伴として江戸へ参り、学問にも秀で、本家の先代・石黒直次氏は、2005年の選挙により仙北市・初代市長となった家柄です。

 ※詳しくはコチラ→【角館 武家屋敷

【2011年7月 訪問】


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2013.
02.28
Thu
所在地:秋田県 仙北市 角館町
交 通:JR角館駅~徒歩20分

石黒家
 石黒家は、現存する角館武家屋敷の中で一番古いと云われ、唯一室内に上がれる建物です。
勘左衛門直起を初代とし、佐竹義隣に仕えて勘定役となりました。 現在の屋敷は嘉永6年(1853)8代目当主が蓮沼七左衛門邸を買取ったものです。
石黒家は代々、佐竹家のお共として江戸へ参り、学問にも秀で、先代の石黒直次氏は、2005年の選挙により仙北市・初代市長となった家柄です。
現在も子孫の方がこの屋敷を守り、観光客の案内もしています。
◎公開:9~17時、無休、300円 TEL:0187-55-1496 ※詳しくはコチラ→【石黒家
石黒家・広縁
石黒家の広縁から見た景色
河原田家
河原田家:会津時代から蘆名家の家臣であり、後に佐竹北家の家臣となりました。
雨戸を独立させ、広縁との間に空間を設け、使用人などは土足のままで主人との応対が可能。
雪国に多く見られ、新潟の旧笹川家住宅も同じ様な造りとなっています。 
 ※詳しくはコチラ→【旧笹川家住宅
河原田家・蔵
河原田家の蔵:この地方独特の造りで、深い軒の出に屋根の荷重を支える持送り材、雪・泥除けの下見板張りが特徴。
◎公開:9~16:30(4月中旬~11月末のみ公開)無休。無料 TEL:0187-43-3384
青柳家
青柳家:蘆名家の家臣から、後に佐竹北家の家臣となりました。
◎公開:9~17時(11月~3月は16時まで)無休。500円 ※詳しくはコチラ→【青柳家
青柳家・玄関間
青柳家の玄関の間:狭いながらも控えの間や寄付きとして使えるような凝った造りで、床の間・書院・飾り棚が並列になっています。
青柳家・蔵
青柳家の蔵:雪が積もっても2階から荷物の出し入れが出来るようになっています。
小野田家玄関
小野田家:佐竹北家の家臣であり、家の脇に道場がありました。
土間への入口が二重になっており、冬には風除室の役目をはたしています。
◎公開:9~16:30(4月中旬~11月末のみ公開)無休。無料 TEL:0187-43-3384
岩橋家
岩橋家:蘆名家の家臣から、後に佐竹北家の家臣となりました。
映画「たそがれ清兵衛」のロケ地で有名。
◎公開:9~16:30(4月中旬~11月末のみ公開)無休。無料 TEL:0187-43-3384
松本家
松本家:佐竹氏の重臣・今宮家組下の家柄で、常州から角館へ来ました。
内町(武家地)から離れた田町に住んでいましたが、佐竹北家の組下となってから現在地(小人町)に移転。 身分が低いながらも、郷校・弘道書院の教授を勤めた家柄です。
現在は、イタヤ細工の実演を行っており、映画「たそがれ清兵衛」のロケ地になりました。
◎公開:9~16:30(4月中旬~11月末のみ公開)無休。無料 TEL:0187-43-3384


 角館は、戦国時代は戸沢氏が統治しておりましたが、関ヶ原の戦いの後、慶長7年(1602) 常陸多賀郡へ転封。 入替わりに常陸国の佐竹義宣(よしのぶ)が出羽国秋田へ転封・減封となり、久保田藩主になります。 そして戸沢氏が治めていた角館を実弟の蘆名盛重(のちの義勝)に与えます。
蘆名家は相模国三浦郡の出で、源頼朝の平泉征伐で功名を成し、文治5年(1189)会津の地を与えられて黒川城(若松城)を拠点としてから、後に70万石の大名となっていましたが、蘆名家が絶えたため佐竹家から養子として入ったのが義広(=蘆名盛重、義勝)です。 天正17年(1589)摺上原の戦いで伊達政宗に敗れて常陸へ逃れますが、天正18年(1590)秀吉のもと小田原征伐が成功し、常陸国江戸崎を拝領。 
 しかし関ヶ原の件で、兄・佐竹義宣と共に秋田へ転封されてしまいます。 蘆名義勝と改名して角館の所預りとなりましたが、元和元年(1615)一国一城令が発令され、久保田藩は元和6年(1620)に小松山(古城山)北麓にあった角館城を廃城。 これを機に、蘆名義勝は山の南麓に御殿を移し、城下町の工事を開始しましたが、石垣や堀の建設が許されなかったため川を外堀に見立て、山や丘を障壁の役割としました。 そして外側を寺町で囲み、外町(町人地)と内町(武家地)の間は、延焼防止のため空地にして土塁を築き、さらに塀で区切って門を設けました。 その内町は、上・中級武士が住む表町と下級武士の住む裏町に分かれていたと云われます。
 蘆名家は後継ぎが病気や事故で早世し、寛永8年(1631)義勝が没した後、断絶してしまいました。 その後、角館は佐竹北家が統治し、蘆名家の家臣は減封させられ、佐竹北家の家臣となりました。 現在も残る武家屋敷は、蘆名家の家臣であった家系も多いようです。
 北家の当主・義廉の亡き後は、佐竹義宣の甥で、京の公家・義隣(よしちか)に継がせ、北家を再興させました。 それにより京都との交流が生まれ、角館に華やかな文化が育まれたのです。
明治以降は中心地が大曲に移りましたが、新たな開発を免れた武家屋敷の街並みが昭和51年(1976)国の重要伝統的建造物群保存地区に指定され、角館は観光地として再び栄えるようになりました。

【2011年7月 訪問】


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2012.
04.22
Sun
建築年: 明治45年(1912)  昭和56~57年に修復
所在地: 秋田県秋田市大町3-3-21     TEL:018-864-6851
構 造: レンガ造2階 天然スレート屋根 (国指定重要文化財) 
設 計: 山口直昭(外部)、 星野男三郎(内部)
開 館: 9:30~16:30    休館日: 年末年始・展示替え
入館料: 200円

旧秋田銀行
 この建物は、明治42年(1909)6月に着工し、5万円の工費と3年の歳月をかけて完成。
昭和44年(1969)3月まで、秋田銀行本店として営業していました。 (一時的にアメリカ進駐軍や日本銀行秋田支店が利用)
 そして、昭和56年に秋田市に寄贈され、昭和60年(1985)より、「秋田市立赤れんが郷土館」として公開されております。
 この地は川に近く軟弱な地盤であった為、地固め・杭などの基礎工事を重点的に行い、男鹿沖地震(昭和14年)、日本海中部地震(昭和58年)でも、影響を受けずに今日まできました。
 外部設計の山口直昭は、明治15年に工部美術学校彫刻学科卒業後、内務省土木局・台湾総督府民政局を経て、秋田県技師に就任。秋田県公会堂(明治38年)、伊勢の神宮皇學館大学本館(大正8)、【赤坂離宮】の設計にも参加。
 また、内装設計の星野男三郎は、明治31年に帝国大学工科大学建築科卒業後、 旧足利学校遺蹟図書館設計のほか、日光東照宮の修復工事にも参加しております。
 現在は「秋田市立赤れんが郷土館」として建物が公開され、鍛金の人間国宝・関谷四郎や、版画家の勝平得之の作品が展示されています。
旧秋田銀行・営業室3
吹き抜けの営業室。 2階の窓を開けるために通路をぐるりと廻している。
1階出入口の囲いは風除室で寒い地方ならではだが、後から取り付けた様なデザイン。
旧秋田銀行・営業室照明
営業室天井は、青白色の漆喰仕上げ。 楕円のオリーブバンドがバロック調。
旧秋田銀行・営業室2
アメリカ製のラジエーター。 ボイラー室で湯を沸かし、床下の配管から全室に蒸気を循環させる。 配管の向きから本来は違う場所にあった物。
旧秋田銀行・金庫
金庫室。 奥にはさらに厚い扉があり、二重の防犯性を備える。
脇には小さなマンホール扉。 コチラを参照⇒【旧 三井銀行下関支店
旧秋田銀行・暖炉
左: 営業室の暖炉は福島産の霰石。      右: 頭取室は岐阜産の薄雲石と紅縞石。
旧秋田銀行・貴賓室
2階の貴賓室。 2階床下の根太の間に漆喰を塗り、防音性を高めている。
左: 腰壁には人工皮革「金唐革紙」を使用。 窓には当時の鉄製防火シャッター(国産)が現存。
右: 暖炉は埼玉産の蛇紋岩。 

 【秋田市立赤れんが郷土館】は、秋田駅から中央交通バスに10分ほど乗り、「交通公社前」 下車~徒歩1分。 そこから、さらに7分歩くと「金子家住宅」などもあります。

【2011年7月 訪問】


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2012.
04.16
Mon
建築年:明治35年(1902)、昭和60年に復原
所在地: 秋田県横手市城南町7-1
構 造: 木造2階 
施 工: 藤村 初五郎(棟梁)
開 館: 水曜日のみ、 無料
TEL:0182-32-2403(横手市教育委員会)
日新館1
 横手駅前にはレンタサイクルがなかったので「かまくら館」まで歩き、自転車を借りて暑い陽差しの中、目的地まで向かいました。
やはりタクシーの方が楽だったようです。 横手川の橋を渡り、南小学校の前を通り、急な坂道を上った高台に「日新館」があります。 
日新館・玄関
左:1F応接室                    右:玄関 内側
日新館・2階応接室
2F寝室 北側(現在は応接室)
日新館・2階応接室1
2F寝室 南側(現在は応接室) 南に広縁を設けるのは日本的様式
日新館2
左:2Fベランダ前室になぜか押入れがある      右:1F汲み取り式トイレ(復元)
日新館・展望室
2階の展望室:当初は市内を一望できたという
  
 天文18年(1549)のフランシスコ・ザビエル来日に始まり、日本にキリスト教を普及するため、明治以降は英語教師として宣教師が各地へ赴任しました。 この教師達から英語を学び、さらに海外留学して政治家や実業家として活躍した人も少なくありません。 その教師達が住んだ建物は各地に現存し、現在は「宣教師館」と呼ばれております。
 横手の旧制・横手中学校にも、アメリカ人英語教師チャールス・C・チャンプリンが赴任しました。 
不慣れな暮らしぶりを案じた小坂旅館の主人が、外国人のための西洋風旅館を計画。 藤村棟梁を横浜に視察に行かせ、擬洋風建築を建造しました。
その後、日新館には5人のアメリカ人英語教師が入れ替わりで滞在しましたが、最後の教師 マルチン・M・スマイザーが日新館を買取り、昭和30年(1955)80歳で亡くなるまで住居として使った後、スマイザーの遺言により、お手伝いの鶴岡隆子さんに譲られて和洋裁学校として使用。
昭和38年に姪の鶴岡功子さんに引き継がれた後は鶴岡家の住まいとして現役ですが、1階の一部を除き、水曜日に一般公開されております。

 日新館からの帰りに駅前で「横手やきそば」を食しましたが、電車の時間が迫り、ゆっくり味わう事もできずに秋田駅へ向かいました。

【2011年7月 訪問】




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