2017.
07.09
Sun
建築年:明治後期
設計施工:設計者は不明、棟梁は14代 伊藤佐久ニ
所在地:岡谷市御倉町2-20 
見 学:9:00 ~16:30(12/1~2/末は16:00まで) 有料
休館日:水曜日・祝日の翌日・年末年始
TEL:0266-22-2330
アクセス:JR岡谷駅~徒歩約 5分
  ※詳しくはこちら⇒【岡谷市HP
旧林家住宅
 製糸場・鉄砲店を営んでいた初代・林国蔵(1846-1916)の本邸で、約10年の歳月を掛けて完成したと云われています。
林家が東京へ本居を移した後この建物は別荘となっており、普段は管理人だけが常駐していました。
昭和62年に所有者の(イチヤマカ)一山カ林合名会社から土地売却の申し出を受け、平成元年に岡谷市が買収(建物・調度類は寄贈)、修復工事が行われ、平成6年から一般公開されています。
旧林家住宅・蔵

旧林家住宅・蔵2
外蔵: 繭の貯蔵用として明治26年頃建造。 殆どの部材がカツラを使っているため桂倉とも呼ばれている。 
旧林家住宅・洋館1
洋館:昭和3年に敷地の隣にあった旧イチヤママル製糸所(ヤマトモ岡谷製糸)が火事になって洋館屋根が類焼し、瓦屋根→金属屋根に改修。 外壁の色が一部違うのは平成の修復工事によるもの。
旧林家住宅・洋館装飾1
外壁はセメン漆喰
旧林家住宅・洋館装飾2
乙女チックな装飾
旧林家住宅・主屋座敷
主屋の表玄関隣りにある座敷
旧林家住宅・主屋上座敷
主屋の上座敷
旧林家住宅・彫刻
上座敷の彫刻は松本の彫師・清水虎吉(好古斎)作
旧林家住宅・台所
台所
旧林家住宅・呼び鈴
提灯箱と呼び鈴
旧林家住宅・仏壇
仏壇
旧林家住宅・仏壇彫刻
仏壇の彫刻も清水虎吉(好古斎)作
旧林家住宅・装飾
左:広縁にある欄間              右:便所の建具の引手
旧林家住宅・離れ1F上座敷
離れ1F上座敷
旧林家住宅・離れ2F座敷
離れの2F座敷は天井・壁・襖が金唐革紙貼り(一部補修されているが当時の物)
旧林家住宅・茶室
洋館の内部にある水屋と茶室
旧林家住宅・茶室横座敷
茶室横の座敷
旧林家住宅・家具1
洋館の調度類
旧林家住宅・家具2

旧林家住宅・洋館内部1

旧林家住宅・漆喰彫刻
洋館の漆喰彫刻


 林国蔵は弘化3年(1846)倉太郎の長男として生まれ、家業の製糸所を継承します。 
林家は倉太郎の代に坐繰製糸を成し、明治9年に岡谷に天竜製糸所(後の一山カ製糸場)を開設。 生糸の統一を計るため片倉と林で開明社を創業し、共同揚返所を設けます。 明治19年(1886)倉太郎が亡くなると国蔵が製糸所を受け継ぎ、開明社にも参画。 社長は片倉や林と一年交代で務め、諏訪薪炭㈱設立、郵便局設置・中央線の開通を薦めました。
 林国蔵は明治24年頃から東京に進出し、鉄砲商・川口亀吉の死別により免許を継承して明治26年(1893)「川口屋林銃砲火薬店」を創業。 店舗も馬喰町から本銀町へ移転して事業を拡大、全国で1・2位を争う業者となります。
製糸業でも岡谷の屋敷の隣にイチヤママル/一山○製糸所、深谷のイチマル/一○製糸所(開国館)と工場を増やし、その他にも炭田や津川鉱山を買収、有志と共に諏訪索道㈱や諏訪薪炭㈱を設立しています。
しかし、明治40年恐慌が原因で岡谷の2つの製糸場を手放し、大正5年(1916)国蔵が他界するとその翌年、深谷の一○製糸所(開国館)も買収されました。
 一方で川口屋林銃砲火薬店は、2代目・林国蔵(宮澤豊助:旧藩士の家の出)が事業を継承。 一時ダイナマイト等も取り扱っていましたが、現在は㈱川口屋となり、コンサートグッズでお馴染みのルミカライトや発炎筒・塗料などの販売の他、法面緑化・展示会ブース工事なども行っているようです。
 ちなみに深谷の開国館に関する明治44年の文献によると、深谷停車場の南側にある池は開国館が製糸用に用いるため明治43年に開掘し、堤上に桜の木を移植したとなっており、現在の下台池公園と思われます。
旧林家住宅・蔵4
【参考文献】
「日本製糸業の大勢 : 成功経歴」岩崎徂堂  1906 博学館
「深谷案内」大谷高重良 1911
「深谷案内」高田晴司  1923 深谷案内編纂会
「旧イチヤマカ林家住宅:シルクと金唐紙の館」信濃建築史研究室 2001 岡谷市教育委員会
「日本橋紳士録」1929 日本橋紳士録編纂所
㈱川口屋⇒ 【H P】  

【2016年7月 訪問】


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2017.
06.27
Tue
建築年:昭和11年(1936)
構 造:鉄筋コンクリート造2階建、一部地下あり
設計施工:設計は三苫繁實(長野県営繕課)、施工は岡谷組
所在地:長野県岡谷市幸町8-1(岡谷市役所前)
アクセス:JR岡谷駅~徒歩約20分

旧岡谷市役所
 2016/7/2に市制施行80周年の記念事業として旧岡谷市役所庁舎が1日だけ公開されました。
通常は一般公開されておらず、現在は(公財)おかや文化振興事業団の事務所となっています。
旧岡谷市役所2
 昭和11年に平野村が岡谷市になる事となり、製糸家・尾澤福太郎が私財を投じて市庁舎を建設して市に寄付。
昭和10年6月着工、昭和11年3月に竣工、落成式が5/23に行われています。
そして昭和62年まで市役所、平成27年まで消防庁舎(岡谷消防署)として使用されました。
旧岡谷市役所・玄関タイル
玄関タイル
旧岡谷市役所・1F
左:公衆溜り                右:カウンターは増設されている
旧岡谷市役所・事務室
事務室裏手
旧岡谷市役所・便所/電話室
左:便所                    右:電話室
旧岡谷市役所・1F村長室
1F村長室(畳敷きに改修)
旧岡谷市役所・1F食堂
1F食堂
旧岡谷市役所・1F宿直室
1F宿直室
旧岡谷市役所・1F宿直室床の間
1F宿直室:立派な床の間付き
旧岡谷市役所・階段①
階段➀
旧岡谷市役所・平面図1F
1F平面図 (パンフレットより)
旧岡谷市役所・平面図2F
2F平面図 (パンフレットより)
旧岡谷市役所・2F議場
2F議場
旧岡谷市役所・古写真
議場の古写真  ※展示パネルより
旧岡谷市役所・2F議場の枠
左:議壇はなくなっている              右:丸窓
旧岡谷市役所・映写室
左:映写室                    右:屋根は鉄骨組
旧岡谷市役所・2F議場控室
左:議場控室(どの部屋も天井が高い)扉の奥は議場であったが部屋に改造している
右:腰壁の板   
旧岡谷市役所・2F貴賓室
2F貴賓室
旧岡谷市役所・2F議員室①
2F議員室①
旧岡谷市役所・2F議員室②
2F議員室②:床の間があるが畳敷きではなかった
旧岡谷市役所・2F委員室①
2F委員室①:こちらも畳敷きではなかった
旧岡谷市役所・階段②
階段➁
旧岡谷市役所・左玄関
左玄関の扉とホール
旧岡谷市役所・外壁
スクラッチタイルとボイラー用の煙突
タイルは信州・高遠町の丸千組(高遠焼)の物だという
旧岡谷市役所・外壁2


 尾澤福太郎は万延元年(1860)岡谷村で金左衛門の長男として生まれ、家業の尾澤組(カクキ)を経営。 大正12年に㈱尾澤組となった会社が、さらに片倉製糸紡績会社と合併して常務取締役に就任しました。
尾澤家は金蔵の代に坐繰製糸を成し、金左衛門が明治9年に坐繰を廃して工場を建設。 生糸の統一を計るため片倉と林で開明社を創業し、共同揚返所を設けます。 社長は片倉や林と一年交代制で務め、諏訪薪炭㈱設立、郵便局設置・中央線の開通を薦めました。
 品性高尚な母に育てられたという若い頃の福太郎については、「其豊頬愉顔なる福象は眉の間に、温良謹厚にして至誠至孝なる天然の美質は妙に其慈惰を表し、真を写して人を動かしむ。恰も鼠を捕る猫は爪を隠すと、翁に代わりて掌司す。」と表現され、弟の琢郎や亮一と共に事業を継承していたようです。(※1)
尾澤福太郎の銅像クリーニング
尾澤福太郎の銅像(岡谷出身の彫刻家・武井直也作)が武蔵野美術大学によってクリーニングされていた
マル千小口店
岡谷駅へ向かう途中にある立派な蔵を持つ店 
かつてマル千小口(岡谷市幸町6-27)という店であったようで、窯業/金属業となっている。
スクラッチタイルは使われていないが、これも丸千組と何か関係があるのだろうか?

【参考文献】
諏訪総合設計㈱HP「正博の建建諤々」(2003耐震診断)
(※1)「日本製糸業の大勢 : 成功経歴」岩崎徂堂 編 1906 博学館

【2016年7月 訪問】


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2012.
03.04
Sun
建築年:1794年頃(寛政5年)
所在地:長野市松代町松代1434−1
TEL:026−278−2274
構 造:木造2階
開 館:9:00~17:00(入館は16:30まで)
休 館:12月29日~1月3日
旧横田家1
 この建物は、松代藩真田家に仕えた中級武士の住宅です。 長屋門(部屋付きの門)・式台(主人・客用玄関)を持つ格式のある武家屋敷で、畑がある広い敷地には、母屋・隠居屋・土蔵があり、昭和64年の改修により当時の様子に復原されました。
2階にバルコニーの様な広縁がある珍しい形式で、文人宅の様な風流さを感じます。
旧横田家2
 明治以降の横田家の当主は群馬の富岡製糸場の工女募集責任者となり、娘の英は自ら進んで伝習工女となって「富岡日記」を書きます。 
長男の横田秀雄は、明治32年に慶応義塾大学法学部教授、大正12年~昭和2年まで大審院長として活躍。 退官後は明治大学総長になります。
さらに弟の謙二郎は小松家に養子に入り、逓信省を経て議員となって鉄道大臣に抜擢。 秀雄の長男である横田正俊は第4代最高裁判所長官に、次男の吾妻光俊は東京商大(一橋大学)教授と、学識者の家系となりました。
文武館1
 横田家の学識は、松代藩の教育方針により育まれたといえるでしょう。
この文武学校は、8代藩主・真田幸貫により、学問と武道の学び場として嘉永6年(1853)に竣工、安政2年(1855)に開校しました。
佐久間象山らの意見から、蘭学・西洋軍学など積極的に取り入れ、文学所・剣術所・柔術所・弓術所・槍術所・文庫蔵などを備えた「文武両道」の学校となりました。 そして、明治の廃藩になるまで、優秀な人材が数多く輩出されました。
 その後は松代小学校となり、当時の建物のほとんどが無くなってしまいましたが、国指定史跡として復元され、現在は市民施設として利用されております。

 近くには真田宝物館・真田邸があり、春は桃の花見・夏の避暑・秋の紅葉・冬の雪景色と、いつでも楽しめますので、松代の観光の際に、ぜひ訪れてみては・・・。 ※詳しくはコチラ→【松代

【2009年8月 撮影】


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