2012.
03.29
Thu
建築年:昭和9年(生家は明治9年頃) 
所在地:滋賀県東近江市宮荘町681 
構 造:木造平屋
開 館:9:30~16:30   入館料300円
休館日:月曜・祝日の翌日・年末年始
TEL:0748-48-2602

藤井彦四郎邸14
 こちらは、生家(移築)と総檜造りの客殿などがある、近江商人の邸宅です。
藤井彦四郎は、明治後期に藤井糸店を創業。 朝鮮に出店・撚糸の特許を取り、人絹糸「鳳凰印の小町糸」や「スキー毛糸」の製造販売を行い富を得ました。
その後、藤井株式会社として営業を続けておりましたが、平成12年に経営破綻。 株式会社元廣(SKIYARN)へ営業譲渡しました。(この建物は昭和56年より一般公開)
藤井彦四郎邸08
和室の座椅子と火鉢:この椅子は日本と西洋文化がミックスされた独特の形
紐で背もたれの角度を調整できるデザイン
藤井彦四郎邸02
玄関の横にある洋館:母屋とつながり応接間の役割も果たす
藤井彦四郎邸04
ログハウスの山小屋風な建物の室内は、重厚に造られている。
藤井彦四郎邸06
左:暖炉                  右:照明は日本製
藤井彦四郎邸12
左 :トイレの手水鉢は、まるで料亭のよう 
右上:トイレの扉はシャッター式の引き戸で、とても珍しい
右下:水洗の汲み取り式トイレ。下水道のない地域では現在もこの方式が多い。

【2009年10月 訪問】


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2012.
03.18
Sun
建築年:1907年(明治40年)竣工 
所在地:山口県萩市椎原 TEL:0838-25-3139(萩市観光課)
構 造:木造2階、桟瓦葺き屋根  萩市指定史跡
施 工:伊藤万作(宮大工)ほか
開 館:9:00~17:00 無休
入館料:100円
別邸・玄関
 伊藤博文別邸は、公爵になった明治40年(1907)東京の大井村に建てられたもので、和館・洋館をもつ広大な邸宅でした。 平成10年に、玄関・大広間・離れ座敷のみ萩に移築されました。
 跡地は伊藤博文墓所(東京都品川区西大井6-10-18)であり、当時の建物はありませんが、秋に一般公開されているとの事ですので、詳しくは品川区のHPでご確認下さい。
 ※大井の別邸にあった恩賜館についてはコチラ⇒【明治記念館
別邸・鏡天井廊下
広縁の鏡天井は、幅1間近くある1枚板を使用。 これだけの大木は屋久杉か?
伊藤家別邸・床の間
1階大広間。この様な床の間と付書院の構成も珍しい。付書院奥の壁に飾り棚を置きたくなる。
別邸・2階床の間
離れ2階の座敷は一風変っている。 所々、下地の黒漆を研ぎ出し、根来塗りの様な床框。
別邸・2階欄間
 人が嫌がる木の節をわざと使い、皮付きの枝を棹縁にした天井。
この棹縁は1間半の長さで同じ太さ、はたして何の木だろうか。
伊藤博文生家
 隣にある建坪29坪の平屋で国指定史跡。 この家は、萩藩の下級武士・伊藤直右衛門(水井武兵衛)邸でしたが、父の十蔵が養子となり、一家をあげて移り住みました。
兵庫県知事となるまで、この質素な武家屋敷が伊藤博文の本拠となっていました。
 現在の建物は復元したものでありますが、名声を得た前後の2つの邸宅が隣り合い、
歴史的人物の暮らしぶりを想像する事が出来ます。

 伊藤博文は天保12年(1841)、現在の山口県大和町で百姓の長男「利助」として生まれ、嘉永2年(1849)に一家が萩に移り、安政元年(1854)に伊藤姓を名乗ります。 吉田松陰に学んだあと、尊皇攘夷の志士として活動。 明治維新後は兵庫県知事となり「博文」と改名。
官僚として鉄道建設も携り、明治5年に横浜-新橋間を開通させました。
 その後、初代内閣総理大臣・枢密院議長・貴族院議長・韓国統監となり、憲法発布・日英通商航海条約・下関条約を締結します。 過去には、文久3年(1863)に渡英し、明治4年(1871)に岩倉使節団の副使としてサンフランシスコで演説もしており、総理に選ばれたのも英語が堪能であったからといわれております。
 一方で好色家と知られ、宮武外骨の風刺画には、梅毒で鼻がもげた絵が度々出てきます。
 韓国の植民地化に反対していた伊藤でしたが、満州ハルピン駅で韓国の運動家によって暗殺され、69歳で亡くなりました。 志士として暗殺に関わり、最後は暗殺によって倒れる波乱の人生でした。

【2009年5月 訪問】


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2012.
03.11
Sun
建築年:1916年(大正5年)竣工 
所在地: 山口県山口市滝町1-1 TEL:083-933-2268
構 造: 煉瓦造 一部花崗岩貼り2階建、スレート葺き屋根  国指定重要文化財
設 計: 大蔵省臨時建築部(妻木頼黄よりなか部長・大熊喜邦・武田五一ほか)
開 館: 9:00~16:30
休 館: 月曜・祝日(子供の日・文化の日除く)・12月28日~1月4日
入館料: 無料
山口県旧県庁舎
 この山口県庁舎は大正2年から3年の工期をかけて完成されました。
その後、裏手に新庁舎が出来てから、昭和60年より「山口県政資料館」として開館。
平成10年より6年の工事を経て修復を完了し、竣工当時の姿に戻っています。
 妻木頼黄は、幻の国会議事堂の設計者として有名です。 自費でアメリカ留学しますが、帰国させられ、J・コンドルに学びます。 しかし、日本の教育では満足がいかず、退学して再び渡米。
 帰国後は、大蔵省臨時建築部で国会議事堂計画に参加するも、木造の仮議事堂の建設で終わります。  その後も何度か延期となった事で妻木は辞任し、大正5年(1916)に死去。
 しかし妻木は、東大寺の修復の他、日本橋・横浜赤レンガ倉庫・神奈川県立歴史博物館(記事⇒横浜正金銀行)など、現在の観光スポットとして有名な建造物を手掛けました。
山口県・旧県庁舎玄関
アールデコ調の玄関ホール 
山口県・旧正庁会議室
建物内で最も華やかな正庁会議室
山口県旧正庁・会議室出入口
政庁会議室出入口の装飾
山口県・旧知事室
旧 県知事室。 角部屋のため窓が多く明るい。 応接ソファ奥の部屋の角に知事席がある。
照明
庁舎内にある様々なデザインの天井中心飾り
山口県・旧県議事堂
 塔があるため、隣りの県庁舎より華やかで、貴婦人といった感じの議事堂。
国会議事堂の夢を詰め込み、小さいながらも気合が入っています。
議壇
議壇と議員席。
議場
国会議事堂と同様に吹き抜けになっており、報道・傍聴席が2階にある。
山口県旧議事堂・議員控室
議員控え室
県庁門
 この門は、山口屋形の藩庁門として、幕末(1864年)に建造されたものといわれ、県指定有形文化財となっております。
山口屋形は、城ではなく政務を取る場所と江戸幕府に報告し、強行で萩から移転した本拠地。
城ではないと言いながらも、この門の脇には堀があり、防衛も備えています。

  詳しくはコチラ→【山口県政資料館

 ここへ来る時は萩からバスに乗り、県庁前バス停で降りたのですが、帰りは電車を使いました。
県庁から徒歩20分でJR山口駅に到着し、新山口駅から宇部線に乗り換え草江駅に到着。
そこから500m程で山口宇部空港に着くのですが、駅から歩く人が少ないようで、空港への入口が分りにくいので要注意です。

【2009年5月 撮影】


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2012.
03.04
Sun
建築年:1794年頃(寛政5年)
所在地:長野市松代町松代1434−1
TEL:026−278−2274
構 造:木造2階
開 館:9:00~17:00(入館は16:30まで)
休 館:12月29日~1月3日
旧横田家1
 この建物は、松代藩真田家に仕えた中級武士の住宅です。 長屋門(部屋付きの門)・式台(主人・客用玄関)を持つ格式のある武家屋敷で、畑がある広い敷地には、母屋・隠居屋・土蔵があり、昭和64年の改修により当時の様子に復原されました。
2階にバルコニーの様な広縁がある珍しい形式で、文人宅の様な風流さを感じます。
旧横田家2
 明治以降の横田家の当主は群馬の富岡製糸場の工女募集責任者となり、娘の英は自ら進んで伝習工女となって「富岡日記」を書きます。 
長男の横田秀雄は、明治32年に慶応義塾大学法学部教授、大正12年~昭和2年まで大審院長として活躍。 退官後は明治大学総長になります。
さらに弟の謙二郎は小松家に養子に入り、逓信省を経て議員となって鉄道大臣に抜擢。 秀雄の長男である横田正俊は第4代最高裁判所長官に、次男の吾妻光俊は東京商大(一橋大学)教授と、学識者の家系となりました。
文武館1
 横田家の学識は、松代藩の教育方針により育まれたといえるでしょう。
この文武学校は、8代藩主・真田幸貫により、学問と武道の学び場として嘉永6年(1853)に竣工、安政2年(1855)に開校しました。
佐久間象山らの意見から、蘭学・西洋軍学など積極的に取り入れ、文学所・剣術所・柔術所・弓術所・槍術所・文庫蔵などを備えた「文武両道」の学校となりました。 そして、明治の廃藩になるまで、優秀な人材が数多く輩出されました。
 その後は松代小学校となり、当時の建物のほとんどが無くなってしまいましたが、国指定史跡として復元され、現在は市民施設として利用されております。

 近くには真田宝物館・真田邸があり、春は桃の花見・夏の避暑・秋の紅葉・冬の雪景色と、いつでも楽しめますので、松代の観光の際に、ぜひ訪れてみては・・・。 ※詳しくはコチラ→【松代

【2009年8月 撮影】


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