2012.
04.22
Sun
建築年: 明治45年(1912)  昭和56~57年に修復
所在地: 秋田県秋田市大町3-3-21     TEL:018-864-6851
構 造: レンガ造2階 天然スレート屋根 (国指定重要文化財) 
設 計: 山口直昭(外部)、 星野男三郎(内部)
開 館: 9:30~16:30    休館日: 年末年始・展示替え
入館料: 200円

旧秋田銀行
 この建物は、明治42年(1909)6月に着工し、5万円の工費と3年の歳月をかけて完成。
昭和44年(1969)3月まで、秋田銀行本店として営業していました。 (一時的にアメリカ進駐軍や日本銀行秋田支店が利用)
 そして、昭和56年に秋田市に寄贈され、昭和60年(1985)より、「秋田市立赤れんが郷土館」として公開されております。
 この地は川に近く軟弱な地盤であった為、地固め・杭などの基礎工事を重点的に行い、男鹿沖地震(昭和14年)、日本海中部地震(昭和58年)でも、影響を受けずに今日まできました。
 外部設計の山口直昭は、明治15年に工部美術学校彫刻学科卒業後、内務省土木局・台湾総督府民政局を経て、秋田県技師に就任。秋田県公会堂(明治38年)、伊勢の神宮皇學館大学本館(大正8)、【赤坂離宮】の設計にも参加。
 また、内装設計の星野男三郎は、明治31年に帝国大学工科大学建築科卒業後、 旧足利学校遺蹟図書館設計のほか、日光東照宮の修復工事にも参加しております。
 現在は「秋田市立赤れんが郷土館」として建物が公開され、鍛金の人間国宝・関谷四郎や、版画家の勝平得之の作品が展示されています。
旧秋田銀行・営業室3
吹き抜けの営業室。 2階の窓を開けるために通路をぐるりと廻している。
1階出入口の囲いは風除室で寒い地方ならではだが、後から取り付けた様なデザイン。
旧秋田銀行・営業室照明
営業室天井は、青白色の漆喰仕上げ。 楕円のオリーブバンドがバロック調。
旧秋田銀行・営業室2
アメリカ製のラジエーター。 ボイラー室で湯を沸かし、床下の配管から全室に蒸気を循環させる。 配管の向きから本来は違う場所にあった物。
旧秋田銀行・金庫
金庫室。 奥にはさらに厚い扉があり、二重の防犯性を備える。
脇には小さなマンホール扉。 コチラを参照⇒【旧 三井銀行下関支店
旧秋田銀行・暖炉
左: 営業室の暖炉は福島産の霰石。      右: 頭取室は岐阜産の薄雲石と紅縞石。
旧秋田銀行・貴賓室
2階の貴賓室。 2階床下の根太の間に漆喰を塗り、防音性を高めている。
左: 腰壁には人工皮革「金唐革紙」を使用。 窓には当時の鉄製防火シャッター(国産)が現存。
右: 暖炉は埼玉産の蛇紋岩。 

 【秋田市立赤れんが郷土館】は、秋田駅から中央交通バスに10分ほど乗り、「交通公社前」 下車~徒歩1分。 そこから、さらに7分歩くと「金子家住宅」などもあります。

【2011年7月 訪問】


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2012.
04.16
Mon
建築年:明治35年(1902)、昭和60年に復原
所在地: 秋田県横手市城南町7-1
構 造: 木造2階 
施 工: 藤村 初五郎(棟梁)
開 館: 水曜日のみ、 無料
TEL:0182-32-2403(横手市教育委員会)
日新館1
 横手駅前にはレンタサイクルがなかったので「かまくら館」まで歩き、自転車を借りて暑い陽差しの中、目的地まで向かいました。
やはりタクシーの方が楽だったようです。 横手川の橋を渡り、南小学校の前を通り、急な坂道を上った高台に「日新館」があります。 
日新館・玄関
左:1F応接室                    右:玄関 内側
日新館・2階応接室
2F寝室 北側(現在は応接室)
日新館・2階応接室1
2F寝室 南側(現在は応接室) 南に広縁を設けるのは日本的様式
日新館2
左:2Fベランダ前室になぜか押入れがある      右:1F汲み取り式トイレ(復元)
日新館・展望室
2階の展望室:当初は市内を一望できたという
  
 天文18年(1549)のフランシスコ・ザビエル来日に始まり、日本にキリスト教を普及するため、明治以降は英語教師として宣教師が各地へ赴任しました。 この教師達から英語を学び、さらに海外留学して政治家や実業家として活躍した人も少なくありません。 その教師達が住んだ建物は各地に現存し、現在は「宣教師館」と呼ばれております。
 横手の旧制・横手中学校にも、アメリカ人英語教師チャールス・C・チャンプリンが赴任しました。 
不慣れな暮らしぶりを案じた小坂旅館の主人が、外国人のための西洋風旅館を計画。 藤村棟梁を横浜に視察に行かせ、擬洋風建築を建造しました。
その後、日新館には5人のアメリカ人英語教師が入れ替わりで滞在しましたが、最後の教師 マルチン・M・スマイザーが日新館を買取り、昭和30年(1955)80歳で亡くなるまで住居として使った後、スマイザーの遺言により、お手伝いの鶴岡隆子さんに譲られて和洋裁学校として使用。
昭和38年に姪の鶴岡功子さんに引き継がれた後は鶴岡家の住まいとして現役ですが、1階の一部を除き、水曜日に一般公開されております。

 日新館からの帰りに駅前で「横手やきそば」を食しましたが、電車の時間が迫り、ゆっくり味わう事もできずに秋田駅へ向かいました。

【2011年7月 訪問】




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2012.
04.10
Tue
建築年: 昭和30年(1953) 
所在地: 東京都港区南青山6-1-19、 TEL:03-3406-0801
構 造: 鉄筋コンクリートブロック造2階建て、 金属葺き木造屋根 
設 計: 坂倉準三建築研究所(担当:村田 豊)
開 館: 10:00~18:00、  有料
休館日: 火曜日・年末年始
  ※詳しくはコチラ→【岡本太郎記念館

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「芸術は爆発だ!」でおなじみの岡本太郎のアトリエ兼住宅であり、現在は「岡本太郎記念館」として平成10年(1998)から公開されております。 
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 岡本太郎は、漫画家・岡本一平と、作家・岡本かの子の間に明治44年(1911)に生まれ、昭和5年(1930)一家がパリに渡った後、10年間滞在した岡本太郎は、ドイツ軍パリ侵略により帰国して終戦後から芸術活動を再開。 昭和45年(1970)大阪万博では「太陽の塔」をデザインします。 その制作会議(若き日の丹下健三の顔も映る)のVTRが残っており、岡本太郎の抽象的な論理に対して、関係者の困った顔が印象的でした。 他に、スキー姿やアトリエでの制作風景なども写っておりましたが、インタビューの中で「自分を大事にすると、自分が死ぬ」という一言が心に残ります。
ちなみに「太陽の塔」の中は生物をテーマにしたパビリオンであり、非公開ですが当時の内装が一部残っております。
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テーブル中央の蓋が外せるようになっており、友人と酒を飲む時に氷を入れていたのだとか。
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窓には、強い影を少なくし光を拡散する擦りガラスを嵌め、北向きの安定した光を取り入れたアトリエ。 昔の写真館もこの様な形式が多い。
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左:角が生えたオブジェも内部に蛍光灯が仕込まれている。  右:リビングの時計(CITIZEN製)
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庭の隅にあるモザイクタイルのベンチと、コンクリートのテーブル。
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 建物は、坂倉準三建築研究所により昭和28年(1953)に竣工され、岡本太郎の芸術活動の拠点となりました。
 坂倉準三氏は、明治34年に岐阜県の羽島で生まれ、東京帝国大学を卒業後、パリ工業大学に留学します。 前川國男の紹介でル・コルビジェの事務所で5年間修行し、帰国後の昭和12年(1937)パリ万博の日本館を設計して1等賞を受賞。 昭和15年には坂倉準三建築研究所を開設。 東急渋谷駅(2013年解体、岡本邸と似た屋根が特徴的でした)・JR新宿駅西口・神奈川県立近代美術館・東京日仏学院などの公共物を多く手掛けました。 岡本太郎邸を担当した村田氏は、のちに昭和45年(1970)大阪万博の富士パビリオンも設計しております。
 ブロック塀は地震で倒れるという印象が強いですが、鉄筋を正確に入れてロの字型に組み立てれば、強固な建造物となります。 私の実家のブロック倉庫は竜巻で屋根が飛ばされましたが、中の物は無事でした。 風の抵抗が少ない屋根、接合部の工夫をすれば、竜巻にも耐えられる建物となるでしょう。
 しかし、2m以上の高さまでブロックを垂直水平に積み、目地まできれいに仕上げるには高度な技術を要します。 このブロック職人は煉瓦職人がルーツですが、最近はブロック構造物も減って腕の良い職人も少なくなりました。

【2012年3月 撮影】


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2012.
04.01
Sun
所在地:滋賀県東近江市五個荘金堂町 (重要伝統的建造物群保存地区)五個荘1
 近江鉄道「近江八幡」~「五箇荘」駅、もしくは京都駅からJR東海道本線(琵琶湖線)に乗って能登川駅で降り、東口から近江バス(神崎線八日市行き)「生き活き館」前で、五個荘の町に辿り着きます。 街中には所々に大きな商家と蔵があり、当時の繁栄を物語ります。
 そして、呉服商だった外村宇兵衛邸・作家の外村繁の生家・三中井百貨店の中江準五郎邸等が公開され、明治~昭和の近江商人の屋敷を拝見することが出来ます。
 近江商人は、八幡・日野・五箇荘・能登川付近で生まれ、中山道・伊勢道を使い、京都・大坂・江戸へ進出し、巨万の富を得ました。伊藤忠・西武・大丸・高島屋・東レ・西川産業・丸紅・日本生命・ワコールなどの大企業も、近江商人が創業しました。
 敗戦と共に五個荘も衰退し、当時の繁栄はなくなってしまいましたが、近年は観光客が訪れ、賑わう町になっております。  ※詳しくはコチラ→【五個荘
外村宇平衛邸4
五個荘の用水路を利用した洗い場。各家の門の脇にあり、ここで野菜などを洗った。
外村宇兵衛邸5
 外村宇兵衛邸の座敷は、敷居が取り外せるようになっており、襖を外して大広間とし、大人数が集えるようになっている。
外村繁邸4
 作家・外村繁の生家にある、五右衛門風呂。火傷しないよう丸い板を底に沈めて使う。
大正昭和以降のものだが、母屋と離れたかまど式で、浴室の形としては古い。
めんめんたなか1
「めんめんたなか」では、築200年の建物で手打ちうどんがいただける。
(営業)11:00~14:30/18:00~22:00  (休み)月曜日・年末年始

【2009年10月 撮影】

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