2012.
05.27
Sun
建築年:大正4年(1915)  
所在地:山口県下関市南部町23-11  TEL:083-231-4141
構 造:RC造3階・地下1階・塔屋、 屋上家屋:木造  
施 工:関門商事(監督:新富直吉)
開 館:9:30~17:00(入館は16:30まで)  入館料:無料
休 館:年末年始    
交 通:JR下関駅~バス7分「唐戸」バス停下車スグ

秋田商会・入口
 西日本で最初の鉄筋鉄骨コンクリート造といわれ、屋上には日本庭園と和館を備えます。
秋田商会は、明治38年(1905)4月に創立し、材木取引と海運業で、台湾・朝鮮・満州にも進出。
 この建物の施主:秋田寅之助については、『大正5年 時事新報社・第3回50万円以上の資産家調査』に記載されています。
「五十万円・・・秋田寅之助(材木運送業)下関市東南部町、 財産種別:不動産五万円、営業資金:四十万円、有価証券其他:五万円、略歴:明治8年4月1日を以て生れ35年3月秋田家の養子となる夙に実業に志し曩に合資会社秋田商会を創立し其の社長となりて木材売買運送及海外貿易の事業に従事す。又市会議員、商業会議所議員海事会員等に推され業務の傍ら公共事業に尽す事少からず 」と、記されています。
※詳しくはコチラ→【大正5年 時事新報】 神戸大学電子図書館より
秋田商会
左:角地にある正面玄関は、曲線の外壁と塔屋を持つ。 右:アールデコ調の外観はタイル貼り。
秋田商会・屋上
屋上には、日本庭園と日本家屋が。 日本の屋上庭園とペントハウスの先駆け。〔非公開区域〕
「棲霞園(せいかえん)」と名付けられ、土を50cmほど盛って松や梅を植え、庭石を配して池も造られた。
秋田商会・店舗1
まるで銀行の様な造りで風除室も持つ。 現在は、下関観光情報センターとして使用。
※詳しくはコチラ→【旧秋田商会ビル
秋田商会・時計
アメリカ製の時計はいまだに現役。 漆喰の彫刻で縁取り、時計を壁に埋め込んだ珍しい形。
秋田商会・大広間
2~3階は、日本的な生活空間。座敷や居間も全て和室。
秋田商会・2階
左:屋上に上る階段   右:正面玄関上は廊下になっており、洋と和の切り替え空間。

 近隣には、旧赤間関郵便電信局(1900)、旧下関英国領事館(1906)、旧宮崎商館(1907)、旧三井銀行下関支店(1920)が点在しており、建物好きには1日滞在しても飽きないほど。
 また、唐戸市場もあり、吹抜けになった2階の通路から活気ある市場全体を眺めることも可能。
食堂も数件あるので、ここで朝食・早昼食を食べてからの建物巡りをお奨めします。

【2009年5月 訪問】




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2012.
05.20
Sun
建築年:大正9年(1920)5月  
所在地:山口県下関市観音崎町10-6 TEL:083-232-0800
構 造:RC・木・レンガ混合2階、地下1階、石貼り (山口県指定有形文化財) 
設 計:長野 宇平治
開 館:10~17:00  入館料:無料
休 館:月・火曜日・祝日・年末年始
交 通:JR下関駅東口~バス停「海響館前」下車~徒歩2分    
唐戸・山口銀行2
 三井銀行は、明治9年(1876)三井八郎衛門らの発起人により東京日本橋に創設。 その後、下関支店を開設しますが、門司に移転するため、元・長州藩士であり大臣・三井財閥の最高顧問であった井上 馨の助言により、明治40年(1907)に、建物と営業権を百十銀行に譲渡し閉店。(百十銀行は失敗が多く、井上馨に何度も助けられた。)
 大正9年、三井銀行はこの建物を建て下関支店を再開しますが、昭和初期に入り戦争を感じた銀行幹部は、昭和8年(1899)に再び建物と営業権を百十銀行に譲渡し、この建物は百十銀行本店となりました。
 そして、昭和19年には6つの銀行(百十・華浦・船城・大島・宇部・長周)が統合して山口銀行本店に。 さらに、山口銀行の新本店が完成してからは、観音崎支店・別館など(昭和48年から2年間は日本銀行下関支店として一時使用)に使われ、現在は「やまぎん史料館」として公開されております。 ※詳しくはコチラ→【やまぎん史料館
山口銀行・内部
風除室・カウンター・床タイルなどは当時の様子に復元。
山口銀行・天井
格天井や柱の装飾は漆喰塗り。大正時代ならではのモダンな印象。
山口銀行・階段
2階の応接室や頭取室へ行く為の階段。 階段の主役である手摺柱もシンプル。
山口銀行・金庫
金庫の扉は意外と薄い。上にある小さな扉は「マンホール扉」と呼ばれ、金庫扉が故障した際に、行員が入るための非常口。明治大正期の銀行にはこの扉が存在する場合があり、このマンホール扉のない古い銀行は、金庫の造りにかなり自信があったと思われる。
山口銀行・天井裏1
コンクリートの陸屋根下地は、ワイヤーメッシュ状のデッキプレート。壁はレンガ、木造の梁という混合構造。
山口銀行・天井裏2
天井裏の様子。 1階の重い漆喰天井を支えるには、吊り木も太く間隔も狭い。
山口銀行・装飾
上: 外壁は徳山産の花崗岩。牡牛飾り・フェストゥーン(花綱飾り)などの彫刻を中心に、イオニア式&コリント式混合の柱頭飾りの柱で挟む。
下: 室内にある混合コリント式柱頭飾りも、漆喰で表現。
軍艦すずなみ
この建物の前に海があり、訪問時に護衛艦「すずなみ」の特別見学会が開催されていた。

 この建物を設計した長野 宇平治は、慶応3年(1867)越後高田(新潟上越市)生まれ、明治26年(1893)帝国大学工科大学造家学科卒業。
明治30年に日銀技師となり、辰野金吾の指導のもと日本銀行支店を手掛けました。
 大正2年(1913)に独立して長野建築事務所を開設。 横浜正金銀行青島支店(現:中国銀行青島分行)、北海道銀行本店(現:北海道中央バス本社)、三井銀行広島支店(現:広島アンデルセン)・大倉精神文化研究所(現:大倉山記念館)などを手掛け、初代・日本建築士会会長に就任。
 昭和2年から再び日銀技師となりましたが、本店増築の竣工前年・昭和12年に70歳で亡くなりました。
 
【2009年5月 撮影】


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2012.
05.10
Thu
建築年:明治37年(1904)竣工、  大正・昭和・平成に改修
所在地:神奈川県横浜市中区南仲通5-60 TEL:045-201-0926
構 造:鉄筋補強レンガ造 石貼り 地上3階+地下1階 
設 計:妻木 頼黄(つまき よりなか)、遠藤 於莵(えんどう おと)担当
開 館:9:30~17:00(16:30までに入館) 有料
休 館:月曜日(祝日の場合は開館)・資料整理日・年末年始    

正金銀行
 横浜正金銀行は、外国商人との正金(現金)による外国為替銀行の役割と貿易の増進を促すために、福沢諭吉と大隅重信の力添えにより明治13年(1880)に創設。  歴代頭取には、原六郎(勤皇志士)・高橋是清(総理大臣)・相馬永胤(専修大学創立)・白州退蔵(白州次郎の祖父)など、錚々たる顔ぶれ。 海外の主要都市に支店を設け、各国で活躍した当時の日本人達の資金の窓口となりました。
 この本店は、明治32年(1899)3月に起工し、110万円の工費と5年半の歳月をかけて完成。 ※設計者の妻木 頼黄についてはコチラ→【旧 山口県会議事堂・県庁
遠藤 於莵は帝国大学工科大学校造家学科卒業後、神奈川県技師を経て正金銀行の技師として担当。 その後は独立し、三井物産横浜支店(1911)をRC造で設計しています。
 戦後はGHQにより横浜正金銀行は解体され、昭和21年に「東京銀行」(現:三菱東京UFJ銀行)となりましたが、昭和39年に神奈川県が建物と土地を買収し、博物館として公開しています。
正金銀行2
大正12年(1923)関東大震災で、横浜の川と沿岸部の周辺に大火災が発生。 ※詳しくはコチラ→【関東大震災・横浜】 (横浜市中央図書館)
正金銀行は、鉄筋で耐震補強したレンガ造であったため倒壊は免れたものの、そのレンガ造の外壁を残し、1階~3階の内装とドームが全焼してしまいました。
行員と近隣の人々が銀行の地下に逃げ込み、総勢340人余りの命が救われましたが、建物の周りには逃げ遅れた140人近くの焼死体があったといわれます。
 大正14年(1925)復旧工事が行われ銀行が再開。 昭和42年(1967)には、神奈川県立博物館とするために改修。 平成7年(1995)には神奈川県立歴史博物館として平成の改修が行われて現在に至ります。
正金マーク
柱や窓に茨城産の御影石(花崗岩)、2~3階の外壁は神奈川産の白丁場石(安山岩)を使用
右のマークは正金銀行のもの。 ハワイや中国に現存する支店の建物を探してみては。
展示室内窓
当時の営業室は1階から3階まで吹抜けで、他の銀行と同様にぐるりと通路が廻り、さらにガラスの天窓がある開放的な空間だった。 現在は各階に床をはり、古代~近代の歴史資料展示室となっている。
 特に、明治時代に外国へ輸出した「眞葛焼」のコレクションは必見。【眞葛焼】とは、宮川香山が横浜に開窯し、花瓶などに緻密で立体的な動植物を貼り付けた、まるで飛び出す3Dの様な焼物。 常設展示されているのでぜひご覧いただきたい。
ドーム1
ドームは昭和の改修で写真を元に復元。 創建当時の屋上は防水の都合上、陸屋根ではなく銅板葺きの寄棟屋根であった。【非公開区域】 
屋根
左:物見塔にしては小さ過ぎるので、通気口&避雷針飾り?
右:火災除けのシャチホコも西洋風なドルフィン 【非公開区域】 
ドーム3
昭和の改修で造られたドーム内部:現在はモルタル床だが創建当時は木製の床で、下階に通じる階段もあったはず。【非公開区域】 
ドーム4
ドーム内の天井 【非公開区域】 
シャッター
防火シャッターは創建当時はイギリス製であったが被災し、大正の改修で国産の「大野式シャッター」(不二サッシの前身会社)を採用。 一定温度以上になると自動でシャッターが降りるという優れ物で特許を取っていた。 しかし、シャッターを上げる時は手動でハンドルを廻さなくてはいけない。【非公開区域】
階段
左:階段の鋳鉄製の手摺    右:各階の階段ホールにあるパイプシャフト(配線など)の点検口
【非公開区域】 

 地下には当時の金庫が残っていますが、博物館収蔵庫のため防犯上、ここでは残念ながらお見せできません。
唯一当時の内部が現存する場所なので、新しい収蔵庫ができれば公開したいと職員は話していますが、それも予算次第。いつか一般公開が来る日を待ち望んでおります。
なお、年に1~2回、この非公開部分を抽選により見学できますので、応募してみてはいかがでしょうか。
 ※詳しくはコチラでご確認下さい。→【神奈川県立歴史博物館

【2012年4月 撮影】


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2012.
05.03
Thu

建築年:明治42年(1909)11月    昭和53年に解体し、昭和54年に移築完成
所在地:富山県砺波市花園町1-78(砺波チューリップ公園内) TEL:0763-32-2339
構 造:木造2階 
設計施工:長岡平三(基本設計)、藤井助之焏(実施設計・監理)、松井角平(棟梁)
開 館:9~17:00(16:30までに入館)    入館料:無料
休 館:月曜日(祝日の場合は翌日)・第3日曜日・祝日・年末年始 
   
中越銀行2
 中越銀行は、岡本八平(中越鉄道・富山日報・立山酒造・出町電灯)、安念次左衛門(中越鉄道・衆議院議員)らの発起人により、明治27年創設。 その中越銀行本店が明治33年の大火により焼失した為、明治40年(1907)着工し、4万5千円の工費と2年の歳月をかけ完成しました。
創建時は黒漆喰・瓦屋根の土蔵造りでしたが、昭和5年に銅板葺き屋根に、昭和13年にタイル貼りに改修されております。
 その後、昭和18年に合併し北陸銀行出町支店として営業していましたが、昭和53年に砺波市に寄贈されて砺波チューリップ公園に移築し、昭和58年(1983)より「砺波郷土資料館」として公開されております。
 基本設計者の長岡平三は、明治32年に工手学校(現・工学院大学)を卒業し、富山の十二銀行(明治33)、金沢貯蓄銀行(明治40)などを設計。 西洋建築の知識がない藤井助之焏を実施設計者として起用する事に反対していました。 その藤井助之焏は、万延元年(1860)砺波生まれ、神社仏閣を手掛けた棟梁であり、富山県立農学校(現・南砺福野高校 巌浄閣)や、その他にも洋風建築を多く手掛けていました。
そして棟梁の松井角平は、のちに瑞泉寺太子堂を手掛けており、この建物は宮大工により造られた銀行といえるでしょう。
残念ながら訪問時に公開されていなかった金庫室の扉は、鋳物で有名な富山県高岡の鍛冶屋・二上松太郎が担当しましたが、竣工を見ることなく明治42年7月に亡くなりました。
 ちなみに、小樽には大正13年の中越銀行小樽支店の建物が現存しており、「銀の鐘1号館」というケーキ屋が営業しております。
中越銀行・内部
この銀行も吹き抜けになっており、窓を開ける為の通路がぐるりと廻る。2階の会議室は非公開。
中越銀行・天井
天井には昔の金唐革紙が残っている。
中越銀行・営業室
左:カウンター内側から見た様子。(現在は郷土資料の展示室) 当時はカウンター上を金網で仕切っていた。
右:金庫室やカウンター内部、2階に行くための扉。 左の窓には防火用引き戸の戸袋がある。
中越銀行・階段
左:表階段は幅広く、お客様や役員向けに豪華に造られている。 右:反対側の階段は職員用。
中越銀行・玄関天井
玄関・風除室の天井には、見事な漆喰彫刻が施されている。
砺波
4月末~5月始めには、チューリップフェア(入園料有料)が開催されている。※普段は無料
訪問時は、開花の遅れていた桜も満開だった。
中嶋家
園内にある旧 中嶋家(18C中頃) 式台を持つ格式のある農家。
昭和51年に文化財保護に関心のあった神田七次郎氏が、工事費用を全額負担して移築した。
中嶋家小間2
南東の角に2帖の小間を持つ珍しい形式。 囲炉裏ではボランティアさんが火をくべ守っている。

※詳しくはコチラ→【砺波チューリップ公園

【2012年4月 訪問】


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