2012.
07.29
Sun
建築年:明治40年(1907年)、 昭和10年(1935年)移築改修、 平成19年(2007)修復 
所在地:近江八幡市 為心町 中 31
構 造:木造2階建て (国の登録有形文化財)
設 計:W.M.ヴォーリズ   施 工:木曾田 梶之助
見 学:介護予防施設のため外部見学のみ
アンドリュース記念館1
 この建物は、ヴォーリズのコロラド大学時代の友人で、若くして他界したハーバート・アンドリュースの遺族からの寄付と、ヴォーリズの貯金全額を合わせ、総額3600円の工費をかけて、ヴォーリズが自ら設計した最初の建物でした。
 そして、明治40年(1907)2月10日に竣工し、「ハーバート・アンドリュース記念 近江八幡基督教育青年会館(近江八幡YMCA会館)」と命名。近江ミッションの活動拠点となりました。 
 そして、これがきっかけとなり、ヴォーリズは滋賀県立商業学校(現:八幡商業高校)の英語教師の職を失ってしまいます。
 しかし、建築事務所と「メンソレータム」の輸入販売をする会社を設立し、飛躍的に発展して行きます。 ※詳しくはコチラ→【旧ヴォーリズ邸
アンドリュース記念館2
 その後、会館は昭和10年(1935)6月、12m東側に移築し、一部改築もされています。
2階には和室と洋室があり、ヴォーリズが過ごした書斎と小部屋は、当時のまま保存され、「祈りの部屋」と呼ばれるようになりました。
 残念ながら、その部屋の写真を撮影しておりませんが、とても落ち着く場所という印象が残っております。
 昭和62年(1987)にはYMCA会館としての使命が終わっていましたが、平成19年(2007)に、「近江兄弟社 創立100周年記念事業」として保存再生が実施されました。
 そして、アンドリュース記念館『いきいきサロンヴォーリズ』となり、高齢者・障害者等の介護予防施設として、現在は利用されております。 ※詳しくはコチラ→【いきいきサロンヴォーリズ
アンドリュース記念館4
屋根は赤い瓦葺き、外壁はモルタル塗り。
八幡教会牧師館1
 YMCA会館近くにある、ヴォーリズ事務所が設計した、近江兄弟社の独身寮『地塩寮』(昭和初期に竣工)。名前の由来は、聖書の垂訓のひとつ「地の塩」からきている。
 現在は、近江八幡教会(日本基督教団)が牧師館として利用。
そばにある近江八幡教会もヴォーリズ事務所により大正13年(1924)に竣工されたが、その後、火災により焼失し、再建されている。
八幡教会牧師館2
住まいとして維持管理され、屋根瓦や雨樋も交換されている。ポーチも新しい。
八幡教会牧師館3


【2009年10月 撮影】



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2012.
07.22
Sun
建築年: 昭和6年(1931年) 
所在地: 近江八幡市土田町
構 造: 木造 (国の登録有形文化財)
設 計: ヴォーリズ建築事務所  担当:佐藤久勝
見 学: 個人宅のため非公開

前田邸01
 この建物は、ヴォーリズ建築事務所の所員であった、佐藤久勝の自邸です。
佐藤久勝は、滋賀県立商業学校(現:八幡商業高校)出身で、ヴォーリズのバイブルクラスで学んだ生徒の一人。
ヴォーリズや吉田悦蔵らとの記念写真も残っております。(滋賀ガイドのHPをご覧下さい。)
 その後、建築事務所の所員となり、大丸心斎橋店や大同生命旧本社ビルなどを担当、数々の作品を残しました。
 しかし、新居が完成した翌年の昭和7年に、肺炎のため41歳で他界。
建物は事務所の後輩であった前田重次に譲られた後、その息子さんの住まいとなっております。
※前田典夫氏は2013年5月に亡くなられました。 ご冥福をお祈りいたします。
現在は別の所有者が、大事に保存をされているようです。 貴重な建物であり、個人的にも一番好きな住宅。 その建物を残して下さった事に、深く感謝申し上げます。

前田邸03
複雑な建物の形。外壁は左官の手により素人風に仕上げている。丸いステンドグラスは後程。
前田邸04
この床下通気口だけデザインが凝っている。
前田邸07
建物の裏手。応接室のテラス窓。
前田邸08
その横にもテラスと階段の窓が。 
前田邸12
表玄関。
前田邸16
その脇にある池。 中心に噴水がある。
前田邸14
玄関 表側                        玄関 内側
前田邸19
玄関ドア左手には収納                  玄関ドア右手には網戸が収まる
前田邸2
玄関ホール左手                     玄関ホール右手
前田邸25
玄関ホール右手にあるコーナー。 手前のシェーカースタイルの椅子は佐藤久勝の物か。
前田邸27
玄関入って左側にある応接室。
前田邸30
左: 造り付けのガラス戸棚             右: 応接室の暖炉
前田邸31
左: ドアの取っ手も特注か。          
右: 丸いステンドグラスには、この建物の引越しの様子がデザインされている。
  先程のシェーカーの椅子と、大きな時計を運ぶ人物がいる。
前田邸36
玄関入って右手にある食堂。
左: 造り付けの食器棚。真ん中の引戸を開けると厨房とつながる。
右: 造り付けの椅子とテーブル。
前田邸37
食器棚の脇に暖炉があり、その上には飾り棚がある。和洋折衷なデザイン。
前田邸42
左: 玄関ホールの照明               右: 食堂の照明

 佐藤久勝はこの自邸に関して、『湖畔の声』湖声社(近江兄弟社の機関紙)の中で、 「あくせくとする日の多い自分にとってはせめて郊外に住居して、土の香に親しんで、人間味豊かな時を持ってみたいと思ったのである。(中略) 家は落成に近付いた。もう庭の手入れも遅くはない。
箱庭式の庭木は植木屋の特製に任せて私の庭木はもっともっと枝を張らせる事にしよう。
自然を損なわぬよう。宇宙の造物主の心を、よく受け入れる事にしよう。垣根のない庭が欲しいものだな。」と、書いているそうです。 この『湖畔の声』は、ヴォーリズが発行していた和訳付きの広報誌が起源。明治45年に『湖畔の声』となり、現在も発行されております。
 そして、膨大な蔵書を管理するために、昭和15年に近江兄弟社図書館が創設され、初代館長に吉田悦蔵が就任。 昭和22年に町立八幡図書館と併合され、昭和50年から近江八幡市立図書館になりました。 『湖畔の声』第1号も、貸出し禁止ですが保管されております。

【2009年10月 訪問】


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2012.
07.08
Sun
建築年:昭和6年(1931年) 
所在地:〒523-0841 近江八幡市慈恩寺町元11  TEL:0748-32-2456
構 造:木造2階 (滋賀県指定有形文化財)
設 計:ヴォーリズ建築事務所
見 学:10:00~16:00(要予約)   料 金:無 料 
休 館:月曜・祝日・年末年始・その他
交 通:JR琵琶湖線・近江八幡駅~バス10分~「鍛冶屋町」バス停~徒歩3分
ヴォーリズ邸1
 この建物は教員宿舎として竣工され、その後ヴォーリズ夫妻が晩年まで過した住宅です。
現在は「ヴォーリズ記念館」として、予約制で一般公開されております。
ヴォーリズ邸3

ヴォーリズ邸5
網戸付きの玄関は、とてもシンプル。
ヴォーリズ邸6
 ウィリアム・メレル・ヴォーリズはアメリカで生まれ、両親と共に礼拝に通ううちに絵と音楽に心惹かれ、少年時代にはオルガン奏者として活躍。 コロラド大学では哲学を専攻し、YMCA(キリスト系の青少年教育団体)の会計係や、SVM(海外宣教学生奉仕団)の書記として活動。
旅費は出なかったのですが、日本語が話せなくても良い・授業以外で聖書を教えられるという条件で、借金をして明治38年(1905)に来日しました。
 そして、滋賀県立商業学校(現:八幡商業高校)の英語教師として赴任。 明治40年(1907)近江八幡YMCAを設立し、2年の教師生活を終了。 翌年から建築事務所を開設し、明治43年(1910)ヴォーリズ合名会社を設立。
 大正8年(1919)一柳 満喜子と結婚。 大正9年(1920)会社を分解し、ヴォーリズ建築事務所、近江セールズ株式会社として設立。「メンソレータム」の輸入販売を開始します。 その後の建築事務所としての作品は、学校や教会、住宅の他、大丸心斎橋店・山の上ホテルなど幅広く、日本各地に現存しております。 一方で近江セールズ㈱は、昭和9年(1934)に近江兄弟社と改称しています。
戦時中の昭和16年(1941)ヴォーリズは日本に帰化し、一柳 米来留(ヒトツヤナギ メレル)と改名。 さらに、ヴォーリズ建築事務所を一柳建築事務所と改称。(翌年に夫妻は軽井沢に幽閉) 戦後は、マッカーサーと近衛文麿との仲介役も務めています。
そして、闘病生活ののち、昭和39年(1964)に、この自邸の2階で、83歳で亡くなりました。
 その後、近江兄弟社は昭和49年(1974)に経営破綻し、「メンソレータム」の販売権はロート製薬へ。 しかし、近江兄弟社は再建し、「メンターム」という商品を現在も販売しています。

 ※詳しくはコチラ→【ヴォーリズ

【2009年10月 撮影】

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2012.
07.01
Sun
建築年: 昭和3年(1928年) 平成18年8月~21年3月に本館を修復
所在地: 〒186-0011 東京都国立市谷保6312  TEL:042-573-3950
構  造: 本館は木造2階
見  学: 本館を「石井亮一・筆子記念館」として、イベント時のみ公開   
交  通: JR南武線・矢川駅~徒歩10分

滝乃川学園1
 滝乃川学園は、日本の知的障害児教育の先駆けとして知られ、日本初の知的障害児施設が現存しております。
創立者・石井亮一は佐賀藩士の家で生まれ、立教大学卒業後に立教女学校の教頭となりました。 濃尾地震の孤児達が人身売買されている話を聞いて女児を引き取り、明治29年(1891)下谷区西黒門町(現:台東区上野1丁目)の女医・荻野吟子宅にて「聖三一孤児女学院」を創設。
さらに、孤児の中に知的障害児がいる事を知った石井は、知的障害教育を学ぶために渡米し、エドワード・セガンの未亡人に師事。 帰国後、北豊島郡滝野川村(現:北区)で「滝乃川学園」という名で改設します。
 その後、西巣鴨村庚申塚に移転しましたが、大正9年(1920)の火災で園児6名が焼死。 再建には皇室や津田梅子らが支援し、財団法人として認可され、初代理事長・中尾太一郎の後、渋沢栄一らが就任しています。
 そして、北多摩郡谷保村にあった大隈重信別邸予定地を取得し、昭和3年(1928)に本館が新築されました。 外壁はモルタル塗リシン吹き付けで、その当時から室内階段は段差を低くしてゴムを貼り、大きな窓を設置して明るい教室としました。 屋根は、竣工当初はスレート葺きでしたが、現在は平板瓦葺きとなっています。
滝乃川学園2
 平成の修復工事では、防災設備・照明・水廻り・空調・ブラインドなど新規設備を導入。 耐震対策として、たすき筋交いや梁間に振れ止め・補助梁を新設。 照明は一部復元されたが機能はしていない。
 玄関ポーチ上部は屋根が掛けられていたが、ポーチ上を復元しFRP防水となった。 復元した内樋は実用にせず、屋根の雨水を砂利敷きの犬走りに直接落とす方式に変更。 また、雨対策のため北側1階の軒先を1尺出す変更もされた。
ホール
室内の壁は薄緑色の漆喰で、講堂のみ薄いベージュ色。 まるで床の間の様なステージ。

ピアノ
 妻・石井筆子愛用のピアノで蝋燭立てが付いている。 平成7年に発見され、明治18年(1885)横浜デーリング商会の日本最古のアップライトピアノと判明。 現在は調律され、コンサート等に使用されている。
教会2
本館と同じく昭和3年竣工。 現在は「聖三一礼拝堂」と呼ばれ、礼拝や集会に利用。
教会1

教会3

教会内1
 築地の立教女学校の隣にあった東京聖三一教会(日本聖公会:キリスト教)が母体です。 明治35年(1897)5月に献堂式でジョン・マキム師が「滝野川聖三一教会」と命名しました。
 聖公会は、イングランド国教会が発祥で、カトリックとプロテスタントの中間的な思想。 安政6年にアメリカ聖公会の宣教師が渡来したのが始まりで、キリスト教解禁後に英国・カナダの宣教師が再び渡来し、「日本聖公会」が発足しました。 この教会の名は、父と子と聖霊が一つになるという教えの「三位一体」が由来。
教会天井
 妻の石井筆子は、男爵・渡辺清(肥前大村藩士の志士)の長女で、フランスに留学経験を持ち、鹿鳴館の華となりました。
その後、華族女学校の教師から静修女学校校長となり、津田梅子と共に夫人倶楽部万国大会・日本代表になる程の才色兼備の女性でした。
結婚もしますが、障害児の子供を抱え、早くに未亡人となりました。 その子が滝乃川学園の生徒となった事で、石井亮一と出会い再婚。 昭和12年(1937)に夫が亡くなった後、2代目学園長に就任しています。

  ※詳しくはコチラ→【滝乃川学園

【2009年11月 撮影】


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