2012.
08.19
Sun
会期:2012年8月4日~8月27日
会場:グランドプリンスホテル新高輪 大宴会場 『飛天』
住所:東京都 港区 高輪3-13-1 TEL:03-3442-1111
交通:都営浅草線・高輪台駅~徒歩3分、JR品川駅高輪口~徒歩5分
料金:大人当日2,000円 (ぴあプレミアム・プリンスホテル会員優待も有り)

飛天1
 2012年8月4日~8月27日まで、『大・人形博』が開催されているという事で、品川まで行って参りました。
会場は、有名人の結婚式や歌謡祭でお馴染みのグランドプリンスホテル新高輪の『飛天』にて。
品川駅の高輪口を出て、ウィング高輪や品川プリンスホテルの横にある「ざくろ坂」を登って行くと、突き当たった右手にグランドプリンスホテル新高輪があります。
登り坂なので、ゆっくり歩くと10分程かかります
 『飛天』は本館とは別棟で表玄関の前にあり、裏口から入る場合は、階段を上がると表玄関のロビーにたどり着きます。 「飛天の建物があった!」と慌ててロビーのガラスに顔面をぶつけないよう注意。本館出口はその横にあります。
やはり裏口ではなく、暑いですが表玄関に向かった方が無難でしょう。
飛天3
 『飛天』の玄関に入ると、らせん状の幅の広いスロープを下って行きます。中心には池と噴水があり、涼しげな空間となっております。
 会場に入る前に、まずは女子トイレへ。 古さを感じますが、便座紙シートも設置され、清潔に使用できます。 ウォシュレットも普及し、それで洗った飛沫が、便座に付いている場合も多いので、紙シートやクリーナーがあると安心します。
 トイレの横にも部屋が。 椅子や洋服掛け、さらに畳が1帖。 あとはカーテンさえあれば、申し分ないでしょう。
飛天2
 いよいよ会場に入ると、豪華な天井とシャンデリアに圧倒されます。
会場は多くの女性客で賑わい、じっくり鑑賞する人も。
広さは2013㎡、天井高は7.5m~23m。フルコース用ディナー席で1650人収容。
飛天4
壁には色の違うタイルで霞を表現し、天井にはアコヤ貝を貼り付け輝きが増している。
飛天5

DOLL2.jpg
 招待作家の作品やコンテスト応募作品は撮影禁止だが、歴代リカちゃんや、バービー人形・テディベア・アンティークおもちゃは撮影OK。
DOLL3.jpg
子供が自由に触って遊べるコーナーも。
ペンダント
会場前のレセプションホール「さくら」では、工芸品などの臨時販売も。
左:金澤 啓介さんの作品(墨田区業平にアトリエが有り、近いうちにお店も出すとか)
右:大鎌 章弘さんの作品 (奈良県在住) http://www.glassstudio-hand.com
AKB人形
 この建物は、高輪ゴルフセンターの跡地に、村野・森建築事務所(村野藤吾)設計で1982年に完成。 「新高輪プリンスホテル」の宴会場としてオープンしました。
その後、ホテルは2007年に「グランドプリンスホテル新高輪」と改名されました。
 この一帯は「プリンス」と名が付くホテルが多いのですが、3ランクあり、「ザ・プリンス」が最高ランク、「グランドプリンス」が2番目、「プリンス」が3番目の格を持つようです。
品川駅「プリンス」での待ち合わせや宿泊は、間違いないように気をつけてください。
 今後も『飛天』で、この様なイベントがあれば、建物見学を兼ねて参加してみるとよいでしょう。
※詳しくはコチラ→【グランドプリンスホテル新高輪

【2012年8月 撮影】


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2012.
08.12
Sun
旧近江ミッションWハウス2
 この建物は、2世帯住宅として大正9年(1920)に竣工しました。その後は、社員のための住居「近江ミッションダブルハウス」として使われ、現在も住宅として現役です。(内部は非公開)
旧近江ミッションWハウス5
 ヴォーリズの両親は、敬虔なクリスチャンでした。父ジョンは簿記の仕事をしながら、日曜学校の図書係として働き、日曜学校の教師であったジュリアと出会い、二人は結婚します。
 その後、息子のウィリアムが日本で近江YMCAを設立し、事業でも活躍している話を聞いて、大正3年に両親が来日。60歳前後の両親がわざわざ日本にやって来た理由は、宣教師になることが夢であった、母ジュリアの影響もあるでしょう。池田町に建てた新居でヴォーリズ一家の暮らしが始まります。
 大正8年(1919)W・M・ヴォーリズは一柳満喜子と結婚。おそらくこの住宅は、両親と二人の住まいとして設計されたと思われますが、池田町の邸宅で二人だけの新婚生活を送ったようです。
そしてこの建物は、ヴォーリズの両親とヴォーリズ建築事務所の外国人技師の住まいとなりました。
 来日後、父ジョンはヴォーリズ合名会社で経理として働いておりましたが、大正14年に亡くなり、葬式は八幡教会で執り行われました。
母ジュリアも、日本の女性達に料理等を教えていたようですが、戦時中は息子夫妻と共に軽井沢に疎開し、終戦後まもなく亡くなったようです。
 終戦後、昭和天皇が戦犯にならぬようW・M・ヴォーリズが奔走し、天皇からお礼の言葉があったそうで、母ジュリアが亡くなった事に対しても、お悔やみの一言があったと思われます。
 その後、W・M・ヴォーリズ夫妻と両親は、恒春園(近江兄弟社霊園)に葬られ、訪れる人も少なくありません。
旧近江ミッションWハウス4
閉鎖的な玄関ポーチに窓を設置し、通気と明るさを確保している。
旧近江ミッションWハウス1
瓦も当時の物と思われる。
旧近江ミッションWハウス5
裏手に和館が増築されている。
旧近江ミッションWハウス7
通用門の脇に、猫の出入口が・・・。板でふさがっているため、竣工時の物かは判断できない。
旧岩瀬医院
 こちらは、近江八幡市永原町にある「旧岩瀬医院」昭和8年(1933)。隣の和館と渡り廊下でつながっており、その和館もヴォーリズ建築事務所の作品だという。
 現在は村田家の住まいとなっており、医院の建物は使用されていない。

【2009年10月 撮影】


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2012.
08.05
Sun
旧八幡〒1 
 この建物は大正10年(1921)に竣工し、昭和36年(1961/4/10)に、八幡郵便局が宇津呂町へ移転するまで使用。
その後、しばらく空き家となっておりましたが、NPO法人「ヴォーリズ建築保存再生運動 一粒の会」事務所となり、平成16年(2004)に玄関部分が復元されました。
旧八幡〒3
木造2階建て。 今後も一粒の会により修復が行われる予定。
旧八幡〒4
屋内では、ヴォーリズに関する展示やイベントを開催。  ※詳しくはコチラ→【一粒の会
〒523-0862 滋賀県近江八幡市仲屋町中8 近江八幡駅~徒歩20分 or 「大杉町」バス停
 13:00~16:30(土休日は変更あり) 休館:火曜日  TEL:0748-33-6521

八幡商業高校1
 こちらは、滋賀県立八幡商業高等学校の建物です。
ウィリアム・メレル・ヴォーリズはアメリカで生まれ、コロラド大学では哲学を専攻し、YMCA(キリスト系の青少年教育団体)の会計係や、SVM(海外宣教学生奉仕団)の書記として活動。
旅費は出なかったのですが、日本語が話せなくても良い・授業以外で聖書を教えられるという条件で、借金をして明治38年(1905)に来日しました。
 そして、滋賀県立商業学校(現:八幡商業高校)の英語教師として赴任。
明治40年(1907)近江八幡YMCAの設立が原因で、2年の教師生活を終了しました。
 しかし、ヴォーリズは建築事務所と「メンソレータム」の輸入販売をする会社を設立し、それは飛躍的に発展して行きます。
 ヴォーリズ事務所は学校の設計も数多く手掛けており、昭和15年(1940/11/23)には、滋賀県立商業学校(現:八幡商業高校)本館が竣工。
その後、昭和62年に改修、平成20年に耐震改修されております。
八幡商業高校2
初案では、建物の中心は他と同じ高さのデザインだったが、屋上出口のため高くなっている。
八幡商業高校3
 所在地:近江八幡市宇津呂町10   近江八幡駅~徒歩25分 or 「中村町」バス停
 見 学:敷地・校舎内の立入りは許可が必要。 TEL:0748-32-2072
  ※詳しくはコチラ→【滋賀ガイド

【2009年10月 撮影】


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