2012.
09.30
Sun
建築年:江戸後期(19世紀中頃)、一部改修あり 
所在地:新潟県上越市仲町4-6-7  
構 造:木造2階建て 
見 学:土日に不定期公開   TEL:025-526-6903(上越市文化振興課)
料 金:無料
交 通:えちごトキめき鉄道・高田駅~約200m

旧金津桶店
 この建物は高田の仲町通りにある町家で、桶職人の住いでした。
この一帯は城下町の中でも桶職人が住んだ区域で「桶屋町」と呼ばれ、桶屋が49軒・籠屋が2軒あったと記録されております。
しかし、プラスチックの普及にともなって桶の需要がなくなり、2軒だけ残っていた桶屋も昭和末期に金津憲太郎氏が亡くなって、現在は1軒(金津光雄氏)だけとなってしまいました。
旧金津桶店 室内1
この建物には金津憲太郎夫人が暮らしておりましたが、平成12年に亡くなったあと、遺族の厚意により上越市に寄贈されました。
旧金津桶店 室内2
 店の前の私有地には、通行客の通り道となる『雁木』が設けられ、その上は部屋や作業場として利用される場合もありますが、この家では収納となっていたようです。
間口三間に奥行の深い造りで、仕事場の奥には茶の間・座敷があり、玄関から裏庭まで土間の通り庭でつながっています。
そして平成10年代まで住宅として使われながら、水周りは昔ながらの状態を保っています。
   ※詳しくはコチラ→【旧金津憲太郎桶店
旧金津桶店 台所
左:通り庭にある台所に懐かしいポットが     右:台所の流しも石造り
旧金津桶店 便所風呂
左:木製便器も住人が使っていた物。 復元ではない!「ボットン便所」&ちり紙の組合せもベスト
右:風呂桶は歳を取った夫人には湯船をまたぐのが大変であったろう
旧金津桶店二階
座敷二階は客人用
旧金津桶店 表
昭和50年の桶組合の価格表:上記の風呂桶だと53,000円
高田小町
 高田には、江戸から大正にかけての古い町家が所々に残る。
本町通りにある『旧 小妻屋』は、明治時代の町家を再生し『高田小町』として、イベントや集会・ギャラリーとして利用されている。
冷暖房も効いているので、散策の休憩所として最適。 裏手に無料駐車場も有り。
近くには旧今井染物店旧金津憲太郎桶店高田 世界館がある。
 開館:9時~22時。 休館:祝日を除く第4月曜日と年末年始。TEL:025-526-8103
高田館
高田小町に展示されていた大正初期の古写真。 『高田館』という建物の用途は不明
よく見ると左右の塔の形が違う。
肉
 本町通りにある明治28年の建物はかつて牛鍋屋『牛丸』であった。 現在は「大島電機㈱」という電気屋。
当時は陸軍第13師団がよく利用し、密談に使われたドンデン返しの部屋もあったという。
※ 第13師団についてはコチラを参照⇒【旧師団長官舎
 今回 8月の暑い最中、旧今井染物店と旧金津憲太郎桶店の案内をして下さった、上越市文化振興課・小沼氏には、大変感謝しております。
誠にありがとうございました。

【2012年8月 撮影】


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2012.
09.23
Sun
建築年:江戸時代後期(19世紀中頃)、改修あり 
所在地:新潟県上越市大町5-5-7  
構 造:木造2階建て 
見 学:不定期公開  TEL:025-526-6903(上越市文化振興課)
料 金:無料
交 通:えちごトキめき鉄道・高田駅~徒歩15分位  ※詳しくはコチラ→【旧今井染物店

今井染物店
 この建物は高田に現存する最古の町家で、藍染屋でした。
当初の建物の外壁は板貼り・屋根は石置き板葺きでしたが、近年になり金属貼りとなりました。
さらに隣家を購入し、壁を取り壊して間口を広げ、奥座敷と小間を増築して水周りも改修されています。
今井染物店内
ここでは映画『ふみ子の海』のロケ地として、師匠の下で主人公が修行するシーンが撮影された
今井染物店茶の間
茶の間:茶箪笥の上には神棚
今井染物店床の間
床の間の裏には、「前二階」へと上がる階段。
立ち入り禁止となっていたが、上越市文化振興課 職員の案内で「前二階」を拝見。
今井染物店2階
左:茶の間は吹抜けになっており、上部の窓からの採光で冬でも明るい。
右:雁木の上にある「前二階」は、作業場として使用された。
  敷居の位置が、隣家を買い足して壁を抜いた部分。
今井染物店土間
屋根がある土間の通り庭は、藍染の作業場として冬場にも重宝された。
今井染物店蔵・瓶
左:通り庭にある土蔵
右:1つだけ残る藍染の瓶。 藍は25度位に温めないと発酵せず、炭などで温めて育てる。
今井染物店脱水機
銅製の手回し脱水機は近年の物。現在でも同じ形式の機械を使っている洗濯屋がある。


 江戸時代の高田は城下町であり、加賀藩前田家も参勤交代で通った加賀街道や、奥州街道への分岐点もあり、交差点をカギ状にして一気に攻め入られぬような町作りがなされています。
そして、城の周辺に武家地、その外側に町人地、山側に寺社地と区分けしていました。
町人地は間口が狭くて細長く、隣家と接しているのですが、建物に坪庭と天窓を設けて光と風を取り入れ、快適な空間としました。
さらに裏庭と水路がある事で畑を作っても水やりには困らないですし、冬には雪下ろしの場所となって、春には雪解け水が水路へと流れていきます。
この裏庭には塀がなく、開放的な空間となって畑や子供達の遊び場になり、火災時には延焼を防ぎ、現在は各家庭の駐車場となっています。 今後の参考と成りうる町並みの構成でしょう。
雁木
 家の前(私有地)には『雁木=ガンギ』を設け、雨や強い日差しから通行客を守りました。
記録によると『雁木』は寛保3年(1743年)には存在しており、現在はアーケードを含めた総計が16km以上有り、日本一の長さとなっております。
沿岸は海風により雪が積もらないのですが、ここ高田は雪溜りの多雪地帯です。 昔は除雪機もなく、屋根の雪下ろしをすると、通りには3m以上の雪が積もりました。
冬の間は曇り空か雪の降る毎日、雪に閉ざされた雁木は外部よりも温かく、人々の暮らしを支えてきました。
現在も規定の積雪量に達すると道路を封鎖し、一斉に屋根の雪下ろしをしているそうです。
ただし、年寄りの家庭では人に頼むしかなく、その費用もかさみます。
維持管理できずに建替えたり手放してしまい、高田は古い町家が少なくなってしまいました。

旧今井染物店が建つ大町通りには、現在は毎月の4と9の付く日に「四九市」という朝市があり、正午まで出店が並ぶので散歩がてら歩いてみてはいかがでしょう。
 
【2012年8月 撮影】


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2012.
09.16
Sun
建築年:明治44年(1911年)、改修あり 
所在地:新潟県上越市本町6-4-21  
構 造:木造2階建て 
設 計:野口 孝博
交 通:えちごトキめき鉄道・高田駅~徒歩10分

高田世界館
 この建物は、高田の本町通りにある現役の映画館です。
ここ高田は越後高田藩の城下町であり、武家町・寺町・職人町・花街と区分けされておりました。 そして、明治41年(1908)高田城跡に陸軍第13師団が転営してくると、娯楽施設が必要となり、明治44年に高田の表通りに、芝居小屋「高田座」を開館して大衆演劇などを上演。
 ※第13師団長の建物についてはコチラ⇒【旧 師団長官舎
 その後 映画館となり、東宝・松竹・テアトルと名前を変え、最後は「高田日活」として成人映画などを上映していましたが、2009年3月で閉館。 現在はNPO法人「街なか映画館再生委員会」の運営により、保存活動と映画の上映が実施されております。
 ※詳しくはコチラ→【街なか映画館再生委員会
高田世界館1
 谷口正晃監督の映画「シグナル~月曜日のルカ」高田がロケ地となり、この世界館も登場。
「CINEI KAN」の看板は、映画「シグナル」の撮影に使われた物で発泡スチロール製。 しばらくそのままにしておくのだとか。
高田世界館4
表通りの券売場は閉鎖されている。 この通路の奥に映画館の出入口がある。
高田世界館2
裏手にある儀明川から見た世界館。トタンが張られてまるで倉庫の様。
高田世界館内4
映画館内部:天井飾りには当時どの様な照明が吊り下げられていたのだろう。
高田世界館内3
2階には古い椅子も残り、シートを貼り直して再生している。
高田世界館内2
左:2階席の階段から見ると、奥に映写室がある
右:階段の手摺親柱は、芯材の周りに桶の様に板を巻き、モルタルで塗り固めている
高田世界館映写機
映写機は、クセノン水平点灯型ランプハウス(日本ジーベックス製1976年型)2000W
この映写室の木の床板には、フィルムからの飛び火を防ぐ為にブリキが貼られている
高田世界館映写室
映写室の休憩所:夏は物凄い暑さで、玉のような汗が吹き出てくる
高田世界館内1
1階にある事務所の奥には、舞台へ向かう通路がある
高田世界館売場
 この映画館の持ち主・熊谷栄美子さん。「この場所に座ると落ち着くんですよ。」と、嫁に来てからずっとこの席で券を切ってきたとか。 映画全盛期の頃は、表の窓口で券を販売し、ここで奥様が券をもぎっていたそう。
うだるような猛暑の中、ご案内して下さった奥様に大変に感謝しております。 そして、これからも末永く映画館として活用される事を、心よりお祈りしております。

【2012年8月 訪問】


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2012.
09.02
Sun
上越市立総合博物館
所在地:新潟県上越市本城町7-1(高田公園内)  TEL:025-524-3120
開 館:9:00~17:00  
休 館:月曜(祝日の場合はその翌日)・年末年始・展示替え
入館料:有料(小林古径邸との共通券も別途あり)
交 通:えちごトキめき鉄道・高田駅or直江津駅~バス停「高田公園入口」下車~徒歩5分

※上越市立総合博物館はリニューアル工事のため2016年11月から長期休館中。 OPEN予定は平成30年(2020)夏頃。
※詳しくはコチラ→【上越市立総合博物館
高田堀
 上越市立総合博物館で開催されていた、斎藤真一「GOZE」展(2012/6/23~9/2)へ、行ってまいりました。
ここ高田は、古くは上杉謙信の領地であり、のちに越後高田藩となって家康の六男・松平忠輝が城を築きました。
伊達政宗が総監督となって堀と土塁を設け、慶長19年(1614)に三階櫓を建立。 加賀藩前田家を睨む重要拠点でありましたが、泰平の世に入ってからは大名の転封先となりました。
明治3年(1870)三階櫓と御殿が焼失。 戦時中には陸軍駐屯地として土塁が壊され堀が埋め立てられました。
現在はその高田城の跡地に博物館が建てられ、残った堀には夏に蓮の花が、春に桜が咲く観光地となっております。
雁木
 昭和36年(1961)斎藤真一は、藤田嗣治の勧めで東北を旅した時に三味線の音に心惹かれ、宿の古老から「瞽女」の話を聞きます。
瞽女(ごぜ)とは、病気等で視力をなくした女児が師匠に弟子入りして三味線と唄を覚え、村々を門付けして歩いた女性達の事です。
最近では、綾瀬はるかさん主演の映画「ICHI(2008年公開)」のモデルとなった事で知られています。
 新潟には明治以降も瞽女が残り、この高田には明治34年に約17軒の親方(師匠)の家があり、弟子と生活を共にしました。
入門して7年目で「姉さん」と呼ばれて一人前に、10年目で年期明け、13年目で親方となり弟子を取りました。
通常3人位で1組となり巡業しますが、掟破りをした者は「はなれ瞽女」となり、1人で旅しなくてはいけません。
峠を渡り、信州の上田や佐久まで巡回。 時には出稼ぎ漁に同行し、北海道で巡業したといいます。 一度旅に出ると2ヶ月近くは戻らず、年に300日も旅していたそうです。 
各地では瞽女宿と呼ばれた庄屋等の農家が無償で食事と寝床を提供し、瞽女は村人達に三味線と唄を聞かせました。
 その後、農地改革・文化の変貌により、瞽女が激減。 ここ高田でも、杉本キクイと弟子2人による、昭和39年の巡業が最後となりました。
その巡業で、斎藤真一は高田瞽女最後の親方と出会い、思い出を聞き、瞽女の軌跡探訪の旅が始まります。
そして「瞽女」の一連の作品を完成。 ・・・その作品とは、瞽女の表情と強烈な赤色に思わず心が惹かれ、一度見ると忘れられなくなるものです。
さらに今の時代がどれだけ幸せか、改めて考えさせられるでしょう。
斉藤真一「あげ石~一覧」
 このたび池田敏章氏のコレクションが、瞽女にゆかりのある上越市に寄贈されました。
今後も一部が展示されるはずですから、高田に行った際は見ておくべきでしょう。
次回は、隣接している吉田五十八作【小林古径邸】をご紹介いたします。
斉藤真一「ごぜ歌」
「ごぜ歌」 ※絵葉書より引用

【2012年8月 訪問】


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2012.
09.01
Sat
建築年: 昭和6年(1931年) 
所在地: 〒523-0851 近江八幡市市井町177  
構 造: 木造 
設 計: ヴォーリズ建築事務所
見 学: 13~16:00(月水金)、10~15:00(火木)、13~16:00(土休日) 料金は無料
     平日10~16:00、土休日13~16:00、 料金は有料   詳しくはコチラ⇒【ハイド記念館
    「ハイド記念館」のみ一般公開。 ☎0748-26-6683(ヴォーリズ精神継承委員会)    
     ※その他の建物見学にはヴォーリズ学園の許可が必要です。
休 館: 夏季・年末年始・その他    
交 通: JR琵琶湖線・近江八幡駅~近江鉄道バス~「学園前」バス停下車

近江兄弟社学園2
 この建物は、昭和6年にアルバート・アレキサンダー・ハイド(メンソレータムの創業者)の夫人からの寄付により竣工しました。
そして、2003年3月まで「清友園」幼稚園として使用された後、現在は「ハイド記念館」として一般公開されております。
建物はヴォーリズ学園・市井校地の中にあり、私立校の施設の一部となっています。
旧清友園01
旧清友園の玄関:車寄せの様に立派で、数組の親子が来ても雨に濡れない心配り。
外壁下部は板張り、上部はモルタル塗りスタッコ仕上げ、屋根は瓦葺き。
旧清友園06
園児向けに、低くて扉のないロッカーが1階廊下に並ぶ。
旧清友園10
遊戯室:暖炉上の写真は、若き日のヴォーリズ(一柳)夫妻。
旧清友園11

近江兄弟社学園4
旧礼拝堂(現・教育会館)もヴォーリズ事務所が設計。(昭和6年竣工)
このホールで昭和12年(1937)にヘレン・ケラーが講演している。
近江兄弟社学園11
旧礼拝堂(現・教育会館)の裏側
近江兄弟社学園6
旧礼拝堂(現・教育会館)は現在は講堂として活用。 学生が使用している為、見学には許可が必要。
近江兄弟社学園7

近江兄弟社学園15
教育会館の裏手に、小学校「グロリア館」も現存。 こちらは昭和31年(1956)竣工。
 ※詳しくはコチラ⇒【ヴォーリズ学園

 清友園を創設した一柳 満喜子は、播磨小野藩主11代で子爵・一柳末徳の三女として明治17年(1884)に生まれ、女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)で津田梅子に学び、神戸女学院卒業後にアメリカのブリンマーカレッジに留学し、キリスト教の洗礼を受けた後、帰国して女子英学塾(現・津田塾大学)で教員となります。
 そして、実兄の住まいの設計をヴォーリズが担当した際に、キリスト教徒である満喜子が通訳となった事で親しくなり、大正8年(1919)に2人は結婚します。
ちなみに実兄の廣岡恵三は、廣岡浅子の娘婿であり、大同生命保険や大阪電気軌道(現・近鉄)の社長となり、大同生命旧本社ビル(1925-1990)も、ヴォーリズ事務所が設計しております。 また、廣岡浅子(※詳しくはコチラ⇒ 旧成瀬仁蔵住宅 )も洗礼を受けており、大正8年に亡くなるまで日本YMCAの委員を務めていましたので、ヴォーリズとも交流があったのでしょう。 
 結婚の翌年に、妻の満喜子が池田町でプレイグラウンド(保育所)を開設。 大正11年(1922)に「清友園」幼稚園として認可されます。
その後は、小中高一貫のキリスト系の私立校として拡大。 一柳 満喜子は、ヴォーリズを看取って5年後の昭和44年(1969)に亡くなりました。

教育会館側の門から100m程の所にヴォーリズ夫妻が住んでいた住宅があり、現在は「ヴォーリズ記念館」として予約制で一般公開されております。  ※詳しくはコチラ→【旧ヴォーリズ邸

【2009年10月 訪問】


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