2012.
10.28
Sun
所在地:東京都文京区目白台3-25-14
見 学:10:30~18:00(予約制)  休 館:日・月・年末年始  
料 金:コースによる。    TEL:03-3941-0008
交 通:東京メトロ護国寺駅~徒歩3分

オルゴール博物館
 只今「妙技!オートマタ」展(2012/11/10まで)が開催されているとの事で、オルゴールの小さな博物館へ行って参りました。
『オートマタ』とは、ゼンマイで動くからくりオルゴール人形で、その精密な作りの為かなりの高級品であり、上流階級の大人達の楽しみとして、19C後半~20C初めにかけて多く作られました。
 私が、その『オートマタ』を知ったのは、今から20年以上前の都内の西武百貨店で開催された『オートマタ』の展覧会でした。全国のコレクターから寄せ集めらた人形達が、一堂に勢ぞろいした大規模な展覧会でしたが、もちろんガラスケースに入った状態です。
さらに、その中で実際に動かしていたのは僅か数体のみ。他はビデオで見るだけのものでした。
 今回は偶然この企画を知り、この博物館へ行ってみようという気持ちになりました。
HPを見てみると、何と30周年である2013年5月15日に閉館してしまうとの事ではないですか!
慌ててネットで、申し込みをしました。
 この博物館は少し変わっていて、演奏会コース(1300円)か博物館コース(2000円)に申し込まないと、展示を見学できないシステムとなっております。
さらに、マニア向けの館長コース(時間は無制限3500円)というのもあるようですが、予約で一杯。
私は、2つがセットになった演奏会&博物館コース(2800円)に予約をしました。
オルゴール博物館1
 まずは、受付で博物館グッズの土産をもらい、1階にある演奏ホールへ。
シリンダー式・ディスク式・パイプ式・オートマタなどのオルゴールが並んでいました。
参加者は6~7名ですので、スタッフの解説と共に、間近にそれぞれのオルゴールの動きと演奏を楽しむことができました。
オルゴールの博物館4
1階の演奏ホールに置いてあったオートマタ。
左:2匹の猫達が演奏する。    右:少女の持つバスケットの蓋が開いて犬が動く。
オルゴール博物館4
 次は6階にある展示室へ。ガラスケースに入っていない人形達がずらりと並べてあります。
驚いたのは、スタッフがオートマタを実際に動かし始めた事。 何と次から次へと殆どのオートマタを動かして下さったのです!
 さらにストリートオルガンのコーナーでは、参加者による体験も。
オルゴール博物館5
左:ファリボア工房(フランス)1870年頃の作品。 少女が綱渡りをする。
右:水煙草に火を点けると、口から煙が出てくる。 皮を貼った瞼の動きもリアル。
オルゴール博物館3
1900年頃のジオラマで13箇所が動く。 本来はガラスケースに入っている物。
下:ジオラマの裏側。からくりの仕組みがよくわかる。

 最後は、5階にあるカフェで自動ピアノの演奏を楽しみながらお茶を味わい、ゆったりと終了となりました。
「小さな博物館」と聞いていたので期待はしていなかったのですが、思ったよりも広くて、所蔵数も350台以上と多く、壁一面にある交換用のシリンダーやディスク盤(計4千曲以上)の数に驚くことでしょう。
 来期は「クリスマス特集」(2012/11/13-12/24)という事で、また一味違ったオルゴールの楽しみがあるでしょう。 是非とも訪れて頂きたい博物館です。
 ※詳しくはコチラ→【オルゴールの小さな博物館

 この博物館は、残念ながら2013年5月15日で閉館となってしまいました。
いつか、この博物館が復活する事を願っております。


【2012年10月 訪問】




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2012.
10.14
Sun
建築年:煉瓦蔵は明治38年、店舗は昭和6年  
所在地:福島県喜多方市字3丁目4786
構 造:レンガ造、木造 2~3階建て (国指定登録有形文化財)
施 工:田中 又一 ほか
見 学:10時~16時。 TEL:0241-22-0010
交 通:JR喜多方駅~徒歩10分位

若喜商店
 市役所通りの角に建つ若喜商店は、宝暦5年(1755)創業。 現在の当主は11代目。
明治38年の煉瓦蔵と昭和6年の店舗の他に、蔵など数棟が現存。
 一部の蔵は、駄菓子と和雑貨などを販売する「昭和館」や、赤べこや合格ダルマの絵付け体験(予約制)ができるスペースに改装されております。
 ※詳しくはコチラ→【若喜商店
 そして、煉瓦造の二階蔵は客用の座敷として、隣の三階蔵は道具類を保管。
木造の醸造所では、現在も味噌や醤油を製造しております。
 蔵座敷は通常、ガラス越しの見学となっていますが、今回は大女将さんの御好意により、特別に1階の「縞柿の間」を拝見させて頂きました。
若喜商店・蔵座敷
2階蔵の内部が、客用の蔵座敷となる。
若喜商店・床の間
1階は「縞柿の間」と呼ばれ、柱・長押など全てが柿材を使用。
若喜商店・戸棚
飾り棚の地袋の中まで柿材。 3つの引手がある下枠は、底の浅い抽斗となっている。
若喜商店・天井
天井板も柿材。高級品をこれほど使用した例はない。
若喜商店・敷居
敷居まで柿材。 ゴルフクラブのヘッドに使われる程の硬さで、敷居には向いている。
若喜商店・物入れ
絵の後ろは、物入れになっている。
若喜商店・絞り機
醸造所にあるプレス機。 布にもろみを包み、醤油を絞り出す。
下に積んである布の全てが、一度にプレスできる。
若喜味噌

 喜多方では、明治13年(1880)に、170戸300棟を焼失する大火が発生し、土蔵が焼け残った事から、人々は建物の防火性に着目します。
 その当時、日本各地に洋風建築が建てられ、煉瓦造の建物は近代化の象徴でした。
すでに銀座では、明治5年の大火の後、明治6年に煉瓦街が完成しており、煉瓦造は防犯・防火性に優れ、当時の最新技術として、蔵にも最適と考えられました。
 さらに、明治29年(1896)に、郡山~若松~新津を結ぶ、岩越鉄道(現・JR磐越西線)の建設が開始。鉄道のトンネル建設に、大量の煉瓦が必要となりました。

 そして、瓦職人・樋口市郎は、三津谷集落のそばに登り窯を構え、煉瓦の需要を見込み、釉薬煉瓦を開発し生産を開始します。
新潟・亀田出身の樋口は、明治23年に27歳でこの地に移住してから、生産に適した良い場所を見つけるまで、この若喜商店に住込みで働いたと云われております。
 さらに、煉瓦職人として清水組の仕事をしていた田中又一が、その技術を持ち帰った事から、この喜多方の街にも煉瓦造の建物が建てられるようになりました。

 その後、岩越鉄道は明治31年(1898)に郡山駅~中山宿駅が開通し、翌年には若松駅、明治37年(1904)には喜多方駅まで開通しました。
 そして、若喜商店の煉瓦蔵は、この2人の職人により明治38年に完成したのです。
※詳しくはコチラ→【若菜家
若喜商店・出窓
 一方、昭和6年の店舗は、喜多方出身の本間嘉平の設計と云われております。
 本間嘉平は、昭和38年(1963)に大成建設の社長となり、昭和42年に日建連の初代会長に就任しています。
 この店舗は、戦時中の物資統制により一時的に閉鎖し、戦後も富士銀行・喜多方支店がしばらく使用していました。
若喜商店・大女将
今回、特別に案内して下さった大女将・冠木 恒さん。
感謝しております。ありがとうございました。

【2012年8月 撮影】


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2012.
10.07
Sun
建築年:明治43年~大正10年(1910~1935)、一部改修あり 
所在地:福島県喜多方市岩月町三津谷3819  
構 造:レンガ造 1~3階建て (国指定登録有形文化財)
施 工:田中 又一ほか
見 学:個人宅なので在宅しているか確認した方が無難。 TEL:0241-22-9459
料 金:大人200円
交 通:JR喜多方駅~平沢行きバス~三津谷バス停~約350m

若菜家・3階蔵2
 喜多方駅から車で旧米沢街道に向かい、5kmほど進むと、田園が広がる一帯に4~5軒の集落が見えてきます。 2軒隣にあるラーメン屋『赤れんが』(こちらも煉瓦蔵)の看板を目標にした方が、分かりやすいかもしれません。
三津谷集落にある煉瓦造の古い建物は、煉瓦職人として清水組の仕事をしていた、田中又一の作と云われております。
 若菜家は、現在の当主が10代目となる農家で、米・ぶどう・野菜などを生産販売しています。
若菜家・蔵5
 左側が3階蔵で大正5年(1930)建造。 家財道具の倉庫として利用。
扉が重いので開ける事が出来ないが、普通の倉庫として家財がたくさん入っていた。
右側が蔵座敷で大正6年(1931)建造。
若菜家・3階蔵ポーチ
3階蔵の玄関ポーチは格天井。 アーチの煉瓦は台形に削られ、本格的に造られている。
若菜家・蔵座敷床の間
蔵座敷内部。柱や鴨居などは欅材に漆塗り仕上げ。客間・隠居部屋として利用されていた。
若菜家・蔵座敷天井
上:欄間の細工も細かい。   下:天井も欅材で漆塗りと豪華。
若菜家・蔵座<br />敷中
昭和のかおりがする室内。
若菜家・蔵座敷飾り棚
この蔵座敷を造った4代目当主は、手前にある炉で客人に茶を呈したという。
若菜家・農作業蔵
農作業蔵:明治43年(1910)建造。当初は脱穀・精米・穀物や飼料の倉庫として使われていた。
若菜家・作業蔵外
農作業蔵の下屋は昭和7年に増築。 雨でもこの場所でわら細工等の農作業をしていた。
若菜家・農作業蔵1階
農作業蔵の内部は、平成になると食堂として使われたため内部は改装されている。
若菜家・作業蔵二階
トラス式の洋風な小屋組。   改装後は、2階は52帖の座敷となっている。 
若菜家・味噌蔵
 味噌蔵:大正10年(1935)建造。 左側の部屋は、自家栽培の米で味噌を仕込んだ蔵。
現在も自家用として味噌を仕込んでいる。
右側の部屋は、昔、炭の保管庫として利用。 現在は資材庫。
若菜家・味噌蔵入口
味噌蔵の銅板が貼られた扉を閉めると、防犯・防火性がさらに増す。
若菜家・デティール
上:3階蔵の通気口。
中:味噌蔵入口の煉瓦の庇も素晴らしい。
下:3階蔵の軒裏のデザインも凝っている。
三津谷の登り窯
 750m先にある若菜家の奥さんの実家が、昔 煉瓦生産をしていたというので行ってみました。
ここは、『三津谷の登り窯』として近代化産業遺産・喜多方市指定有形民俗文化財に登録されています。 良質の赤土と大量の薪が手に入るこの地で生産された煉瓦は、喜多方にある明治~大正の蔵に使用されました。

 残念ながら内部を見ることが出来なかったので、解説板を要約すると・・・。
「新潟・亀田出身の樋口市郎が、明治23年に27歳でこの地に移住し、7室の登り窯を築造。
そして、寒冷地対策として益子焼きの釉薬を使用した煉瓦等を考案。
大正時代になると、二代目の喜一が登り窯を10室に改造。
焚口3、全幅5.1m、全長18m、1回で約1万個の煉瓦が生産可能になった。
しかし、明治~大正までが最盛期で、昭和45年には閉窯。
昭和57年に文化財指定された事で再び開窯され、『市郎窯』と呼ばれている。」
 
 樋口市郎の生まれた新潟の亀田周辺には、安田瓦(安田町)の生産地があります。
樋口市郎が改良棟瓦の特許を取っている事から、安田で修行したと考えられます。
そして、寒冷地の瓦技術を元に、釉薬煉瓦が生み出されたのかもしれません。

登り窯の所在地:喜多方市岩月町宮津字火付沢3567(喜多方市高齢者生産活動センターの隣)

※登り窯の見学は、観光ガイド等の同行が必要となります。
 見学希望の方は喜多方観光協会(電話0241-24-5200)まで

※平成20年から数年に1回位で、煉瓦作りを体験する企画が実施されているようです。
登り窯の煉瓦作り体験などの問い合わせは・・・三津谷煉瓦窯再生プロジェクト事務局
〔喜多方蔵のまちづくりセンター(NPO法人まちづくり喜多方)Tel:0241-22-5546〕へ。

【2012年8月 撮影】
 
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