2012.
11.25
Sun
建築年:昭和30年(1955年) 
所在地:千葉県 市川市 市川4-1-5  TEL:047-373-1003
構 造:木 造 (国の登録有形文化財)
設 計:ヴォーリズ建築事務所
交 通:京成本線・国府台駅~徒歩5分、JR総武線・市川駅~徒歩15分

市川教会
 ヴォーリズ建築事務所の設計による建物が、真間川の傍にひっそりと建っております。 ※ヴォーリズについてはコチラを参照→【記事
市川市は東京の隣にあり、物価も安くアクセスも便利で住む人が増え、現在は巨大な街となっています。
北部にある市川や八幡は、旧石器時代の遺跡や貝塚が発見されるほど遥か昔から人が住んでいた地域で、明治以降は富豪が別邸を構え、永井荷風や北原白秋などの文化人が多く住んでいました。
南部は昔は海だった場所で、海抜が下がってから人が住むようになり「行徳」と呼ばれ、採れた魚介類や塩などを川を使って江戸へと運び、佐倉街道沿いは成田山参りの宿場町として栄えました。
この教会は北部に位置し、建物前にある真間川は、万葉集にも詠われた手児奈伝説の「真間の入江」跡と云われております。
市川教会・塔屋外部
 ルーテル教会は、1517年にマルチン・ルターが、「聖書のみ、恵のみ、信仰のみ」と、ローマ・カトリック教会に対し、正しい福音信仰に立ち戻る事を訴えてドイツで誕生。 後に、北欧・アメリカにも広がり、全世界に存在するようになりました。
日本では、アメリカのルーテル教会から1892年に最初の宣教師が送られ、翌年に宣教師シエラーとピーリーにより九州の佐賀で礼拝したのが、ルター派の伝道の始まりと云われています。
市川教会・内部
 昭和30年に建てられたルーテル市川教会が2011年の震災による被害を受け、教会と信徒から依頼を受けて、補修と耐震補強が行われる事になりました。 設計監理は伝統技法研究会が担当し、僅かな予算による工事が計画されました。 
 その後、自治体から補助金が一部支給される事となり、2011年に工事を開始。 2012年10月に工事は完了し、先日、完成後の教会内で伝統技法研究会の研修会が開催されました。
 設計を担当した伊郷氏・衣袋氏によると、主な構造材を残して床を解体、2011年11月から杭工事を始めたのですが、川沿いの地盤の為、50cm土を掘ると水が出てくる状態だったそうです。 今回の耐震補強は、基礎はアンダーピニング工法で沈下を防ぎ、筒状の物を全面に並べて配筋で挟み、ベタ基礎としています。 さらに、既存柱に鉄骨を合わせてバットラスの様に仕上げたり、階段廻りに鉄骨の補強柱を入れています。
 腐朽のひどかった箇所は、煙突下部・トイレや神父の小部屋、細長い窓の床下周辺。 窓の下にある水切りが、3方枠の内側で切れていたためか、窓枠を伝わった雨水が壁の内部にまわり、土台等が腐ってボロボロになっていたそうです。
 また、堂内の腰壁(ラワンベニヤ)や漆喰壁は新しくなりましたが、聖壇の腰壁は既存のまま。 天井仕上げのテックス(軟質繊維板)は当時の物で、白くなった所は色付けして補修。 照明は竣工当初から蛍光灯でしたが、LEDに変更。 屋根は赤茶色の瓦葺きでしたが、今回は予算の都合上、カラー鉄板葺きとなっています。
 その他は大きな腐朽もなく、床材などはそのまま使っており、完成後の床を見ても基礎を造り直したとは思えない程。 よって当初との違いは、外部に関しては、外壁の仕上げと色・バットレスの追加・煙突の撤去・鉄板葺き屋根などでしょう。
 今回、限られた予算で始められた耐震補強工事のため忠実な復原はできなかったようですが、今後の補修工事により当初の様子に戻していく事も可能でしょう。 神父と信徒により守れられた、生きている教会建築といえるかもしれません。
市川教会・模型
構造模型:赤い柱は新設の鉄骨材。
市川教会・玄関
玄関扉は当時の物。 右の写真は撤去された外壁の一部で、御影石風の左官仕上げだった。
市川教会・内部改修
左:雨漏りで腐朽していた、聖壇脇にある神父用の小部屋。 ステンドグラスは新設。
右:階段廻りに補強の鉄骨材を入れ、狭くなるので隠さずそのまま見せている。
市川教会・バラ窓
2階にあるスチール製の丸窓。いつ頃か不明だが部屋が造られ、この窓が隠れてしまっている。
窓の内側にベニヤの飾り枠を取り付け、窓枠と同様のグレーの色を塗っていた。
市川教会・塔屋
アメリカから送られた鐘。 日曜礼拝の前に、下の部屋から紐を引っ張り、鐘を鳴らす。
梯子しかないため、神父さんは塔屋に登る事は殆どないという。
直径50cm程の小さな鐘でも、その音は物凄い。 通常は鐘の下の床は蓋をしているので、階下には余り響かない。
市川教会・屋根裏
塔屋の屋根裏:一部、新規の部材に替えられている。
市川教会・窓
塔屋の窓も新しくなった。 細かい切れ目を入れ円形にした窓枠が珍しい。
市川教会・現物
撤去された部材の一部。2階丸窓の額縁は茶色で、右端の様なクリーム色の壁面もあった。
市川教会・内部2
 神父さんによると、教会が建てられる以前、西洋人が住んでいた洋館があり、その洋館を曳き家して裏手に移動したそうです。(その洋館は近年に解体)
そして井戸に蓋をし、その上に現在の教会が建てられましたが、今回の改修で床下全てにコンクリートが打たれ、井戸は塞がれました。
堂内の後方にある地下室は防空壕を兼ねた物置として掘られたようですが、余りにも湿気が多く、現在は何も使っていないそうです。

第5土曜日にはミニコンサートが開催されており、一般の方も鑑賞が出来ます。 ◎詳しくはコチラをご覧下さい。→【日本福音ルーテル市川教会
※見学のマナーとして、神聖な場所である内陣には、むやみに立ち入らないようにしましょう。
また、どの教会にも献金箱が置いてありますので、献金を心掛けましょう。

【2012年11月 撮影】

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2012.
11.18
Sun
所在地:静岡県熱海市西熱海町二丁目12-3
開 館:年末年始を除く土日のみ公開。 10:00 ~ 16:00 ※日曜日のみ公開
料 金:無 料
電 話:0557-85-7377
交 通:JR熱海駅~バス約15分~西熱海別荘地前バス停~徒歩15分
彩苑
 熱海駅からバスに乗ると、曲がりくねった細い坂道を登っていきます。
そして西熱海別荘地前バス停を降りました。 山の中に作られた住宅地で、戸建の住宅が建ち並んでいます。 大通りを歩く人もなく、本当にこの道で合っているのか不安になる程。
やっと、曲がり角に「彩苑」の道案内があり、ようやく一安心。  しかし、最後の分岐路には案内板がなく通り過ぎてしまい、畑仕事をしていた人に尋ねて辿り着く事ができました。 タクシーの方が無難かもしれません。
 そこは知人宅の様な雰囲気がある家で、長い道のりを歩いた訪問者を、シルバー人材の方が出迎え、お茶を振る舞って下さいました。 ※詳しくはコチラ→【彩苑
彩苑2
 この建物は、昭和52年(1977)に杉本苑子さんの別荘として建てられ、昭和55年から平成7年まで本居として使用。 ここで数多くの作品が生まれました。
 後に、別の地に本居を構えたため熱海市に管理を委託し、この建物は人々が華やかに集まる場所 『彩苑』 と名付けられ、平成8年から一般公開されております。
 熱海は一昔前まで、慰安や新婚旅行で訪れた温泉地として繁栄しました。
しかし、国内外へ安く旅行ができるようになってから、昔の賑やかさがなくなっています。
一方で、温暖な気候と温泉、海と山がある風光明媚な地に文化人や実業家が別邸を構えた事から、保養地としての一面もありました。
近年になり、手放された別邸の一部が熱海市に寄贈され、その建物が観光地として新たな魅力を生み、若い世代の人を呼び込む観光資源となっています。
彩苑-玄関ホール
 玄関ホールは天井が高く、開放的な空間。
左:玄関ホール左手に階段・居間・水廻りと続く。
  廊下の上には収納があり、階段の途中にその入口がある。
右:玄関ホール右手は応接室になっている。上部の襖は収納ではなく欄間の様なもの。
  本来は下にも襖が有り、暑い時期は上部の襖を開けて、通気ができるようになっている。
彩苑7
1階の座敷は、食事や団欒などの居間として利用していた。
彩苑1
2階の一部は展示室になり、熱海ゆかりの文化人の資料を展示。
彩苑8
2階の寝室。
彩苑5
 スタッフの方に言って、1階の台所を拝見させて頂いた。
右の写真は、台所の脇にある書生やお手伝いさん用の小部屋。
彩苑6
洗面脱衣所と浴室。
タイル貼りの浴槽は掃除が大変だが、好みの大きさや深さに出来るのが利点。

 杉本苑子さんは、大正14年(1925)東京・牛込区(現・新宿区)の薬局の家に生まれます。
昭和24年に文化学院文学部を卒業すると、2年後に「サンデー毎日」の懸賞に応募。
『申楽新記(のちの「華の碑文」)』が佳作に、翌年には『燐の譜』が大衆文芸賞に入選します。
 その後、昭和35年まで吉川英治氏に師事し、書庫の整理や年表作成する傍ら、習作を書き続けます。
 のちに、昭和61年(1986)『穢土荘厳』が第25回女流文学賞に、昭和37年(1962)『孤愁の岸』が第48回直木賞を受賞。 『冥府回廊、マダム貞奴』が、昭和60年(1985)にNHK大河ドラマ『春の濤』として放映されました。 そして、平成14年(2002)に文化勲章を受章。
 小説家として有名ですが、幼い頃に児童劇団に入り、舞台やラジオに出演。 学生の頃は世阿弥の研究をしていた事から、歌舞伎や舞台として上演できる作品も多いようです。

【2012年5月 訪問】


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2012.
11.03
Sat
建築年:大正13年(1923)  
構 造:木造2階建て、 内外に改修あり
所在地:東京都新宿区中井2-13―19
交 通:西武新宿線・都営大江戸線の中井駅~徒歩10分位
 
金山平三邸2
 2012年10月28日(日)に、旧島津一郎アトリエが1日だけ特別公開のため、中井へ行きました。
プリントの拡大地図を忘れてしまったため、小型の地図本をたよりに急な坂道(二の坂)を上がって住宅街へ。 坂を登りきって、くの字に曲がった通りの角に立派な邸宅がありました。 大正~昭和初期のアトリエや写真館に見られる、北側に大きな窓を有する邸宅でした。
しかし、島津邸の公開終了時間が迫っていたため、足早にその家の前を通り過ぎました。
金山平三7
そして、旧島津一郎アトリエを見学後、住宅街を迷いながら先程のアトリエを目指しました。
途中、現在も住まわれている大正~昭和初期の文化住宅を発見。
金山平三邸1
その後、何とか無事にたどり着きました。 法華宗・大日本獅子吼会本堂の前にあります。
金山平三6
玄関廻りの造りは山小屋風ながら重厚。 外開きの白い鎧戸は防犯用か?
金山平三邸4
建物をよく見ると塀に張り紙が・・・。 何と!解体のお知らせ表示板でした。
〔工期:平成24年11月2日~12月5日、標識設置年月日:平成24年10月19日〕
つい最近、この張り紙が設置されたようです。
金山平三邸3
 この建物について調べたところ、『落合道人』さんのブログで、金山平三のアトリエであった事が判明しました。
※下落合と金山平三について、詳しく記載されておりますので、『落合道人』をご覧下さい。
この辺りは以前は下落合という地名で多くの芸術家や文化人が住んでいた地域であり、近くには作家・林芙美子の邸宅(現在は記念館として公開)もあります。
 11月1日(木)工事の事業主に連絡を取ると、準備の都合もあり解体日は未定との事。 さらに新宿区文化観光課に問い合わせると、解体の件は最近になって知り、10月29日(月)から3日間かけて内部の実測調査をしたとの事。 この邸宅は特に文化財指定もなく、内部もだいぶ改装されているため特に保存の意向はない、解体部材も保管される予定はないとの事。 解体の件は文化庁に伝えてあるそうです。
 このままでは貴重な文化遺産が壊され、移築もされずに処分されてしまいます。 金山平三のファンが全国にいるようですから、せめて復原ができるよう解体部材の保管が必要です。 自治体や文化施設、個人や企業でも構わないですから、名乗りを上げて下さる事を心から願います。   (2012/11/1)

【2012年10月 訪問】 

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