2012.
12.23
Sun
建築年:昭和39年(1964年)
所在地: 東京都文京区関口3-16-15  TEL:03-3941-3029
構  造: 鉄筋コンクリート造HPシェル (外装:ステンレス・スチール仕上げ)
      地下1階・地上1階(中2・3階)
設  計: 丹下健三 都市・建築設計研究所 (構造・音響:東京大学)
交  通: JR目白駅~バス停「椿山荘(関口3丁目)」下車スグ or
     東京メトロ有楽町線・江戸川橋駅~徒歩15分

聖マリア大聖堂
 儀式の際に座る司教の椅子をギリシャ語で「カテドラ」といい、司教の紋章付きの赤い椅子(司教座)を置く教会は「カテドラル(司教座聖堂)」と呼ばれます。
この関口教会は、日本に16教区(3管区)ある内の、東京管区・大司教座聖堂となっております。
みその幼稚園
 訪れた日は偶然にも、聖園(みその)幼稚園の園児による、キリスト誕生の聖劇が大聖堂で行われており、平日ながら保護者や近隣の子供達で、満席となっておりました。
 聖劇の終了後は、床に垂れた蝋燭を削り取るため、保護者らと共に内陣に上がったのですが、聖壇のある白い大理石の床を、ヘラで蝋燭の跡を削るという、厳かな体験をさせて頂きました。
キリスト誕生
キリスト降誕を再現したジオラマも内陣横に展示されていた。
聖マリア大聖堂内部
 丹下健三は、大正2年(1913)9月4日 大阪生まれ。銀行員だった父親が中国に転勤したため、7歳まで上海に滞在。 東京帝国大学建築科の受験に2度失敗し、日本大学芸術学部映画科に入学しますが、東京帝国大学に合格して昭和10年(1935)に入学。 卒業後は前川國男建築事務所で仕事をしますが、東京帝国大学大学院に入学し、卒業後に同大学助教授となりました。
 主な作品は、代々木体育館や東京都庁、広島平和記念公園など多くの公共建築物を設計。
受賞歴も多く、建築ではRIBA金賞・AIA金賞・プリッカー賞を、ローマ法王庁より聖グレゴリオ大勲章を、国からは勲一等瑞宝章・レジオン・ドヌール勲章(仏)など最高勲位を受章しています。

 丹下健三は、ヨセフ(洗礼名)というカトリック教徒でした。
平成17年(2005)3月22日に他界。この聖マリア大聖堂で葬儀が行われ、遺骨は大聖堂の地下納骨堂に収められています。
パイプオルガン
平成16年(2004)に設置されたパイプオルガン。
ルルド
 聖母マリアが現れた、フランスのルルド近郊にあるマッサビエールの洞窟を真似て、明治44年(1911年)フランス人の宣教師によって建造。
鐘塔
 高さ61.68mの鐘塔は、4面がねじれたHPシエル構造で、基礎に40mの鋼管支持杭を使用。 日本の鐘の音色を研究した西ドイツのマイスターによる、日本的な音色を奏でるという4つの鐘。

 キリスト教会は、11世紀頃に2つに分離し、カトリック教会と正教会になりました。
そして、カトリック教会の最高聖職者は、ローマ教皇となりました。
 日本でのカトリック教会の歴史は古く、フランシスコ・ザビエルなど宣教師が来日して布教を開始。 天主公教会とも呼ばれ、大浦天主堂や浦上天主堂が建設されました。
 東京では、明治11年(1878)横浜から東京の築地教会に司教座が移され、東京教区初代・オズーフ大司教が、明治19年(1886)松平頼徳の上屋敷跡(関口台)4,800坪を購入しました。
・・・松平頼徳は、常陸宍戸藩の第9代藩主でしたが、天狗党の乱の鎮圧に失敗したのは、敵方に通じていたためと汚名を被せられ、元治元年(1864)に切腹して廃藩となり、上屋敷も幕府に没収されていました。 明治になってからは、父・松平頼位は子爵となっています。・・・
 明治15年(1882)に来日し、築地の神学校の教授となっていたレイ神父は、この関口台に聖母仏語学校と呼ばれる工芸学校を創立しました。 その学校では、食パン製造・裁縫・左官を教えていたといいます。
 その後、学校の聖堂は、小石川聖マリア教会として独立し小教区となっていましたが、明治29年(1896年)レイ神父が自ら設計した木造ゴシック様式の関口天主堂建設に着手し、明治32年(1899年)に完成。 その内部は、昭和になるまで信者席に畳が敷かれていたとの事。
 やがて大正元年(1912年)レイ神父が東京教区の大司教となりましたが、大司教座のある築地には住まずに関口教会内で執務し、大正9年(1920年)大司教座は築地から関口に移転します。
 その後、昭和20年(1945年)の東京大空襲によって関口天主堂が焼失。 ドイツのケルン教区の支援によって大司教座聖堂が再建される事となり、昭和38年(1963)4月に起工~昭和39年(1964)に現在の聖マリア大聖堂が完成し、12月8日に献堂式が挙行されました。
 聖堂の多くは東向きに建てられており、この大聖堂も東側に祭壇を設けています。
さらに、上空から見ると十字架の形になっています。
聖マリア教会内
 一般見学者も参加できるクリスマスミサは、
2012年12月24日(月)は、17時~/19時~(キャンドルサービス)/22時~/24時~
2012年12月25日(火)は、10時~
新年のミサは、2013年1月1日(火)は、0時~/10時~
通年の大聖堂で行われるミサは日曜の8時と10時であり、それ以外は地下聖堂で行われます。
              ◎詳しくはコチラをご覧下さい。→【関口教会

【2012年12月 訪問】



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2012.
12.16
Sun
建築年:昭和62年(1987年)
所在地:熱海市梅園町9-46
構 造:鉄筋コンクリート造 一部2階建て
設 計:熱海市 建設部 建築住宅課
見 学:9:00~16:30、 有料
休 館:祝日除く月曜  
TEL:0557-81-9211
交 通:JR熱海駅~バス15分「梅園」or「澤田政廣記念美術館前」下車、or JR来宮駅~徒歩15分

    ※詳しくはコチラ→【澤田政廣記念美術館】 
澤田政廣記念美術館1
中山晋平記念館がある熱海梅園の前に『初川』が流れ、対岸には人工の滝があり、吊り橋を渡ると澤田政廣記念美術館があります。
その建物は岩の様にデコボコしており、廻りを小川に囲まれ、大木の丸太が置かれています。
とても奇抜なこの建物は、谷村美術館(村野藤吾)のイメージが反映され、熱海市の職員による設計と、職人により一風変わった空間に仕上がっています。
澤田政廣記念美術館3
 外壁はモルタルの擬岩仕上げであり、躯体の上にSBR系ポリマーセメントモルタルを吹付け、乾かないうちにベースネットを張り、ゼロスランプモルタルを乾式工法で吹き付けています。
 内壁はナイロンパイルを静電植毛して仕上げています。 躯体の上にSBR系ポリマーセメントモルタルの乾燥後、軽量骨材(発泡スチロール系)入りプラスターを吹付けた後、接着剤を塗布し、供給機とコンプレッサーを使ってベージュ色のナイロンパイル(14デニール・3mm)を飛ばして、高電圧発生機で静電植毛しています。 パイルには吸音と保温効果があり、調湿と埃の対策が出来れば、クロス張りにして住宅にも利用できるでしょう。
25年経った現在、階段の手摺部分などに植毛の剥離と、全体的に埃でくすんだ印象があるものの、澤田政廣の作品と共に異空間を体感出来ます。
澤田政廣記念美術館4
玄関ホールにあるステンドグラスの光天井は、澤田政廣によるデザイン。 『飛天』1987
澤田政廣記念美術館2
右:『曼珠沙華(マンジュシャゲ)』1959  
   アモーガ・パーシャ(不空羂索観音)か?  追記参照 ※下記の「続きを読む」 
左:通路の天井が一番、幻想的かもしれない。
澤田政廣記念美術館5

 澤田政廣(さわだ せいこう)は、明治27年(1894)熱海で廻船業を営む澤田家の三男として生まれ、『寅吉』と命名されます。 19歳で旧制中学校を中退し、木彫家・山本瑞雲に師事。 大正10年(1921)に第3回帝展に入選。 雅号を『寅』とした昭和2年から3年連続で特選を受賞。 昭和10年には太平洋美術学校の講師となります。 その後、日展でも受賞し、昭和31年(1956)雅号を『政廣』に。
晩年に、東本願寺 難波別院の蓮如上人像、見延山久遠寺 祖師堂の日蓮上人像、奈良薬師寺 西塔の尊像仏などを手掛け、昭和54年に文化勲章を受章。 昭和63年(1988)病により93年の生涯を終えました。

〔参考文献:月刊 建築仕上技術1988年2月号〕

【2012年5月 訪問】


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2012.
12.09
Sun
所在地:熱海市梅園町8-1
構 造:木造 2階建て
見 学:10:00~15:30  休 館:木曜・年末  
料 金:無料      TEL:0557-85-1933
交 通:JR熱海駅~バス15分「梅園」or「澤田政廣記念美術館前」下車
    JR来宮駅~徒歩10分

中山晋平邸
 西熱海別荘地にある『彩苑』(※詳しくはコチラ→杉本苑子 旧宅)から坂道を下っていくと、地元の人もあまり使ってないような階段があり、そこを降りていくと下の道に着きます。 林で隠れていますが、道の脇は急な崖になっているようで、下の方から川のせせらぎが聞こえてきます。
 しばらく歩くと、突然、韓国庭園が現れ驚きますが、そこを通り抜けていくと、熱海梅園に辿り着きます。 この辺りに来ると『初川』も流れを見せ、対岸には何と滝が!
実は人工の滝で、吊り橋を渡ると澤田政廣記念美術館もあります。

 この建物は、昭和10年(1935)作曲家の中山晋平が、熱海市西山町に別荘として建てたもので、昭和19年(1944)戦時中に妻・嘉子(新橋喜代三)と共に疎開し、昭和27年に65歳で亡くなるまで住んでいた邸宅を、移築しています。
 現在は、中山晋平記念館として資料を展示しております。
中山晋平ピアノ
 中山晋平が愛用していたピアノ。「シャボン玉とんだ~♪」 「雨雨ふれふれ~♪」 「かあさん お肩をたたきましょう~♪」 子供の頃に歌った童謡が、このピアノで生まれた。
 小学校の音楽教師の経験により、子供の心を捉える曲作りが出来たのだろう。
中山晋平邸・1階和室
左:1階の座敷は、書院造り            右:1階の広縁の床板が杢目となっている
中山晋平邸・茶の間
1階の茶の間。 妻・嘉子(新橋喜代三)も火鉢の前に座ったのだろう。 
中山晋平邸・廊下
2階廊下の明り取りは、数寄屋建築でありながら、吉田五十八の様なモダンな仕上げ。
設計者は不明。
中山晋平邸・2階和室
2階の座敷。 1階の座敷より格を下げて、竹の落とし掛けを使用。

 中山晋平は明治20年3月22日、長野県新野村(現・中野市大字新野)名主の家に生まれました。
その後、小学校で代用教員として働いておりましたが、上京して島村抱月の書生となります。
 明治45年に東京音楽学校ピアノ科卒業。 東京の小学校で音楽教師をしながら、作曲活動を開始。 大正3年(1914)「カチューシャの唄」を作曲し、芸術座の松井須磨子が歌って大ヒット。
大正6年に小学校教師の江南敏子と結婚します。
 その後、野口雨情作詞による「シャボン玉」 「あの町この町」、北原白秋作詞の「砂山」 「アメフリ」、「てるてる坊主(浅原鏡村 作詞)」や「肩たたき(西条八十 作詞)」等、今でも歌い継がれている童謡を作曲。
 昭和3年(1928)に日本ビクターと専属契約を結び、「東京音頭」 「熱海節」等の新民謡や、歌謡曲も数多く手掛けています。
 のちに、日本音楽文化協会・日本音楽著作権協会の理事長に就任。
昭和27年12月30日、病により65歳で亡くなりました。

 妻・中山嘉子は、鹿児島でも評判の芸者で、それは美しい女性でした。
中山晋平とは昭和6年(1931)に出会い、晋平の勧めで上京して「小原良節」「よさこい節」を日本ビクターでレコーディング。同年に新橋芸者となり、昭和7年に新橋喜代三(しんばし きよぞう)という芸名で、ポリドールの専属歌手となります。
 昭和11年(1936)晋平の妻・敏子が病のため45歳で亡くなり、翌年に中山晋平と結婚、引退します。
 この熱海の邸宅で晋平と共に暮らし、晋平の死後、日本ビクターの歌手として復帰しましたが、熱海での暮らしを続けました。
 昭和38年(1963)3月23日に病により59歳で他界。

 この建物は日本ビクター㈱の所有となり、のちに熱海市に寄贈され、中山晋平記念館として、移築公開されています。
◎詳しくはコチラをご覧下さい。→【中山晋平記念館

【2012年7月 訪問】


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