2013.
01.27
Sun
建築年:大正3年(1914) 
所在地:神奈川県 三浦郡 葉山町 堀内1968   
構 造:木造2階建て
見 学:非公開  
交 通:JR逗子駅~「向原」バス停~徒歩2分

東伏見宮邸
 旧東伏見宮 別邸にてサロンコンサートが2011年11月6日(日)に開催され、この建物を訪問する機会がありました。 建物は現在、イエズス孝女会修道院の所有となっており、一般の方は見学出来ません。
 また、幼稚園が併設されているため、むやみに敷地内に侵入しますと、不審者として通報されますのでご注意を。 その後も年に1回程度、コンサートが開催されているようですので、注意深くネット上で探してみて下さい。
東伏見宮邸2
玄関の車寄せ。
東伏見宮邸3
左:玄関ドア                     右:玄関ホール
東伏見宮邸6
玄関ホールの天井付近のデザインが面白い。
東伏見宮邸4
サンルームを兼ねた廊下に引違い窓を多く設け、室内に光と風を取り込む。
東伏見宮邸8
室内にある暖炉があまりにもシンプル。改修したものか? 照明は当時の物と思われる。
東伏見宮邸7
置かれた椅子は、東伏見宮家の物かは不明。 この椅子にはキャスターが付いている。
東伏見宮邸10

東伏見宮邸5
コンサート会場となった部屋も、とてもシンプル。
東伏見宮邸12
左:階段の手摺柱         右:踊り場にある照明用の棚。 鐘は修道院の物?
東伏見宮邸11
2階の階段ホール
東伏見宮邸1
 この葉山別邸を建てた、東伏見宮 依仁(よりひと)親王は、慶応3年(1867)伏見宮家の王子として生まれ、『定麿王』と命名されました。
2歳頃から山階宮 晃親王の養子となっていましたが、イギリス留学からの帰国後、明治18年(1885)ハワイのカイウラニ王女との縁談を薦められる程に立派に成長。 同年、小松宮 彰仁親王の養子となってから親王宣下を受け、『依仁(よりひと)親王』と改名。
 明治20年(1887)フランス海軍兵学校に再び留学。 帰国後は海軍軍人となり、山内 八重子(旧土佐藩15代藩主・山内豊信侯爵の三女)と結婚しましたが、明治29年に離婚をしています。
 その後、明治31年(1898)岩倉 具視の孫・周子(かねこ)と再婚。 依仁親王は小松宮家を継がず、明治36年(1903)新たに東伏見宮家を創設しました。
 海軍では、横須賀鎮守府司令長官→第二艦隊司令長官→海軍大将となり、その他に大日本水産会総裁、日仏協会名誉総裁などに就任しています。 大正11年(1922)56歳で薨去。
 夫人の東伏見宮 周子妃は、岩倉具定公爵の長女として明治9年(1876/8/29)に生まれ、東京女学館と東洋英和女学校で、国際社会に通じる知識を習得し、才色兼備で気品を備えた女性でした。 誠に美しい女性であり、結婚後も社交界で活躍したほか、愛国婦人会、大日本婦人衛生会の総裁を務めました。
 敗戦後、GHQにより宮家が解体。 昭和22年(1947)10月13日、天皇家・三笠宮家・高松宮家を除く、全ての宮家に対し宮内府告示が下り、周子妃も皇籍離脱されました。 昭和30年(1955/3/4)逝去。

 東伏見宮ご夫妻には子供がなく、明治43年(1910/5/16)に久邇宮 邦彦(くにのみや くによし)王の第3王子として生まれ、9歳となった『邦英(くにひで)王』を預かる事になりました。
実子の様に邦英王を可愛がっていましたが、養子としては迎えることができず、東伏見宮 依仁親王が薨去された後、昭和6年(1931)邦英王は、臣籍降下して東伏見宮家の祭祀を継ぎ、『東伏見 邦英 伯爵』となりました。
 その後、東伏見 邦英 氏は、青蓮院門跡の門主・東伏見 慈洽(ひがしふしみ じごう)となりました。
 ※東伏見 慈洽 氏は、2014年1月1日に103歳で逝去なされました。 ご冥福をお祈りします。

  赤坂.葵町の東伏見宮本邸は関東大震災で被災したため、渋谷.常磐松御料地(現・渋谷区東4丁目)に内匠寮・高橋貞太郎の設計により、RC2階建てで大正14年10月31日に竣工、12月に完成。 昭和20年(1945/5/25)東京大空襲で屋根が被災したものの、常盤松御殿として明仁親王(今上天皇)がご使用になり、昭和50年に解体され、現在は常陸宮邸となっています。 
 この葉山別邸は、戦後にGHQに接収された後、昭和27年(1952)にイエズス孝女会(スペインのキリスト系教育団体)の修道院となり、昭和29年(1954)にあけの星幼稚園を創立。
その他に、旧・東伏見伯爵別邸で現存する建物は、京都(昭和7年, 現:吉田山荘)と、横浜(昭和12年)にあります。
 ※ 旧 横浜プリンスホテル貴賓館は、現在 改修され、『中村孝明 貴賓館』というレストランになっています。

【2011年11月 訪問】


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2013.
01.06
Sun
建築年:明治初期(明治8年頃) 何度か修復あり
所在地:東京都あきる野市三内490  TEL:042-596-0068
構 造:木造 2階建て  
見 学:1階は喫茶室利用者に公開(金土日月祝日11:00~17:30)、2階は通常非公開
交 通:JR武蔵五日市駅~徒歩15分

小机家
 武蔵五日市駅前のロータリーから左手の道に向かい、山道を上がっていくと、突然 重厚なる小机家の門構えが現れます。
小机家は代々 林業を営み、江戸へと木材を出荷し、富を得たと云われております。
 この建物は7代目当主・小机 三左衛門が、銀座の洋風建築を真似て建造した明治時代の住宅。 バルコニーのある外観は洋風ですが、よく見ると漆喰壁の土蔵造り、内部は土間に和室という、和洋折衷の住宅となっています。
波型トタン葺きの屋根は当初の物と云われ、全面に赤錆が発生していますが、当初はコールタールで防錆処理されていたようです。 関東大震災や老朽化により何度か補修されていますが、小机家が自費により維持管理している、貴重な建物となっております。
 今回は、木こりとして山に入り、木を伐採しているという現在の当主が建物内を解説して下さいました。
小机家・玄関
 玄関を一歩入ると、古民家の様な土間と上がり框が。 この土間にストーブと椅子を置き、玄関を兼ねた応接空間としていた。 作業の合間の休憩や、近所の人と気軽に応対ができるようになっている。
小机家・当主
 特筆すべきは、ウサギの鏝絵が施された明り取り障子の箇所。
その下は鳥籠となっており、さらに糞受けの抽斗まで付く。 ※現在の当主・小机 篤 氏
小机家・座敷
土間から見た1階の座敷。 白壁は漆喰ではなく和紙貼りで、土壁よりも格が高いとされる。
小机家・施主
左:内開きのガラス戸と、外開き鉄扉の組み合わせは全室共通
右:この家を建てた7代目当主・小机 三左衛門
小机家・階段
螺旋階段は芸術的。 壊さないよう、そぉーっと上がって欲しい。
小机家・2階
2階は主寝室であった。 一見、RC造の梁に見えるが、木造に漆喰塗り。
小机家・ベッド
当時の布団仕様シングルベッドが2台有り、収納もできる。
小机家・ソファ
ソファもベッドに早変わり。 いつの時代の物かは不明だが、かなり古そう。
小机家・造形
左:2階ベランダ         右:建設当初はなかった電灯
 小机家が八王子の発電所建設に力を尽くし、この地域に電気が通ったという。
ちなみに、東京湯島にある明治の岩崎久彌邸は、輸入した発電機(当時は車の大きさ位)で電力を受給していた。
画家
 訪問時には森藤山風 氏の個展が催されていた。 若い頃、日本各地を気ままに放浪したという森藤氏。 現在は東京の奥地にある小さな寺に住み、作品を描いている。 大きな絵を描くには寺が一番良いという。
小机家・歴史
左:玄関上にある漆喰彫刻『獏(ばく)』 関東大震災で破損していたが、現在の当主により記録から復元した物。 硝子玉の目に苦心したという。
右:主屋と居間の継ぎ目に背比べの跡が。 現在の当主と兄弟の歴史が残る。
小机家・居間
 主屋の裏手に接する平屋は家族の団欒のための空間であり、当初は囲炉裏があった。 昭和になり現代生活に馴染むように改装された居間は、現在は喫茶室として週末に営業。 コーヒーを飲みながら、添えられたクッキーを一口いただくと、何とそのクッキーは当主の手作りだそうで、ケーキも作っているとの事。 お菓子も作る木こりさんに脱帽。
小机家・和室
隣にある小さな茶の間は、見事な造り付け収納に囲まれている。
小机家・和室3
飾り棚と思いきや、厨房とつながる引き戸があり、食器の手渡しが出来るようになっている。
小机家・和室2
 ご案内して下さった小机篤氏には、大変感謝しております。
誠にありがとうございました。

【2012年11月 訪問】


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