2013.
04.21
Sun
所在地:京都府 京都市 左京区 吉田上大路町34
建築年:江戸中期~昭和 その後も改修有り
構 造:木造 (一部、国の登録有形文化財)
見 学:予約制 10時(団体)、11時(個人)、14時(個人)、16時(他の時間が満員の時)
休 館:月曜・年末年始・整備・貸切時  
料 金:庭園書院=600円、庭園書院+好刻庵外観=800円、
    庭園書院+好刻庵入室=1000円(多人数・悪天候時は入室不可)
TEL:075-761-8776 重森三玲庭園美術館
交 通:市バス「京大正門前」~徒歩5分

重森邸・庭1
 京都大学吉田キャンパスに程近い住宅街の中に、重森三玲の旧宅があります。
この建物は、享保期(1716-1735)の主屋と、書院(寛政元年1789)から成る、吉田神社 吉田家の家老であった鈴鹿家の屋敷を、昭和18年(1943)重森三玲が譲り受けたものです。
 さらに、昭和28年に茶席「無字庵」、昭和44年に茶室「好刻庵」を重森三玲が設計。
この重森邸には、彫刻家イサム・ノグチ等、数多くの文化人が訪れています。
 現在は『重森三玲庭園美術館』として、好刻庵・書院・庭園が、予約制で公開されております。
※詳しくはコチラ→【重森三玲庭園美術館
重森三玲邸・坪庭
坪庭
重森邸・座敷
書院の間。 この部屋に上がり、庭を眺めながら重森氏(子孫)の解説を聞く。
掛け軸「林泉」は三玲の書。
重森邸・照明
照明はイサム・ノグチのデザイン。
床の間近くの天井は、格式の高い格天井となっている。庭側(下座)は竿縁天井。
重森邸・茶室外観
茶室「好刻庵」は、見学の度に雨戸を開閉し、気を使っている。
重森三玲邸・茶室
「好刻庵」は、建具・照明・釘隠しに到るまで、全てが重森三玲によるデザイン。
特別料金で、実際に室内に上がる事が出来る。
天井の竿縁が床刺しになっているのは、何か意図しての事か?
重森邸・蹲
蹲(つくばい)は灯篭を転用し、傘を反対に向けて手水鉢にしている。
重森三玲邸・中庭
 日本庭園に革命を起こした重森三玲は、斬新な作庭で知られていますが、「日本庭園史図鑑」26巻(有光社)や「日本庭園史大系」(社会思想社)等の著者でもあり、古来の日本庭園の研究を元に、そのデザインは哲学と日本文化の融合から生まれたと言えるでしょう。
 ちなみに『三玲』という名は、ジャン・フランソワ・ミレーに影響を受けて改名されたものです。
 重森三玲は、明治29年(1896)『重森計夫』として岡山県上房郡吉川村(現・加賀郡吉備中央町)で生まれました。 幼い頃から茶道を習い、大正2年(1913)生家の茶室・天籟庵を設計。 開設まもない日本美術学校で日本画を学んだ後、東洋大学で哲学を専攻しています。
 その後、茶の湯・茶庭・生け花など、日本文化を学ぶための学校を創設しますが、関東大震災で夢は絶たれ帰郷します。 大正14年(1925)東京からの客人を招く為に改修した天籟庵の庭が、初めての作庭と云われております。
 その後、昭和8年(1933)から京都に移り、勅使河原蒼風らと前衛的な生け花の創作を開始。
庭園研究をまとめた「日本庭園史図鑑」26巻(有光社)が発刊され、庭園史家としても有名になります。
昭和14年(1939)永代供養を条件に、無償で京都 東福寺[八相の庭]を手掛け、その斬新さが話題となり、その後も数多くの庭園を手掛けました。
 京都 光明院[波心庭(1939)]、大阪 岸和田城[八陣の庭(1953)]、長野 北野美術館(1965)、京都 松尾大社[松風苑(1975)]等、一般公開されております。
 また、重森三玲が生まれた岡山県加賀郡吉備中央町舎には、京都友琳会館の庭が移築され、重森三玲記念館には資料展示の他、三玲設計の茶室・天籟庵(1913)と生家の庭も移築されています。
(無料。 月~金:9~16時、日曜・祝日:10~15時。 土曜日・年末年始は閉館)
※詳しくはコチラ→【重森三玲記念館
重森三玲邸・玄関
 京都の重森三玲邸の一部は、現在は近江商人(五個荘)の血を受け継ぐ塚本氏の所有となり、主屋を改装して、ツカキグループが結婚式場『招喜庵』として管理・運営しているようです。
 なお、庭園見学の基本として、ヒールのある靴を履かない、肌の露出を避ける、苔や植栽を踏まない等、訪問者として心掛けましょう。

【2013年3月 訪問】


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2013.
04.07
Sun
所在地:京都府 京都市 上京区 下立売通 新町西入薮ノ内町
建築年:明治37年(1904) その後も改修有り
構 造:煉瓦造 一部石貼り 地上2階・一部地下1階 スレート葺き屋根
設 計:京都府技師・松室重光(意匠)、一井九平(技術)、久留正道 ほか
見 学:10:00~17:00  無料
休 館:土曜・祝日・年末年始・貸切時  
TEL:075-414-5435
交 通:市バス「府庁前」~5分、地下鉄烏丸線「丸太町」~10分

京都府旧庁舎
 京都の行政を担ってきた明治の建物が現在でも活用され、さらに親しまれる施設へと変化しています。 旧知事室が見学できるほか、一部の部屋がギャラリースペースとして京都府民に開放され、若者達が集まるようになってきました。
また、正庁室はコンサートや結婚式場(飲食不可)として有料で借りる事も可能です。
※詳しくはコチラ→【京都府
中庭
 訪れた日には、NHK大河ドラマ「八重の桜」企画展(2013/3/20~3/26)で衣装等の展示があり、さらに中庭へ向かうと円山公園にある早咲き品種『祇園枝垂れ桜』の子孫の桜が五分咲きの状態で、思わぬ花見を楽しめました。 毎年、『観桜会』として京都府のネットに掲載されますので、参考にして下さい。
階段ホール
南側にある階段ホールと照明
知事室
旧知事室は南東の角に有り、大文字山が見える。
食堂・表示灯1
隣の知事用食堂にある表示灯:昭和3年に設置された物で、知事・部長の登退庁がわかる。
これを見て別の呼び鈴で部課長の呼び出しをしていた。
議員控室・天井
2階の旧・議員控室には天窓があり、窓がなくても明るい。 〔非公開区域〕
消火栓
消火栓は当初の物か?
2階北階段
左:1階の北側にある階段ホール
右:2階の踊り場には議会場傍聴席へと続く扉がある
便所・2階廊下
左:便所は中庭に飛び出すように設置してあるので通気が抜群(設備・内装は改修済み)
右:2階廊下の床は天然リノリウム貼か?(1階床はタイル貼り)
1階西側の通路
左:1階西側にある通路には地下へと続く階段が
右:1階西側・警務課隣りの窓口。 扉が物凄く狭く、体を横にして出入り。
京都府警本部
旧本館の横にある「京都府警本部」 
昭和3年 RC造 地上3階・地下1階 京都府技師・十河安雄の設計
十河安雄は、鴨沂高校・京都教育大学の京都小学校や紫明会館などを手掛けている。
議会場側
 この京都府旧本館は、明治34年11月9日に工事が開始され、3年余りの工期と約366,209円の費用をかけて完成しました。
現在の京都府庁がある地は、文久2年(1862)京都守護職が設置され、9つの町を潰して増改築を重ね、慶応元年(1865)に上屋敷が完成しました。
 慶応3年に京都守護職が廃止されると、東御役所(東町奉行所)跡が京都市中取締役所となり、明治元年(1868)『京都裁判所』→『京都府』と立続けに改称します。 京都府は明治2年にこの旧・京都守護職上屋敷に移転しますが、2年後には二条城の中へ拠点を移します。 そして京都守護職上屋敷を殆ど取り壊して、国学・漢学・洋学を教える京都府中学校を建設。
明治18年になるとその京都府中学校が移転(寺町丸太町上ル)したため京都府はこの地に戻り、中学校の建物を15年ほど京都府庁舎として利用しました。
 手狭になったため明治27年頃から庁舎の新築計画が議案に上がりますが、工費42万円で否決となり、明治33年(1900)工費35万円・条件付きで可決されたといいます。 その後も新たな庁舎が増え、現在は『京都府庁旧本館』と呼ばれるようになりました。
前の京都府庁舎・古写真
上:京都府中学校・正堂(学務局)を利用した、明治20年頃の京都府庁舎
下:完成間もない京都府庁舎
施設
上:第4回内国勧業博覧会 明治28年(1895)
下:記念動物園(現・京都市動物園)

 設計者の松室重光は明治6年(1873)神官の家に生まれ、東京帝国大学造家学科卒業後は京都府技師となり、古建築の修復の他、武徳殿(明治32年)・京都ハリストス正教会聖堂(明治34年)などを設計。
しかし、京都府庁完成時に部下の汚職事件が発覚して退官。 九州の鉄道技師を経て、関東都督府技師として満州に渡り、旧 大連市役所など公共建築を設計しています。
大正11年に辞任・帰国してから、片岡建築事務所で大阪電気博覧会(1926)・武田薬品本社(1928)などを手掛け、松室建築事務所として独立。 昭和12年(1937)永眠しました。

【2013年3月 訪問】


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