2014.
01.19
Sun
所在地: 東京都 目黒区 駒場4-3-55 駒場公園内
建築年: 昭和5年(1930) 昭和49年・平成3年に改修
構 造: 木造2階建て
設計等: 監修は塚本靖、実施設計は佐々木岩次郎、佐々木孝之助、
      施工は竹中工務店(竹中藤右衛門)
見 学: 9:00~16:00  無料     ※渡り廊下と2階は通常非公開
休 館: 祝日を除く月曜日、 年末年始
交 通: 京王井の頭線「駒場東大前」駅~徒歩12分
TEL : 03-3460-6725

旧前田侯爵邸・和館
 この和館は前田侯爵家の迎賓館として利用されておりました。 
現在は1階と茶室のみが公開され、2階は通常非公開となっておりますが、毎年の東京都文化財ウィーク(11月初め)に特別公開されます。
旧前田侯爵邸和館・大広間
上: 1階 上の間             下: 欄間
 当初の壁は和紙張りで、唐紙に金砂で雲を描いた華やかなものだった。
襖には橋本雅邦の山水画が、床脇の天袋・書院の地袋や障子の腰壁にも襖絵が描かれていたという。
旧前田侯爵邸・茶室
左: 洋館から和館へとつながる渡り廊下    右: 茶室 (設計施工は3代目・木村清兵衛)
旧前田侯爵邸・茶室外観
茶室外観
旧前田侯爵邸和館・踊場
2階踊り場には水洗トイレと浴室 (非公開区域)
前田侯爵邸・便器
衛生設備は東洋陶器製(現:TOTO)が現存している。
前田侯爵邸・便器商標
便器の「東洋陶器」のマーク。 昭和7年~昭和初期までに製造された上級品。
という事は、建設後に設置された物か? ※詳しくはコチラ⇒【TOTO衛生陶器の商標変遷
旧前田侯爵邸和館・浴室
浴室内の様子 (非公開区域)
旧前田侯爵邸・2階廊下
2階 廊下 (非公開区域)      部屋の入り口には橋本雅邦画の杉戸がある。
旧前田侯爵邸・2階座敷
2階 座敷 (非公開区域)
当初の壁は、床の間と床脇は1階の大広間と同じ雲形金砂子貼(和紙貼)、その他は土壁。
この部屋にも橋本雅邦の襖絵があったという。
旧前田侯爵邸・2階窓
2階 座敷の窓 (非公開区域)
旧前田侯爵邸和館・2階洗面
2階 洗面所 (非公開区域)
右の写真の様に、押入れの中に洗面台が設置されている。
旧前田侯爵邸・渡廊下内部1
洋館と和館をつなぐ渡り廊下 (非公開区域)
旧前田侯爵邸・渡り廊下3
渡り廊下にあるベンチと照明 (非公開区域)
旧前田侯爵邸・配置図
当時の配置図
大きな建物が洋館で、その上が和館。 左下には書庫。


昭和17年 :16代当主の前田利為が司令官として配属されたボルネオで戦死。
昭和19年 :建物と土地の一部が中島飛行機株式会社の所有となり、丸の内明治生命ビルから
       本社を移転。
昭和20年 :尊経閣文庫(1928前田家書庫)を除く、全ての屋敷がGHQに接収され、
       ホワイトヘッド第5空軍司令官が洋館を使用。
昭和26年 :リッジウェイ総司令官が和館も住居として利用。
昭和28年 :和館と一部の土地が富士産業株式会社(中島飛行機)に返還される。
昭和31年~32年 :富士産業は和館と土地を国へ譲渡。GHQは洋館と全ての土地を返還。
昭和39年 :駒場公園計画のため、残りの土地と洋館を東京都が買収。
昭和42年 :国有地も無償で借受け、駒場公園と近代文学博物館がオープン。
昭和50年 :駒場公園と和館が目黒区へ移管。
平成14年 :近代文学博物館は閉館し、建物を無料開放。

 実施設計者の佐々木岩次郎は、嘉永6年(1853-1936)京都で生まれ、木子清敬の下で社寺建築に関わり、平安神宮再建(1895)、増上寺大殿再建(1922)の実施設計を担当。
他には法輪寺多宝塔(1936)なども手掛け、帝室技芸員に就任しています。
 親族と思われる佐々木孝之助は、岩次郎と共に富岡八幡宮再建(1930)に関わっています。
東京の鷺ノ宮にあった自邸(1944)は造園研究家の田村剛が昭和25年頃に買い取り、自邸にしておりましたが、平成24年(2012)に惜しくも解体されました。
 ※詳しくはコチラ【中野たてもの応援団
 佐々木孝之助の工学士としての著作に「社寺(早稲田大学出版部)」が、岩次郎との共著には、建築學會パンフレット(1933) 第4集-第11号「和風建築の木割と仕口」があります。
※詳しくはコチラを参照⇒日本建築学会図書館デジタルアーカイブス
旧前田侯爵邸和館・棟札解説
棟札(昭和4年)の解説版

【2013年11月 訪問】



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2014.
01.05
Sun
所在地: 東京都 目黒区 駒場4-3-55 駒場公園内
建築年: 昭和4年(1929)
構 造 : 鉄筋コンクリート造 地上3階、地下1階
設計等: 基本設計は塚本靖、 設計担当は高橋貞太郎、 施工は竹中工務店(竹中藤右衛門)
見 学 : 9:00~16:30 無料
休 館 : 祝日を除く月曜日・火曜日
交 通 : 京王井の頭線「駒場東大前」駅~徒歩12分
T E L : 03-3466-5150

前田侯爵邸
 前田本家(旧加賀藩)16代当主・前田利為の本邸として建てられた後、一時は中島飛行機株式会社の所有となり、戦後にJHQが接収し、ホワイトヘッド空軍司令官邸として使用されました。
返還後は昭和39年(1964)に東京都の所有となり、昭和42年~平成14年3月まで、「東京都近代文学博物館」として利用されました。
 その後は無料開放されましたが、監視が行き届かず、邸内で悪さをする者もいたようです。
現在はボランティアの皆さんが解説を兼ねて、館内を見守っています。
前田侯爵邸・テラス

旧前田侯爵邸・外部装飾
左:外壁はスクラッチタイル。 白い凝灰岩は風化が見られる。 
右:テラスの床は大理石のモザイクタイル
旧前田侯爵邸・壁泉
非公開区域にある壁泉。 毎年11月初旬「東京都文化財ウィーク」で公開される。
前田侯爵邸・階段ホール
階段ホール
旧前田侯爵邸・階段周り
左:階段ホールの照明          右:階段下の待合所
旧前田侯爵邸・応接室奥
小応接室にある暖炉(スチーム暖房)と照明
前田侯爵邸・大食堂
大食堂。 出窓の下にもスチーム暖房が。
旧前田侯爵邸・金唐革紙
左:大食堂の暖炉 
右:暖炉周りには当時の金唐革紙が残る。
旧前田侯爵邸・サロン
1階のサロン
旧前田侯爵邸・主寝室
主寝室
旧前田侯爵邸・夫人室
夫人室は、明るく見晴らしも良い。
旧前田侯爵邸・次女室
次女(瑤子)の部屋。 小さい部屋だが、夫人室の隣で見晴らしも良く、明るい部屋。
旧前田侯爵邸・書斎
書斎
旧前田侯爵邸・長女室
長女室は広く、建物正面に位置する。
長女・美意子は、昭和20年に従兄の酒井忠元(酒井宗家22代当主)と結婚。
ハクビ総合学院学長や京都きもの学院長に就任した。
旧前田侯爵邸・三女室
三女(弥々子)の部屋。 こちらも小さい部屋だが凝った造り。 浴室の隣にあり主寝室に近い。
旧前田侯爵邸・三男室
三男(利弘)の部屋は、女子達の部屋に比べるとシンプル。
長男・次男の部屋はないので、男子は早くから独立したのだろう。
前田利弘氏は、旧加賀大聖寺藩主の家督を相続した。
旧前田侯爵邸・天井飾り
各部屋の天井装飾も素晴らしい。(照明は復元品あり)
旧前田侯爵邸・使用人用
左:使用人が使う裏階段は幾つもある。           右:呼び鈴のスイッチ
旧前田侯爵邸・女中部屋
床の間?付きの立派な使用人室。
洋館の中に和室を造ったため、床の間が不思議な意匠。
旧前田侯爵邸・中庭
中庭には巨大な煙突が。 地下のボイラーで湯を沸かし、全館スチーム暖房とした。
旧前田侯爵邸・雨仕舞
左:車寄せ(長女の部屋の前)のバルコニー。現在はシート防水で保護されている。
右:外壁装飾の凝灰岩の裏に雨樋が。 窓の下にあれば簡単に掃除ができる。


 前田利為(としなり)は、明治18年(1885)旧七日市藩主・前田利昭の5男『茂』として生まれ、明治33年(1900)前田本家・利嗣が亡くなったため、その家督を継ぎ16代当主となります。
 陸軍大学校卒業後はドイツやイギリスへ留学し、漾子(利嗣の1人娘)との間に、長男・次男が生まれますが、妻・漾子が滞在先で亡くなります。
 帰国後、前田利為は陸軍に所属し、大正14年(1925)酒井忠興(旧姫路藩主の長男)の次女・菊子と再婚し、震災で被害を受けた本郷の屋敷を東京帝国大学へ譲渡し、代替地として駒場校地(農学部)の一部を取得。 現在の洋館が建設されました。 
 その後の前田利為は、昭和17年(1942)司令官として配属されたボルネオで墜落により死去。 この本邸は中島飛行機株式会社(現・富士重工業)の所有となりました。
〔※この中島飛行機㈱は、ある建物でも名前が出てきますので、覚えておいて下さい。 ヒント:右上のブログ検索で中島飛行機と検索〕
 この様に、前田家が暮らしていたのは僅かな期間であり、戦争によって華やかな時代も終わってしまいました。

 棟札には、上棟は昭和2年4月28日、設計・監督:塚本靖、技師:高橋貞太郎となっています。
●基本(意匠)設計者の塚本靖は、明治2年(1869)京都で生まれ、東京帝国大学工科大学造家学科で辰野金吾に学び、明治26年(1893)卒業。 明治32年から同大学の助教授となり、西欧へ留学。 大正9年(1920)教授となり、その後は8代・10代建築学会会長にも就任しました。
東京帝国大学工学部(1919)、京城駅舎(ソウル駅1925)などを設計。
工芸品の調査で清国へ訪問したことがあり、「天目茶碗考」を著しています。
昭和12年(1937)に死去。
●設計担当の高橋貞太郎(ていたろう)は明治25年(1892)彦根生まれ。 東京帝国大学工科大学で佐野利器に学び、大正5年(1916)卒業。 翌年から内務省明治神宮造営局技師となり、聖徳記念絵画館などの建設に従事した後、大正10年(1921)宮内省内匠寮技師となり、赤坂離宮の改修などに関わりました。 大正15年(1926)から復興建築助成株式会社の技師長を務め、学士会館の設計コンペにも優勝。 昭和5年(1930)高橋建築事務所を開設して、日本橋高島屋(1933)・川奈ホテル(1936)・小学館ビル(1967)・帝国ホテル新本館(1970)などの設計を行いました。 昭和45年(1970)死去。

 ちなみに本郷の屋敷(江戸上屋敷は明治元年に全焼)は、洋館(1907 渡辺譲が設計)と和館(1905 北沢虎造が設計)があり、洋館は重厚で広大な建物でしたが、関東大震災により建物の一部が損壊。 その後、東京帝国大学の所有となったものの何年も放置されていました。
 そして、前田家が補修費用を寄付し、昭和10年に再生されて『懐徳館』となりましたが、昭和20年の大空襲で焼失しています。

 
【2013年11月 訪問】


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