2014.
02.16
Sun
所在地:青森県 弘前市 元長町26
建築年:明治37年(1904)、 昭和60年に修復
構 造:木造、 地上2階
設計施工:工事監督は佐藤甚左衛門、 棟梁は堀江佐吉
見 学:9:00~16:30、 有料
休 館:火曜日、8/13、12月~3月
交 通:JR弘前駅前バス乗り場~10分~下土手町バス停下車
TEL: 0172-33-3638(青森銀行記念館)

第五十九銀行本店
 この建物は総工費67,711円・工期2年半の歳月をかけて、明治37年(1904)11月19日に完成。 木造ですが、外壁は石貼りの腰壁と瓦を下地に貼った漆喰壁、漆喰塗の土戸に瓦屋根という防火構造となっております。
内部は青森県産のケヤキの柱にヒバ材の建具、天井は金唐革紙張りという豪華なもの。 昭和58年7月~昭和60年9月まで207,700,000円の費用を掛けて修復。 屋根・外壁・外階段・内壁・照明・カーテン等が竣工当時の様子に戻りました。
第五十九銀行本店・営業室
1階の営業室
第五十九銀行本店・看板
左:当時の看板
右:階段は修復により復原されたもの。 階段下の金庫は第五十九銀行三本木支店にて大正7年~昭和38年まで使用。
第五十九銀行本店・窓
左:上げ下げ窓は防火と防犯のために漆喰仕上げ(土戸)の引込み戸としている
右:窓枠の内部に仕掛けられた上げ下げ窓のための錘により開閉高さは自由。 左の金具はラッチ錠と思われる。
第五十九銀行本店・2階会議室
2階の大会議室
第五十九銀行本店・天井
左:2階大会議室の金唐革紙の天井と中心飾り
右:2階小会議室の天井      ※どちらの照明も再現品
第五十九銀行本店・金唐革紙
上:格天井の金唐革紙は復原
下:当時の金唐革紙の断片
第五十九銀行本店・2階天井
2階・第2応接室の青色の漆喰天井も復原
第五十九銀行本店・相輪
右:屋根の棟端にあった当時の相輪・請花
第五十九銀行本店・素材
左上:外壁の漆喰壁の下地は防火のために張り瓦(240×240×20)を釘打ちし、麻糸を縦横に張り巡らせ、厚み45㎜の漆喰で横目地仕上げとした。
右上:修復調査で竣工時の窓廻りの漆喰はウグイス色と判明
左下:当時の屋根瓦
右下:内壁は黄色の大津漆喰壁で、営業室の蛇腹と中心飾り・2階の壁と天井に施工された
第五十九銀行本店・棟札
工事監督の佐藤甚左衛門については不明。 明治37年の棟札には堀江佐吉の右側に名が記載されている事から、格上である事は間違いなく、銀行側の建築技師であった可能性も。 ちなみに監査役の伊東善五郎とは廻船問屋の滝屋と思われる。
第五十九銀行本店・堀江佐吉
左:2階奥にある階段は当時の物。 ワニス塗りの手摺柱にヒビ割れがあって古さを感じる。
右:館内に展示されていた堀江家の家系図


 棟梁の堀江佐吉は、弘化2年(1845)弘前藩大工の家に生まれ、父の下で修業を積む。 明治10年(1877)父が亡くなり家督を継いだあと、北海道へと出稼ぎに赴いた際に函館で洋風建築を研究。 明治22年(1889年)から1年間、屯田兵村(滝川兵村)に管理棟や兵舎を建設。
その他に、旧弘前市立図書館旧偕行社・東奥義塾校舎・旧島津家住宅(斜陽館)等を手掛けています。 明治40年(1907)8月19日に死去。
 大工という家柄もあり、実弟の横山常吉は弘前カトリック教会を、9男1女の内、長男:彦三郎は旧第8師団長官舎を、3男:竹次郎は旧高谷銀行本店を、6男:金蔵は旧藤田家別邸洋館を、7男:幸治は旧第五十九銀行青森支店と、家族総出で数多くの設計や施工を手掛けています。

〔銀行の変移〕
明治12年(1879) 旧弘前藩士の金禄公債を資本に、青森県初の銀行『第五十九国立銀行(民営)』として開業 (初代頭取:大道寺繁禎)
明治30年(1897) ㈱第五十九銀行に改称。それ以降は様々な銀行と合併・買収を重ねる
明治37年(1904) 11月19日、現在の建物が落成
昭和18年(1943) 第五十九銀行・青森銀行・板柳銀行・八戸銀行・津軽銀行が合併して「青森銀行」となり、この建物は青森銀行弘前支店となる
昭和40年(1965) この建物は90度回転50m移動して現在の位置に曳家され「青森銀行記念館」として開館
第五十九国立銀行・古写真
1904/11/19落成式当日の写真    (館内展示パネルより)


【2013年7月 訪問】



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2014.
02.02
Sun
所在地:秋田県仙北市角館町
交 通:JR角館駅~徒歩10分位


 武家屋敷で有名な角館には、生活の基盤を支えていた町人地(外町)もありました。
元和元年(1615)一国一城令が発令され、久保田藩は元和6年に小松山(古城山)北麓にあった角館城を廃城。これを機に、蘆名義勝は山の南麓に御殿を移し、城下町の工事を開始しました。
石垣や堀を建設することが許されなかったため、川を外堀に見立て、山や丘を障壁の役割としました。
 そして、外側を寺町で囲み、外町(町人地)と内町(武家地)の間は、延焼防止のため空地にして土塁を築き、さらに塀で区切って門が設けられていたという事です。


株式会社 安藤醸造 
 角館町下新町27  TEL:0187-53-2008

安藤醸造元
店内奥にある黒漆喰の土蔵(明治17年)の中では味噌汁などの試飲も可能。
安藤家・蔵
安藤家の煉瓦造の蔵座敷(明治24年)では西宮礼和の襖絵が見学可能。
安藤家・蔵座敷
 安藤家は享保からの地主であり、副業として質屋や煙草の卸店、味噌醤油の醸造『丸上安藤屋』としても営業しておりました。
 店内に残る「常陸傳、生醤油」の木製看板は、久保田藩の好みに合うよう常陸(茨城県)まで出向いて研究した事を表しています。 戦後の農地解放後も『株式会社 安藤醸造』として、味噌・醤油の製造が現在も続けられています。
安藤醸造元・蔵
 主屋・土蔵(明治17年)、煉瓦造の蔵座敷(明治24年)の建物は、明治15年(1882)の大火後に建設されたものです。


旧角館製糸工場  田町下丁14-3  
旧角館製糸工場
 太田蔵之助が明治後期に建てたと云われる製糸工場。 角館製糸合資会社(明治31年~明治40年)から、角館製糸所(明治44年~大正7年)として操業した後、太田家は地主となり、建物は農協の倉庫として賃貸されました。
 昭和40年代に道路の拡張工事のため、90度回転して北側の現在地に曳家され、現在も倉庫や車庫として利用。 ※内部非公開   詳しくはコチラを参照⇒【フィデア総合研究所
 
【2011年7月 訪問】


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