2014.
08.24
Sun
 建築年 : 昭和10年(1935)、 昭和53年(1978)改修済
 構 造 : RC造, 地上3F+地下1F
設計施工: 岡本工務店(山中茂一 設計)
 住 所 : 大阪市 西区 江戸堀1-10-26
 交 通 : 地下鉄 四ツ橋線「肥後橋駅」8号出口~徒歩2分、
             御堂筋線「淀屋橋駅」南出口西~徒歩8分

江戸堀コダマビル
 この建物は兒玉竹平商店・児玉竹次郎の住まいとして昭和10年に建設されました。
 昭和8年の「大阪商工名録」(大阪商工会議所 発行)によると、兒玉竹平商店は西区靸上通り2丁目で店を構え、市内や名古屋から仕入れた絹布・麻布・各種金巾を使って、ワイシャツやカラーなどを製造していたようです。
 その後、綿布商として成功しましたが、空襲で店は焼失、戦後の物資統制で企業統合し、事業は昭和繊維㈱大阪支店に継承されています。
 訪れた日は、児玉竹次郎の子孫で、小さな男の子を含む児玉家3世代がいらっしゃり、屋上や音楽室も拝見する事ができました。
日本海上保険ビル部材
 旧・日本海上保険㈱本社(西区江戸堀上通1-25、大正11年6月竣工、大林組施工)の解体の際に、柱頭飾りを譲り受けたという。 その上のオブジェは大久保栄治氏の作品。
江戸堀コダマビル・1F
玄 関
江戸堀コダマビル・1F窓
1階正面の窓。 この部屋はテナントが入居。
江戸堀コダマビル・地下
地下の窓。
こちらはミーティングホールとして利用可能(定員10~30名,予約制,日・祝日は休み)
江戸堀コダマビル・窓
ステンドグラス
江戸堀コダマビル・スタジオ
1階レッスンホール(クラシック専用の貸室)
 ベルリンフィルメンバー、エサ=ペッカ・サロネン(作曲家・指揮者)、カール・ライスター(クラリネット奏者)等の著名な音楽家がここを訪れ、大阪でのコンサート等の練習に利用。
江戸堀コダマビル・貸室
左: 3階談話室も貸室として利用可能(定員6~8名,予約制,日・祝日は休み)
右: 階段
江戸堀コダマビル・屋上1
屋 上
江戸堀コダマビル・屋上2
屋上の増築部にもテナントが入居中
江戸堀コダマビル・屋上4
左: 屋上の床タイル                 右: 屋上にある煙突
江戸堀コダマビル・屋上3
屋上から見える改築された坪庭
江戸堀コダマビル・模型
展示されている模型


 設計施工した岡本工務店(代表:岡本新次郎)は当時は東区横堀4-43に事務所があり、この建物の設計は社員の山中茂一が担当したようです。
岡本工務店は、日本基督教団大阪教会(1922)・近江岸家住宅(1935)等を手掛けた他、ヴォーリズ建築事務所作品の施工に携わり、この児玉邸もヴォーリズ風な住宅になっています。
 建物は昭和9年11月14日に上棟し、翌年3月15日に竣工。
地下には、納戸・使用人室・炊事場・浴室・汲み取り式便所・浄化槽・石炭置き場。
1階には、応接室・事務室・炊事室・8帖+4帖の茶の間・コルク貼の日光室・水洗便所。
2階には、書斎・洋室・炊事室・8帖+6帖の客間・板貼の日光室・水洗便所。
3階は、2部屋の子供部屋・ブランコ付の運動室・2部屋の納戸がありました。
1Fから屋上まで吹抜けた坪庭を通し、1階床のガラスブロック越しに地下室へ光が差し込むようになっていましたが、現在は坪庭を塞いで2階に床が張られています。
 現在は改装され、貸し音楽室や貸室、「大正・昭和の家庭用品展示室」があります。

【貸 室】 時間貸し・予約制   TEL:06-6445-6020
 営業日時: 平日・土曜日 10:00~21:00
 全館休業: GW・お盆・年末年始・その他
● 1階レッスンホール(20帖)クラシック専用の室内楽練習室 …土休日は応相談。
● 地階ミーティングホール(10~30名)…日・祝日は休み
● 3階談話室(6~8名)…日・祝日は休み
● 大正・昭和の家庭用品展示室(¥300)…日・祝日は休み
 ※詳しくはコチラ⇒【タウンページ

【参考文献】
 「江戸堀コダマビルの栞」 江戸堀コダマビル事務所
 「大阪商工名録」(1933) 大阪商工会議所

【2013年10月 訪問】




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2014.
08.03
Sun
建築年 : 本館は昭和6年(1931)12月に竣工、新館は昭和37年11月
構 造 : RC造、 地上6階+地下1階+塔屋
設計施工: 設計は渡辺節(渡辺建築事務所)、 施工は清水組(清水建設)
住 所 : 大阪市 中央区 備後町2-5-8
交 通 : 地下鉄「本町」駅 or 「堺筋本町」駅~徒歩5分
見 学 : 有料・予約制、 第4土曜日 11:00~(食事付)、14:30~(見学のみ)
T E L : 06-6231-4881(日・祝・第3土曜日・年末年始休み)

      ※詳しくはコチラ⇒【日本綿業倶楽部
綿業会館
 こちらは企業系の建物を数多く手掛けた渡辺節の作品で、日本綿業倶楽部会員用施設です。
東洋紡績の専務であった岡常夫(1927.1.22没)の遺言として100万円、業界からの寄付50万円を合わせて会館を建設する事になり、渡辺節が設計しました。(村野藤吾も主任として図面作成) 昭和6年(1931.12.31)竣工し、翌年(1932.1.1)に開館。
 戦時中の昭和17年(1942)には、岡常夫の銅像や鉄柵・シャンデリア等の金属を供出し、さらに昭和20年7月から陸軍第4師団司令部に接収された為、事務所は寺田ビルに移転します。 昭和20年(1945)大阪大空襲の時には、綿業会館は網入ガラスの耐火窓を採用していたためか、被災は僅か1ヶ所で、ガラス1枚とカーテン1枚のみ。
 終戦後は昭和27年まで進駐軍に接収され、各部屋が間仕切られて浴槽などが設置されていましたが、同年10月2日から綿業会館として再開することができました。 その後、岡常夫の銅像(建畠大夢 作)は型が残っていたため再製できましたが、シャンデリアはミラノ・スカル座ロビーの照明をモデルに新規で作製。
そして渡辺建築事務所の設計により、昭和37年11月に新館(増築部)が完成しました。
綿業会館・旧館ロビー
 本館 玄関ホール
トラバーチンを大量に使用したのは、この建物が初めてだと渡辺節が語った1階ロビー。
石屋の見積もりは法外な値段であった為、渡辺節がイタリア領事館に交渉し、トラバーチンを直送してもらったという。
綿業会館・本館ロビー消火栓&ポスト
本館 玄関ホールにある郵便ポストと消火栓
綿業会館・本館サロン
本館1F: サロン
綿業会館・本館会員食堂
本館1F: 会員食堂。 この日は貸し切りのパーティーに利用されていた。
綿業会館・本館会員食堂天井
本館1F: 会員食堂の天井
綿業会館・本館会員食堂壁
本館1F: 会員食堂の壁は、石材風に仕上げたもの。
綿業会館・本館談話室
本館3F談話室
綿業会館・本館談話室2
本館3F談話室
綿業会館・本館談話室タイル
本館3F談話室: 渡辺節自ら、色合いの異なるタイルの配置を決めた。
綿業会館・本館談話室空調
本館3F談話室の空調吹き出し口:当初の冷房は井戸水による冷風装置だったという。 
その後、日本初のスターテバント型ロータリー圧縮機を採用した。
綿業会館・本館談話室4
本館3F談話室: 時計              本館3F談話室: 照明
綿業会館・本館談話室3
本館3F談話室の中にある階段
綿業会館・本館特別室
本館3F特別室
綿業会館・本館特別室天井
本館3F特別室の天井
綿業会館・本館会議室
本館3F会議室: この部屋は「鏡の間」とも呼ばれている。
綿業会館・本館会議室天井
本館3F会議室の天井
綿業会館・本館会議室天井2
本館3F会議室の天井
綿業会館・本館会議室その他
本館3F会議室:ドア             ブラケット照明と換気ガラリ?
綿業会館・本館会議室扉上
本館3F会議室:ドア枠も時計も石材を使用
綿業会館・地下階段
地下の階段
綿業会館・地下階段&休憩所
地下の階段の仕上げ                  地下の休憩所
綿業会館・地下バー
地下のBAR
綿業会館・地下食堂
地下の食堂
綿業会館・正面
手前にチラリと見える街灯は、三休橋筋に復元されたガス灯。

 渡辺節は明治17年(1884.11.3)長男として東京に生まれ、その年が天長節であった事から「節」と名付けられました。 そして子供の頃から絵を描くのが得意だったといいます。
父・祺十郎の赴任先(陸軍第八師団)で弘前にある青森県第一中学校(現・弘前高校)を明治34年に卒業し、仙台の第二高等学校を経て、東京帝国大学工科大学建築学科(1908年)卒業。 韓国政府度支部建築所を離職後(1912)、鉄道院西部鉄道管理局に入省し、旧京都駅などを手掛けました。
 大正3年に山田さだ(弟は愛知大学長・山田文雄)と結婚し、暮らした自邸は神戸・住吉村にあり、谷川焼の屋根瓦で葺いた和風建築で、晩年から趣味の菊鉢を育てたといいます。
 大正5年(1916)に独立した後の作品は、東リ伊丹工場旧事務所(1920)・旧大阪商船神戸支店(1922商船三井ビルディング)・岸和田市立自泉会館(1932)・乾邸(1937)など。
 最初の事務所は玉江橋の浪華倉庫2Fで、事務所に渡辺節が来ると所員達は相当緊張したようです。 村野藤吾によると、渡辺節は寸法の達人・図面を見る名人であり、入社3年目まではストレスで体重が減り、いつ出ようかと毎日考えていたが、一旦芽が出ると信用して仕事を任せてくれるようになったとの事。 仕事で感心したのは、工期を早くするから金を出せと施主に伝え、図面から工法まで、あらゆる時間短縮を試みた事で、例えば枠を先に付けて塗り壁で仕上げるのではなく、定規縁を先に打って壁を塗り、枠を後付けにする等々…。
 また渡辺節は、日本の建築界に新しい製品を導入してきました。 大阪商船神戸支店新築(1922)の際には米国へと視察に出掛け、大量のテラコッタ・プラスター・タイルを購入。 構造設計は内藤多仲に依頼して耐震化し、強制式温水暖房を採用しました。
さらに、テラコッタやプラスターはメーカーに持込み、大阪陶業㈱が製品化に成功。 大阪ビルヂング(1924)に採用したといいいます。 
 所員には厳しかった渡辺節ですが、晩年には菊を愛で、孫をたいそう可愛がる洒落たおじいちゃんであったようです。  昭和42年1月21日 他界。

 【参考文献】  「建築家 渡辺節」 1969 大阪府建築士会渡辺節追悼誌刊行実行委員会

【2013年10月 訪問】


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