2014.
09.18
Thu
建築年 : 大正15年(1926)6月竣工、 平成19年(2007)改修
構 造 : RC造 地上6階+屋上階+地下1階
設計施工: 大林組
住 所 : 大阪市 中央区 北浜東6-9
見 学 : 無料、9:00~17:00(16:30までに入場)、 会社指定日・土休日・年末年始は休館
交 通 : 北浜駅・天満橋駅~徒歩5分
T E L : 06-6946-4626
   ※詳しくはコチラ⇒【大林組歴史館
大林組旧本店
 この建物は、かつて大林組本店(4代目)であったもので、平成19年(2007)に耐震補強・設備改修が完了し、現在は地階~2階にレストランや結婚式場、3階には大林組歴史館が、その他の階にはグループ企業が入り、『ルポンドシェルビル』という名称になっております。
大林組旧本店・玄関廻り
正面玄関
大林組旧本店・装飾2

大林組旧本店・装飾

大林組旧本店・装飾1

大林組旧本店・装飾3
建物上部の装飾
大林組旧本店・1Fホール
1階 玄関ホール
大林組旧本店・1F装飾
エレベーターの壁面彫刻
大林組旧本店・展示室
 大林組歴史館では、東京スカイツリーの模型も展示。
東京スカイツリーは東日本大震災時に建設中であったが、被害はなかったという。
旧ダイビル本館軒飾り・大林組
旧ダイビル本館(1925-2010)の軒装飾を保存
地下鉄御堂筋線・工事
 地下鉄御堂筋線 淀屋橋~北久太郎町間の線路・停留所工事(昭和5~8年)
木製支保工設置の様子 ※展示パネルより
大林組旧本店・社長室
大阪大林ビルにあった大林芳郎名誉会長(3代目社長)室の再現。  (備品は本物)

大林組旧本店・1代目
創業時の「大林店」 (1代目) 現・西区西本町2-5-24  ※展示パネルより①
大林組旧本店・2代目
2代目の大林組本店 : 東区北浜2-27-乙 (現・中央区北浜2-5-4) ※展示パネルより②
大林組旧本店・3代目
3代目の㈱大林組本店 : 東区京橋3-75 (現・中央区北浜東6-9) ※展示パネルより➂
大林組旧本店・竣工時
4代目の㈱大林組本店 (現・中央区北浜東6-9) 竣工時の写真 ※展示パネルより④
現在は隣のビルに隠れている両脇の窓が見える。
大林組旧本店・正面
現在のルポンドシェルビル (現・中央区北浜東6-9)
大林組旧本店・図面
地階~3階の平面図  ※展示パネルより⑤


 創業者の大林芳五郎は、元治元年(1864)大阪の海産物問屋の家に生まれ「由五郎」と命名。 明治6年に父が亡くなり、呉服商の丁稚見習いとなりました。 そして、小売りの呉服屋として独立しますが不景気でうまくいかず、土木建築請負業の砂崎庄次郎の下で工事管理を経験。
明治25年(1892)に、土木建築請負業「大林店」(写真①)を創業し、第5回内国勧業博覧会の施設や銀行、官立の学校等を受注。
明治37年(1904)2月「大林組」と改称。 同年6月に東京事務所を開設し、翌年に本店が大阪市東区北浜2-27-乙(写真②)へ移転しています。 そして、日露戦争が始まると軍事施設の工事を、第2次世界大戦中は工場等を請け負いました。
 大正7年(1918)株式会社 大林組となり、翌年に合資会社大林組を合併し、大阪市東区京橋3-75(写真➂)に本店を新築移転。 その建物も手狭になったため西側の敷地を買い足し、大正14年(1925/2/23)起工、3/4地鎮祭、大正15年(1926/6/24)に大林組本店社屋としてこの建物が竣工しました。(写真④)
 この社屋建設の際には社内コンペが実施され、平面計画は小田島兵吉、意匠設計は平松英彦、彫刻は大塚尚武らが担当。 社員をアメリカに派遣し、最新の工法・設備が導入されたようです。
 〔文献※2〕によると、竣工当初の間取りは… (写真⑤)
地階は食堂・炊事場・宿直室・小使室・実験室・ボイラー室など。
1階は営業室・重役控室・3つの応接室・出納室など。
2階は、社長室・2つの応接室・重役会議室及び食堂・3つの事務室・電話受信室・タイプライター室など。秘書室には英国シンクロノーム社製の電気時計を設置。
3階は、製図室・応接室・書庫・標本室など。
4階は、事務室・林友会員(協力業者)室・社員寝室・予備室など。
5階は、事務室・予備室など。
6階は、大集会室・料理室・配膳室
 さらに各階には、便所・倉庫(安全庫)・スチーム暖房・扇風機・電鈴・時計・消火栓が設置され、ボイラーの熱を利用して各手洗器に給湯されました。 また、便所の汚水は地下の浄化槽を通して土佐堀川へ、その他の排水は川へ直接放流。
外装は、階段表面は擬石ブロック張り、正面ドア窓廻り・腰壁は竜山石(宝殿石・凝灰岩)貼り、側面・背面腰壁は人造石塗りor人造石ブロック貼り、外壁はフェイスブリック貼り。 正面出入口にはシャッター、その他出入口は鉄扉を設置。
 室内は、玄関ホール~1階営業室は、梁下まで日華石(観音下石・凝灰岩)貼り、天井はコルク入りプラスター塗りペイント仕上げ。 主要な部屋は、床は寄木張り・腰壁に羽目板・天井は特別仕上げ。 製図室と見積室は、床は米松板張りで腰壁に羽目板。 その他の部屋は、床はリノリウムかテラゾー又はタイル、腰壁はテラゾーかタイル又はモルタル仕上げとなっています。(壁と天井はプラスターの共通仕上げ)
 その後、昭和11年(1936)に㈱第二大林組を設立。 翌年に㈱大林組を吸収合併し、㈱大林組を商号としました。 よって現在の㈱大林組は、創業は明治25年・設立年は昭和11年となっているようです。
 戦後は、庁舎や駅舎・駅ビル、空港ターミナルビル・自動車道・トンネル工事などを受注。 昭和45年(1970)商法上の本店は大阪とし、東京に本社が設置され、昭和48年(1973)旧社屋の前に大阪大林ビルが竣工しています。

 主要工事としては、東京駅(1914)・伏見桃山御陵(1912)・東御陵(1914)・甲子園球場(1924)・多摩御陵(1927)・大阪府庁舎(1927)・神奈川県庁舎(1928)・東京地下鉄(万世橋~上野1928)・国立科学博物館(1930)・大阪城再建(1931)・大阪地下鉄(淀屋橋~北久太郎町1928)・東京国立博物館本館(1937)・熊本城再建(1960)・神戸ポートタワー(1963)・東京モノレール線(1964)・スタジアムオーストラリア(1999)・東京スカイツリー(2012)など。
 
【参考文献】
 ※1  大林組HP  「おおばや史
 ※2 「昭和2年 建築年鑑」(1927) 建築世界社

【2013年10月 訪問】
  

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2014.
09.07
Sun
建築年 : 昭和10年(1935)落成、 昭和53年(1978)改修、 平成25年(2013)耐震補修
構 造 : 木造一部2階建て、鉄骨補強あり 
設計施工: 設計は池田谷建築事務所、 施工は北井工務店
住 所 : 大阪市 西区 江戸堀1-16-9
交 通 : 地下鉄 四ツ橋線「肥後橋駅」8号出口~徒歩1分、
        御堂筋線「淀屋橋駅」南出口西~徒歩8分
T E L : 06-6441-2403
 ※詳しくはコチラ⇒【金光教玉水教会
金光教玉水教会
 肥後橋商店街の外れにある、玉水教会と書かれた和風の建物に次々と人が入っていくので、その人達の後ろに付いて門の中に入りました。
ちらりと覗いてみると、建物内も和風であり、人々が椅子に座ってお祈りをしています。
 今思えばすごい度胸でしたが、受付にいらした御年輩の婦人に「建物を見学してもよろしいでしょうか?」と声を掛けてみました。
 その方は、「どうぞ誰でも入れますよ。 今日は先生がいらっしゃるし、せっかく来たのだから、お願いをしてみては?」と、祭主がいらっしゃる前の方へと連れていかれました。
 そこでは3人ほど順番待ちをしており、まずは補佐の方に願いを伝え、祭主(教会長)の近くに進み出る形式のようです。 今さら後に戻れずドキドキしながら待っていると、すぐに私の番が来ました。
 補佐の方は物柔らかな男性で、建物の見学に来た事を伝えると、祭壇に祀られている銅像は玉水教会の初代であり、現在の4代目教会長(湯川正夫師)は子孫であると、説明をして下さいました。
 いよいよ教会長の下へと進みましたが、「建物を拝見させて下さい。」と御挨拶だけして下がりました。
金光教玉水教会・玄関
玄 関
金光教玉水教会・内部
会堂は総檜造り
金光教玉水教会・天井
格式の高い、折り上げ格天井
金光教玉水教会・耐震補強
大広間横の部屋に設置された耐震補強柱。 吊り橋の様にワイヤーで引っ張る構造のよう。
平成25年4月から実施された耐震補強ほか修繕工事は、㈱金剛組が手掛けた。
金光教玉水教会・屋根
 今回の耐震補強に合わせ修繕された銅板葺の屋根。
下屋の部分は葺いたばかりで、銅板はピカピカに光り輝いているが、数日で赤褐色になり、やがて薄緑色になる。 この薄緑色の緑青は被膜であり、銅板内部の腐食を防ぐ効果があるが、近年では酸性雨などで緑青が溶けて、腐食が進行している鎌倉の大仏が話題になった。


 金光教(こんこうきょう)とは、安政6年に金光大神(赤沢文治)が開いた新宗教で、「天地金乃神」様をお祀りする神道系の宗教です。
布教が出来なくなった国家神道(神社)に替わって設立された「神道事務局」の傘下となった後、明治33年(1900)に独立。 明治政府が認可した神道13派(教派神道)の一つで、本部は岡山県浅口市金光町にあります。
これらの教派神道は神社名を冠する事を禁止(1888.4.17)されたため、教会となっています。
 金光教は、現在は国内1500、海外30カ所に教会があり、宗教・宗派を問わず参拝者の願いを神に伝える「取次」が行われているようです。

 玉水教会の初代教会長・湯川安太郎師は、明治3年、和歌山市御膳松に生まれ、父親が亡くなったため叔母のいる中尾家で育てられました。
大阪で奉公し、明治27年から独立して乾物の小売行商を始めていましたが、金光教に感化され入信。 神職の資格を取って明治38年に家業を知人に譲り、土佐堀裏町の家屋にて布教を始め、翌39年に教会を発足させます。
大正4年、船町橋付近へ移転。 さらに大正9年に江戸堀上通1-8 に教会堂を新築。
 また昭和に入ると教会堂の新築が計画され、昭和9年に上棟式(1934.4.5)と遷座式(1934.12.11)が、翌年に落成式(1935.4.19~4.21)が行われました。
 現在は曾孫の湯川正夫師が4代目教会長となっています。


 設計者の池田谷 久吉は、住宅等を手掛けた他、大宮神社本殿(1936 金剛組 施工)などの社寺建築や郷土史の研究に携わりました。
 自邸(昭和初期=1927頃、非公開)は、泉佐野市大西1丁目に現存し、蔵の2階(6畳間)が仕事場兼書斎であったといいます。 主屋は昭和24年(1949)に増築され、玄関東脇に寺院の古材を用いた3畳茶室があるとの事。
 大正15年(1926/2/4)に法隆寺五重塔の芯柱下の空洞調査をしており、法隆寺の森山師と佐藤氏の3人で芯柱下に潜り、僅かに残る芯柱が石枠の上にただ載っていた事などを〔※1〕に記しています。

【参考文献】
  金光教HP
  金光教玉水教会HP
  教派神道連合会HP 「教派神道連合会百年史」
  文化庁・国指定等文化財データベース
※1 「法隆寺五重塔と空洞の調査研究」(1926) 池田谷久吉

【2013年10月 訪問】


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