2015.
05.11
Mon
建築年 : 大正11年頃(1922)
構 造 : 鉄筋コンクリート造、3階+地階
設 計 : 愛仁建築事務所、  改修はNEO建築設計室
所在地 : 京都市 下京区 七条通新町西入 夷之町721
交 通 : JR京都駅(バス乗り場方面)~徒歩8分

富士ラビット1
 京都のタクシーでお馴染みのヤサカグループ。 この建物は、創業者・粂田幸次郎が起業した日光社の旧社屋です。
現在は富士ラビットビルとして、1階の貸店舗は『なか卯』が営業、3階は住居となっているようです。
2階の『 CAFÉ Rabbit 』という喫茶店では、月1回の夜にクラシックライブコンサートが行われています。(毎月第三金曜日 20:30-21:30、チャージ¥1000 +Drink代)
Cafe Rabbit … 11:00~18:00 営業 ㊡土休日 (TEL)075-361-6241 ※ライブについてはコチラ⇒【Rabbit Live
富士ラビット3
 戦後は、富士ラビットスクーター㈱ という、ラビットスクーター販売特約店が使用し、その名は全国ラビット販売特約店のリストに載る。
ラビットスクーターとは、アメリカ軍のスクーター『パウエル』を手本に、富士産業㈱が昭和22年から販売開始した2輪車(S-1型)。 昭和43年のS-211A型を最後に生産が終了した。(※3)
ちなみに、富士産業㈱の前身は中島飛行機㈱で、戦闘機を製造していた会社だった。
富士ラビット4
1922年~2002年2月まで使用したという事だろうか?
富士ラビット2
建物の側面と背面。 『カフェ・ラビット』の入口はこちら。
富士ラビット5
正面にある照明
富士ラビット・欄間
1階店舗内から見たステンドグラス。 上: 左手の欄間、 中:中央の欄間、 下:右手の欄間


 大正5年(1916)粂田幸次郎が、京阪伏見桃山~明治天皇御陵間で路線バス事業を開始。 翌年、営業用自動車鑑札第1号・第2号を取得、京都初のハイヤーを営業します。(※1)
そして日光社を創業し、大正7年9月から自動車付属品やフォード自動車の輸入販売を開始。 昭和13年に株式会社 日光社を設立し、戦時中は自動車修理に専念。 
現在の株式会社 日光社は、フォード、フォルクスワーゲンの販売特約店として、東九条に本社を構えています。(※2)
 一方の「日光社自動車部」となっていたハイヤー部門は、昭和8年(1933)京都合同自動車 株式会社となり、現在はヤサカグループ(基幹:彌榮自動車 株式会社)として様々な事業を展開しています。(※1)
 この建物を手掛けた愛仁建築事務所の担当者については不明ですが、昭和30年~40年代の近畿建築士会会報に事務所名が出ており、所長・坂尻一郎の作品として、京都学園(現:京都光楠学園)宇多野学舎寄宿舎・中坊邸・山本邸があります。 坂尻一郎は茶室も手掛けていたようで、「茶道の四季. 冬の巻」(六月社1957)という雑誌に、「誰にも出来る簡単な茶席の作り方」という記事も載せています。 また、ヤサカグループの社章をデザインしたのも坂尻一郎でした。
富士ラビット・欄間2
 七条通りには飲食店が少なく、グルメサイトに出る店はどこも込んでいるので、近隣を一回りした後、なか卯に戻って昼食を取りました。
洒落た建物に入ったなか卯での鴨葱つけ蕎麦、乙な体験となりました。

【参考文献】 ※クリックすると、各HPへ飛びます。
    NEO建築設計室
※1) ヤサカグループ HP 
※2) 株式会社日光社 HP 
※3) ラビットハウス HP (ラビットスクーター愛好会) 

【2014年9月 訪問】


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2015.
05.03
Sun
見 学 : しょうざん庭園(北庭)は通年公開 (※庭園内の建物は非公開)
      9:00~17:00  年中無休 500円
所在地 : 京都市 北区 衣笠鏡石町47
交 通 : 市バス「北木ノ畑町」バス停~徒歩3分~裏門から入場
T E L : 075-491-5101 
 ※詳しくはコチラ⇒【しょうざんリゾート京都
千寿閣・庭
 この地は『しょうざん』の創業者・松山政雄が、着物の展示場を兼ねた観光施設として計画。
その完成を見ずに、松山政雄は亡くなっています。
 現在は高級プールやボーリング場、結婚式場が併設され、『しょうざんリゾート京都』と呼ばれています。 この『しょうざん』の名は松山を音読みしたもので、『羊』のマークは、開発したウール着物から由来します。
 バス+徒歩で来た場合は、裏門から駐車場を抜け、ボーリング場の横の総合案内場でリーフレットをもらった方が良いでしょう。 さらに宴会場の廊下を通り抜け、ホテルの庭園の様に整備された山道を歩いていくと、北庭に辿り着きます。
千寿閣1
北庭へ向かう途中にある千寿閣。 予約制で本格的な京料理をいただけるようだ。
千寿閣・彫刻
千寿閣の玄関にある、合戦の様子を刻んだ欄間。 
御土居
 京都に僅かに残る御土居の址で、石垣は後に設置。 御土居(おどい)とは土塁の一種であり、敵の攻撃から洛中を守る為に、豊臣秀吉が天正19年(1591)築造したもの。
この御土居がある鷹ヶ峯一帯は辺土であり、江戸初期1615年、本阿弥光悦が徳川家康から約9万坪を拝領し、光悦一族と共に職人達が移り住み、「光悦村」と呼ばれていた。 1681年に本阿弥家はこの地を返還。 本阿弥家の位牌堂跡に光悦寺が建立され、そこには光悦の墓が残る。
しょうざん・渓涼床
渓涼床(5月上旬~9月下旬)
紙屋川別館湧泉閣
紙屋川別館湧泉閣: 京料理のランチもあるようだが、訪問時は貸切りで入れなかった。
紙屋川別館湧泉閣2
紙屋川別館湧泉閣: 一部を移築したものらしいが、窓の形から峰玉亭(非公開)と同じ棟梁が手掛けたと思われる。 峰玉亭の平面計画は松山政雄によるものだが、移築前のこの建物も?
 ※峰玉亭についてはコチラ⇒【しょうざん庭園①
玉庵
玉庵 (茶室)    ※非公開
酒樽茶室1
酒樽茶室①: 醤油樽だったという説も有り。 現在は使用していないとの事。   ※非公開
酒樽茶室2
酒樽茶室②   ※非公開
聴松庵1
聴松庵: 裏千家 玄々斎(11世家元1877没)の設計による茶室で、大徳寺にあったものを明治以降に何度か移築、と解説板にある。  ※非公開
聴松庵・古写真
 聴松庵の以前の所有者について調べたところ、「聴松庵主人伝」(※1)という本があった。
その中の写真(上記)を見ると、京都の製陶業・松風嘉定(3代目)の邸宅にあった茶室と、この聴松庵の屋根の形が似ている。(扁額は違う物)
 松風嘉定(3代目)は洛陶会の会長として、東山の大茶会(1921/11/19-11/22)を開催した人物であるが、聴松庵の由来はこの本に書かれていなかった。 しょうざんにも確認したが、知っている者がいなくなってしまったとの事で確証は得られなかった。
聴松庵・楓?
松風嘉定邸・聴松庵の前にあった楓の切り株の可能性あり。 その楓は、日の丘峠(山科)にある小川の畔から、夜中に民家の軒や辻便所を取り払いながら、松風邸に運搬したもので、それは綺麗に紅葉したという。
聴松庵・腰掛待合
聴松庵の腰掛待合と砂雪隠(形式だけが残り使用出来ない便所。)
しょうざん・主屋
名もなき素晴らしい建物は、かつての松山家の住まい。  ※非公開
しょうざん・主屋裏
建物の裏手を見ると、崖沿いに建てられており、眺めの良い地下室がある。
しょうざん・園内
橋を渡ってしばらく林の中を歩くと小さな滝があり、石仏が祀られている
わかどり・旧松峰家
南門の近くにある、鳥料理『わかどり』の店は、明治の材木商・松峰家の邸宅を移築したもの。
わかどりランチ
わかどりのミニ御膳: これに唐揚げとデザートが付く。 その他の丼物は手頃なランチ価格。

【参考文献】
※1 「聴松庵主人伝」1930 藤岡幸二 著 (神奈川県立川崎図書館所蔵)

【2014年9月 訪問】


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