2015.
12.23
Wed
建築年 : 大正時代
住 所 : 栃木県足利市福居町1143
交 通 : 東武伊勢崎線福居駅スグ
TEL : 0284-71-2151
      ※詳しくはコチラ⇒【株式会社トチセン
トチセン
 足利学校や足利フラワーパークという観光名所がある足利市。 かつては足利氏が治めた地であり、染物・織物の町としても栄えました。 
この煉瓦造の建物は織物工場として建てられ、昭和30~50年代にかけてロール捺染加工(プリント染色)、昭和31年から業務提携でサラン繊維(サランラップ)工場となります。
 現在は㈱トチセンという社名になり、車や建物の窓に貼る紫外線吸収フィルム、エアーキャップや包材テープ等の包装資材、特殊加工された作業用前掛け等を扱い、富山に工場があります。 これらの古い建物は倉庫として使用され、年1回秋に足利の文化財公開で一般公開されます。
トチセン・サラン工場
サラン工場
トチセン・サラン工場外壁
上敷免レンガ(旧日本煉瓦製造会社)等を使用している
トチセン・サラン工場内
サラン工場の内部
トチセン・サラン工場天井
サラン工場の天井
トチセン・捺染工場
捺染工場
トチセン・捺染工場内
左: 捺染工場内                   右: 渡り廊下
トチセン・捺染工場天井
捺染工場の天井(のこぎり屋根裏)
トチセン・天井2
壁と屋根の取り合い部分
トチセン商品
左: お馴染みの日の丸の旗、唐草文様の風呂敷等も染色
右: 銅製の唐草風呂敷用の捺染ロール原版
 唐草風呂敷は昭和30年頃~54年まで加工した主力商品であった。 昭和のコントで泥棒がよく担いでいたが、実は唐草文様は縁起物で、柄に切れ目がない事から花嫁道具を包むゆたん(油箪)として、埃・日焼け防止カバーに使われた。 泥棒にとって宝の在処が分かり、持ち去るのに丁度良い訳だ。
トチセン・古写真
                                (写真:展示パネルより)
 1964東京オリンピックに向けて、日の丸の旗100万枚の捺染加工を行った。
富国生命保険会社が申込者に対し、1戸1旗を無料進呈するため三越に依頼。 短期間に大量生産できる業者という事で、かつて唐草風呂敷を大量納品した実績を持つ栃木整染㈱に発注。 しかし、単純なデザインゆえの欠点が目立つ事、両面を同じ濃度で捺染する難しさがあり、試行錯誤のうえ何とか納品する事ができた。
トチセン・作業場
作業場
トチセン・横置き多管式ボイラー
横置き多管式ボイラー: ボイラーを煉瓦で囲み、効率を良くするため外部からも加熱。
錆が出ないようサツマイモや茶殻を加えて燻す事もあるという。
トチセン・ランカシャボイラー
ランカシャボイラー: (記録※3にある汽鑵2基か?)
織物工場時代のもので、蒸気を発生させ撚糸やセットに使用。 効率が悪く保守管理が難しい。
トチセン・その他4
捺染工場の西側部分
トチセン・その他1
捺染工場の北側にある建物
トチセン・汽罐室
汽罐室
トチセン・汽罐室外壁
戦時中に迷彩色で塗られた汽罐室外壁 
トチセン・その他3
その他の建物も雰囲気がある
トチセン・その他2
トイレらしきものがあるので休憩室か管理室か?


 足利の特産品であった片縮(綿縮・楊柳縮・クレープ)は江戸時代から織られており、明治の頃に横浜の外国人がコットンクレープを着ていたのを見て、日本は輸出を開始。 そしてこの地方出身である明治紡織㈱秋田宗四郎の甥・秋田幸逸が有志と共に大正2年(1913)足利織物㈱を設立し、翌年3月に開業します。(代表は助戸1丁目の小林三郎※2) 
 大正6年の資料※3によると、汽鑵2基・電動力70馬力・豊田式織機120台・撚糸機6台・荒巻整理機3台・糊付整経機1台・職工150名、大正5年度は1割の配当となっています。
 栃木の製織で有力だった佐野(製造家145戸・力織機385台・手機3108台)に対し、足利は(製造家73戸・力織機989台・手機1350台)と設備を拡大させました。
 そして栃木県は綿縮の輸出生産高日本一(1929年)となりましたが、ファッションの変化と米国の不況が重なり、合理化と市場安定・採算割れを防ぐため、昭和6年から綿縮の輸出統制を開始。 また、戦時中の企業整備例により足利織物㈱は統合され、昭和18年に栃木整染有限会社となります。 この会社は昭和23年に足利市雪輪町から足利織物㈱工場跡地(現在地)へ移転し、翌年に 明治紡織株式会社(東京日本橋区濱町2-17)と合併し、栃木整染株式会社を設立。 昭和50年(1975)から株式会社トチセンに改称しています。

【参考文献】
※1 「輸出綿縮ニ就テ」1922 秋田宗四郎 述 明治紡織㈱ 
※2 「足利大観」 1931
※3 「両毛機業大観」1917 岡田重五郎

【2014年11月 訪問】




スポンサーサイト
comment 0 trackback 0
2015.
12.06
Sun
構  造 : 壁式プレキャストコンクリート造+RC造+S造、3階建て
建築年 : 2005年
設計施工: 基本設計は荒川修作+マドリン・ギンズ、実施設計は安井建築設計事務所、施工は竹中工務店
住  所 : 東京都三鷹市大沢2丁目2-8
交  通 : JR中央線「武蔵境」「三鷹」「吉祥寺」駅or京王線「調布」駅~バス~大沢or大沢十字路
見  学 : 有料、事前申込制      ※詳しくはコチラ⇒【三鷹天命反転住宅
T E L : 0422-26-4966
            
三鷹反転住宅
 いつか訪れたい所の一つである、岐阜の養老天命反転地。 それを手掛けた荒川修作+マドリン・ギンズによる「死なないための家」が、東京の三鷹にあります。 国際基督教大学の近くにある9戸の集合住宅で、現在は賃貸住宅として、また一部の部屋で荒川修作+マドリン・ギンズの東京事務所(ABRF、Inc.)の管理・運営により、様々な見学会が行われています。
In Memory of Helen Keller (ヘレン・ケラーのために) と謳われ、不可能と思われていた事が可能になるかもしれない=天命反転が可能になる、誰でもヘレン・ケラーの様になれるかもしれないという事を体感するための住宅です。
三鷹反転住宅・共用スペース
1Fの事務所(インターホンはあえて)        1F共用廊下
三鷹反転住宅・101
事務所の中の様子
三鷹反転住宅・模型
室内模型
三鷹反転住宅・外部
体験する部屋は3F。 この集合住宅は全てが角部屋ともいえる
三鷹反転住宅・キッチン
部屋の中心にあるキッチン
三鷹反転住宅・室
スタディルーム
三鷹反転住宅・水廻り
シャワールーム                その隣にある洗面所
三鷹反転住宅・トイレ
その奥にあるトイレ
三鷹反転住宅・和室
シャワールームから見た室内            畳部屋
三鷹反転住宅・天井
天井
三鷹反転住宅・床
中央の床は左官仕上げでザラザラ・デコボコしており、足裏の触感を目覚めさせる
三鷹反転住宅2

 この建物を体感して、ふと子供の頃を思い出しました。 私の通った小学校は町立だったのですが一風変わった教育法で、夏になると海(深くて波がある)で泳いだり、室内・屋外を裸足で過ごしました。 その準備として夏を迎える前に全校生徒でグラウンドや校庭にあるゴミや石ころを隈なく拾います。 そして裸足で駆け回り、室内に入る際に足を洗って汚れを落とします。 錆びた釘など踏めば破傷風になる、ケガをしたらすぐに水洗いする事を学び、冬でもケガをしそうなゴミが落ちていれば拾う習慣が自然と身に付きました。 あの頃、足の指で掴んだ地面の触感は今でも忘れていません。
三鷹反転住宅・共用2

 荒川修作は昭和11年(1936)名古屋で生まれ、昭和36年(1961)に渡米し、翌年から詩人マドリン・ギンズと共同制作を開始。 NYを拠点に活動しました。 文芸シュバリエ勲章(仏)・紫綬褒章(日)を受章。 荒川修作は2010年に、マドリン・ギンズは2014年に他界しています。
 養老天命反転地オープニングで怪我人が出た事で、殆ど決まっていた7つの計画が中止に。 「革命的なコンセプトは、説明してもなかなか理解されず、きちんと説明すればするほどダメになる。手続きを科学的に説明すれば現実離れしてしまう。」と荒川修作は日本での仕事の難しさを語っています。
 二人の共著「建築する身体」はとても難しい本でしたが、私なりの解釈で趣旨をまとめてみました。(間違っていたらすみません)
~トレーニング・ルームとして戦略的に設定された環境は、人々を疑問で満たし、様々な知覚やイメージの降り立つ場(ランディング・サイト)を引き起こし、身体が新たな行為のパータンを習得する際に、バイオスクリーヴは再形態化された相貌で出現する。この建築的環境は、身体に行為をするよう促す。そして周りの全ての事を感じようとする建築的身体(建築する身体)となっていく~
はたして建築的身体になれるかどうか、実際に体験してみないとわかりません。 実はこの建物には細かい使用法があるのですが…。まずは、感じてみましょう。
三鷹反転住宅4

【参考文献】
「建築する身体」荒川修作+マドリン・ギンズ 2004 春秋社
「建築家であること」 2003 日経BP社

【2015年1月 訪問】

comment 0 trackback 0
back-to-top