2016.
03.20
Sun
住 所: 埼玉県ふじみ野市福岡3-4-2
交 通: 東武東上線 上福岡駅東口~徒歩20分
見 学: 10時~16時(5月~9月は16時30分まで)、大人100円 
休 館: 月曜日(祝日も休館)・年末年始
TEL: 049-269-4859    ※詳しくはコチラ⇒【福岡河岸記念館
福田屋
 こちらは、埼玉の福岡河岸で明治末期まで回漕店を営んでいた福田屋の建物です。 昭和62年に福田屋の本家と分家から土地建物を寄付され、『福岡河岸記念館』として公開しています。 3階建ての離れは通常非公開ですが、年に数回、内部も見学する事が出来ます。
福田屋・主屋1
主屋は店舗を兼ねている
福田屋・主屋2
河岸側から見た主屋
福田屋・帳場
帳場: 明治末期には室内にガス灯、大正9年から電灯を導入。いち早く電話や自転車も取り入れた。
大正3年に星野運送店を上福岡駅前に開業し、人力車2台も稼働。その頃に精米所と倉庫も新築している。
福田屋・金庫室
帳場隣りの4帖間の窓には鉄格子が入り、金庫が置かれていた。
福田屋・主屋階段
左: 2階への箱階段                右: 女中部屋は梯子
福田屋・台所棟
台所棟: 1階はカマドがある土間で、2階は下男部屋
福田屋・土蔵
土蔵: 汚れ防止のためか?板が張られている。
福田屋・土蔵2
上: 折れ釘が板を留める役目をはたしている    下: 土蔵の床下通気口
福田屋・離れ1
明治33年頃に完成した接客用の3階建ての離れ
福田屋・離れ釘隠し
左: 離れ1階の床の間                 右: 3階の釘隠し
福田屋・離れ浴室
離れの浴室跡 (左:天井、右:1帖に改装)
福田屋・離れ便所
離れの便所
福田屋・離れ2F
離れ2階座敷
福田屋・離れ3F
離れ3階の12畳座敷
福田屋・離れ3F腰板
離れ3階の障子腰板には近江八景の浮彫
福田屋・離れ窓
離れ3階のステンドグラス窓
上福岡駅記念碑
大正3年に東上鉄道が開通し、星野仙蔵の功績を称える記念碑が上福岡駅ホームに設置されたが、駅改修で駅前広場へ移設。
(鉄道会社が設置した開業記念碑は福岡中央公園へ移設)


 福田屋は文政の初め頃に移り住み、うどん屋を営業する傍ら、七代目が天保2年に門左衛門から権利を借りて回漕業を始めました。 そして天保10年に現在地を買い取り、肥・薪の仲買商や貸付も始めます。 明治に入ると酒塩・荒物の小売卸業や製茶業、鉄道が開通すると運送業や瓦製造業(安美瓦製作所・安美瓦商会)へと事業を転換しました。
 福田屋十代目の星野仙蔵(安太郎・保信)は明治4年に長男として生まれ、剣道の様々な流派の指導を受け、明治28年に道場「福岡明信館(明信館第五支館)」を自宅に新築。川越中学校や川越警察署の剣道指南役になります。 明治37年に衆議院議員に当選すると、剣術を取り入れた「練胆躁術」という体操を正科にする議案を提出、全国の中等学校で採用されました。 その頃の資料によると仙蔵は東京(日本橋区箔屋町14番地)に住まいを構えていたようです。
 明治40年代の新河岸川水害では、炊き出し米を舟に乗せて被災地を廻ったり、寄付金も提供。 実現しなかった毛武鉄道計画に関わっていた仙蔵は、根津嘉一郎と知り合って東上鉄道計画に加わり、住民との折衝を引き受けました。 川越貯蓄銀行・川越商業銀行・東上鉄道の役員としても活躍し、大正6年に47歳で亡くなっています。
福田屋・離れ2

新河岸川パネル
【川越-江戸東京の輸送】          ※写真は展示パネルより
 川越では、寛永15年(1638)大火で焼失した仙波東照宮の再建資材を江戸から運ぶため、舟運を開始します。 新河岸川(仙波~新倉)はかつて内川と呼ばれ、外川と呼ばれる主要の荒川と朝霞市付近で合流していました。 水量は少ないものの、曲がりくねった川のため水が溜まり、舟を通すことができましたが、大雨による川の氾濫も度々おきたようです。
 正保4年(1647)『新河岸』が設置され、川越の輸送拠点となります。 その後も河岸が新設され、主要な五河岸より下流は主に穀物・野菜・薪・炭などを扱いました。福岡河岸はその下流域の一つで江戸中期に開設されました。
 新河岸川は舟底が平らな高瀬舟を使い、荒川に出てから帆掛舟にしますが、帰りは『のっけ』という人足が岸から綱で引っ張ります。 往復の所要時間は舟の大きさにもよりますが、並舟(材木等7~20日)・早舟(貨客4~5日)・急舟(3~4日)・飛切(鮮魚2日)。1艘で1ヶ月約6往復との事。 人を乗せた舟は、上新河岸を15時に出て、翌日8時に千住大橋で殆どの客が降り、終点の花川戸は昼頃に到着。 舟荷は箱崎・浅草・日本橋の回漕店に引き渡し、船頭は夜の花街で遊び、帰りは朝7時に出て翌日夕方に上新河岸着。 明治中頃から急舟・飛切が、大正末期には早船が無くなったようです。 船頭は舟を借り、損料+口銭(手数料)+馬方・のっけの報酬を払った残額と、貸し枕や火鉢・朝飯代等が船頭の収入となります。 明治末期には船頭を雇う回漕店も出て来たようです。 東京方面への出荷は、穀物・綿実・醤油・杉皮・建具・木材・炭などで、川越名物の薩摩芋は明治12年頃からで、江戸時代は素麺が特産物でした。明治30年頃から狭山茶も出荷しています。 帰りの舟には荒物・酒・塩・干物・みかん等が積まれてきました。 それ以外にも肥を積んだ葛西舟、秋冬野菜を積んだ雁舟と呼ばれる舟もありました。
 しかし、明治18年の高崎線大宮駅開業で川越まで乗合馬車が通り、川越電鉄開通後には乗客がいなくなります。 甲武鉄道・東上線も開通して物流も激減しますが、関東大震災後一時的に新河岸川は活況を取り戻します。 その後、水害対策のための新河岸川改修工事が昭和6年に完了し、川の蛇行が改善されて水量が減ったため、新河岸川は通船停止となりました。
新河岸川

【参考文献】
第5回特別展図録「福田屋と星野仙蔵」上福岡市立歴史民俗資料館 1988
「練膽躁術」星野仙蔵 著 1906 丸山舎書籍部
「川越夜船」岡村一郎 著 1976 川越地方史研究会

【2015年2月 訪問】


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2016.
03.06
Sun
住 所 : 栃木県足利市通6丁目3165(織姫公民館裏)
見 学: 4・5・10・11月の土休日、6月第2日曜日の9時~16時
見学料: 無 料
交 通: 東武足利駅~生活路線バス「通六丁目」下車、徒歩約3分
TEL: 0284-20-2230(足利市文化課)    ※詳しくはコチラ⇒【物外軒
物外軒1
 戦前まで足利の主要産業であった織物は、渡良瀬川の猿田河岸(やえんだかし)から船で運ばれ、海外へと輸出されました。
 この茶室は、北猿田河岸で回漕業を営む萬屋の3代目・長 四郎三(白翁)が、明治初年に建てたものです。 その後、柳田家(6代・柳田市郎右衛門)の所有となって明治34年に現在地に移築され、昭和26年から鈴木栄太郎(鈴木病院長)が買い上げ、昭和48年に足利市に寄付しました。
この鈴木栄太郎は、田崎草雲旧宅と作品も寄付しています。
物外軒2
物外軒: 平成3年に修復。 竣工当初の屋根はこけら葺きであったが瓦葺きに変更され、現在は銅板葺きになっている。
物外軒3
蹲踞・内路地の飛び石などは、太田道灌の江戸城・富士見亭の礎石を使ったものと伝わる。
物外軒・中潜門
中門の扁額「無心」は古筆了仲の書。 この茶室の設計監修をしたと伝わる。(※2)
物外軒・雪隠
雪隠: 当初は実際に使用したと思われるが、現在は使用不可。
他の茶室で見られる砂雪隠も古くから茶庭の飾りとなってしまった。
物外軒・裏
物外軒の裏側の方が景色の良い庭に面する。 茶事で席入りすると貴人口や躙り口は閉めてしまい、景色を楽しむ窓もなく、お茶だけを楽しむ空間となる。
物外軒・中
物外軒内部: 3帖台目・次の間3帖・水屋の構成。 床柱はこぶし。
この茶室は貸室として使用できる。
物外軒・天井
物外軒天井: 手前座が一番低い天井高
物外軒・扁額
「物外」の扁額は長 四郎三の直筆。 本人が彫ったものか?
物外軒・寄付
物外軒の隣りにある建物。 茶会の客が足袋を履き替え、身支度を整える為の寄付として使用。 
物外軒寄付・玄関
寄付の玄関。 タイルは貼り換えたか?
物外軒寄付・建具
左: 寄付の建具の唐紙は貼り換えてある
右: 結霜ガラスから大正末~昭和前期に建てられたと思われ、白翁の時代のものではない。
物外軒寄付・照明
寄付の照明
物外軒寄付・座敷
寄付: 台所や浴室はないが押入れもあり、住宅としても機能する。
物外軒・付属棟
付属棟も寄付と同じ時代?


 初代・吉右衛門〔信英〕は江戸で穀物や木材を扱う舟運で儲け、足利で回漕問屋「萬屋(万屋/よろづや)」を創めます。 川上不白に茶を学んだ粋な人物でもありました。 萬屋は足利の回漕問屋の中でも大店となり、江戸時代の関東長者番付に載るほど繁盛しました。
 3代目の四郎三〔信章〕は文政5年(1822)長男として生まれ、家業を継いでからは足利学校保存整備の寄付や、毛野村の初代村長(1889~ ※3)として地元に貢献しています。
 私生活では祖父と同じく表千家不白流の指導を受け、茶名を白翁に。 表千家・如心斎の辞世「物外の境風涼し大あぐら」から、この茶室を物外軒と名付けました。
 しかし、明治21年に両毛鉄道が開通すると回漕業は徐々に衰退し、副業の両替商を主体として東京で営業します。 屋敷絵図が本に載るほど明治時代前期まで栄えていた店も徐々に衰退し、長 四郎三(白翁)は晩年、「出もせず来る人もなきわが門は ひらくも閉ずも風にまかせて」という句を残しています。
物外軒・吊燈籠

【参考文献】
※1 「物外軒雑記」1998 長太三 著
※2 日本建築学会大会学術講演梗概集
   『足利市の茶室「物外軒」の平面構成と配置構成の特徴について』2005 長好江・中村恵三 著
※3 「栃木県町村公民必携」1889 三泉堂書店

【2014年11月 訪問】


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