2016.
08.21
Sun
住 所:東京都豊島区目白1-5-1 学習院大学目白キャンパス
交 通:JR目白駅~徒歩約30秒、東京メトロ雑司ヶ谷駅~徒歩約7分

北別館1
北別館   木造平屋建て、設計:久留正道(文部省技師)
明治42年(1909)図書館として建造された建物の一部で、かつて煉瓦造の書庫とつながっていた。
北2号館を建設するため昭和53年に曳家・改築し、昭和54年に完成。 現在は大学史料館として使用している。
北別館3
こちらの出入口は現在は使用されていない
北別館2
北別館の裏手
北別館廊下
廊下の天井には天窓も
北別館天井
室内には古い天井も残る
北別館金物
校章の桜の意匠が各所に見られる(左:床下換気口、右:室内ドア蝶番)



学習院・東別館
東別館 (木造2階建て、設計:宮内省 内匠寮) 
大正2年(1913)皇族学生のための寮として竣工し、昭和10年代まで山階宮武彦王・秩父宮雍仁親王をはじめとする皇族方が使用された。
馬車のために車寄せの屋根が高く造られている。 かつて向かい側に院長官舎(明治村に移築)があった。
学習院・東別館車寄せ
車寄せは鉄骨造で桜の校章入り
学習院・東別館1

学習院・東別館3

学習院・東別館玄関内1
正面玄関内の土間部分
学習院・東別館玄関内2
廊下から見た玄関。 皇族寮らしくドアを二重とし風除室も兼ねている。
学習院・東別館階段1
玄関近くの表階段
学習院・東別館廊下
廊下には、所々に掃除用の掃き出し窓を設置(左:1階、右:2階)
学習院・東別館室内
部屋は教室に改装されている
学習院・東別館階段2
裏階段:階段は計3ヶ所ある
学習院・東別館便所1内
表玄関近くの手洗所①(左:渡り廊下、右:便所内)
学習院・東別館便所1
現在も使用できる便器は交換済?
学習院・東別館便所1流し
名古屋製陶所の流しが現存
学習院・東別館便所1ドアノブ
手洗所個室のドア金物
学習院・東別館便所1外
手洗所①外部:2カ所の便所は建物本体と渡り廊下でつながる
学習院・東別館便所1天井
手洗所①屋根裏換気口:内部は2つに区切られている
学習院・東別館便所2
建物奥にある手洗所②
学習院・東別館2

【2015年4月 訪問】


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2016.
08.14
Sun
学習院②〔東京・目白〕
住 所:東京都豊島区目白1-5-1 学習院大学目白キャンパス
交 通:JR目白駅~徒歩約30秒、東京メトロ雑司ヶ谷駅~徒歩約7分
見 学:学園祭などで公開
学習院・乃木館
乃木館(旧 総寮部): 文部省.久留正道 設計、明治41年(1908)竣工 
昭和19年に総寮部が取り壊しとなる際、乃木院長室の部分を現在地へ移築(L字型の建物を長方形に改築)し、現在は部活動に利用。
乃木館・内部1
北東部の玄関・手洗所・流し部分は昭和53年に増築
学習院・乃木館室内
乃木院長時代の間取りは院長室・会議室・事務室・購買部・倉庫などで構成。乃木館となった際に板張りの床を一部、畳敷きに変更している。 当初はこれらの寄宿舎6棟の他に食堂・衛生病棟があった。
 明治40年(1907)乃木希典陸軍大将が第10代学習院長に就任すると、中等学科・高等学科は目白移転後に全寮制となり、乃木の指導により建設された総寮部(第一寮~第六寮)は三方が硝子窓で、学生の勤惰が一目にわかるようになっていた。 乃木は学習院長官舎を皇族寮とし、総寮部(学生寮)の一室に寝泊まりして軍服に長靴で日々を過ごし、校内を巡視しながらの草むしりが日課であった。 そして日曜日に赤坂新坂の自邸に帰っていたとの事。 明治天皇崩御で自害した時の遺書には、下賜品・書籍は学習院へ寄付すると書かれている。


学習院・榊壇
榊壇: 明治42年(1909.7.14)校舎の落成式に明治天皇が臨幸された際、玉座の左右に供えた榊を記念樹として植えている。
乃木院長が設計し、私費を投じて建設したもので、自ら採集した各地の石80個(朝鮮・樺太・カムチャッカ・ベーリング島・旅順・小笠原・八丈島など)を基壇に配置。 翌年(1910.3.20)地鎮祭が行われた。 
 昭和5年に榊壇の前には、鐘淵紡績㈱の所有(向島に移設)となっていた神田錦町の学習院正門(1877)が戻され設置されたが、その鉄門は昭和25年に戸山校地へ移され、現在は戸山キャンパスの正門となっている。


学習院・厩舎
厩舎: 明治41年頃に竣工
当初は正門の向かい側(現・目白小学校)に建てられていたもので、道路の拡張工事で昭和2年に鞍庫(馬具置場)と共に現在地に移築、昭和58年に改修。
学習院・厩舎内
武科の授業の一環として生徒が馬術を学ぶため、20頭の馬がいたという。 
そのため20ヶの馬房があったが、現在は14ヶになっている。
学習院・厩舎馬房
左:厩舎外部               右:厩舎内部
腰高の基礎は移築の際に新設したもの
学習院・厩舎屋根裏
厩舎の屋根裏
学習院・厩舎鞍庫
厩舎と共に移築された鞍庫
学習院・馬術部教官舎
新しく見える教官舎も古いものだという
学習院・馬術部教官舎2階
特別に2階を拝見させていただいた


 その他に学習院の建物として、初等科旧正堂(1899,木造)→千葉県立房総のむら、院長官舎(1909,木造)→明治村に移築され、昭和寮(1928,RC造2F+BF)→日立目白クラブになっています。

【参考文献】
「乃木将軍」 西村才助 著 1912 東洋出版社 
乃木将軍遺墨遺品記念展覧会図録「乃木将軍余香」1927 三越呉服店
「重要文化財学習院旧正門保存修理工事報告書」文化財建造物保存技術協会 2008 学習院

【2015年4月 訪問】


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2016.
08.07
Sun
住 所:東京都豊島区目白1-5-1 学習院大学目白キャンパス
交 通:JR目白駅~徒歩約30秒、東京メトロ雑司ヶ谷駅~徒歩約7分
見 学:学習院生涯学習センターにて年に数回、ガイド付見学会(有料)あり
         ※詳しくはコチラ⇒【学習院HP
TEL:03-3986-0221

 皇族・華族の子息教育のために創設された歴史を持つ学習院。 その伝統と格式ある建造物を紹介します。

学習院・南1号館
【南一号館】 宮内省.内匠寮設計,RC造3F建て一部地下1F
 中・高等科の理科特別教場が関東大震災で被災し、昭和2年(1927)に竣工。 当初は各階にスチーム暖房、地下にはトイレと電気変電室などがあり、蓄電機も設けられて停電にも対応していた。
 学習院・南1号館2
 理学部校舎の南7号館への移転にともない、一般教室棟として改修工事(2013年3月竣工)が実施された。
外壁は部分補修の予定であったが、躯体コンクリートにジャンカがあり、鉄筋のかぶり厚が少ない事が判明。 修復方法を見直し、工期延長・タイルを全て剥がす事になった。 また、劣悪な躯体部分は全て除去し、新たに配筋されている。
外壁タイルは目地に切込みを入れて高圧水流で剥がし、再現タイルを貼付け(1F窓の腰壁は当時のタイルを再利用)。 エレベーター・空調・弱電設備・各階にトイレを設置。 北側の教室や旧化学実験室などの6教室の壁は漆喰を剥がし、新材料で再現されている。
学習院・南1号館玄関
南一号館の玄関
学習院・南1号館玄関照明
左:玄関ポーチの照明            右:玄関ポーチの明り取り
学習院・南1号館階段
階段(右は手摺柱):法定の高さの新しい手摺が追加されている
学習院・南1号館廊下
廊下
学習院・南1号館202
202教室
学習院・南1号館202床
今回の工事でラワン材の床は202教室のみ再使用し、他の教室はその上から長尺塩ビシートで覆われた。
学習院・南1号館ドラフトチャンバー
出窓式ドラフトチャンバー(左:室内、 右:外部)
 実験中に発生する有害ガスを排気するための物。 当初は出窓内の上部に設置したガスバーナーの火で上昇気流を作って排気していたという。 
窓は昭和49年にスチールサッシからアルミサッシに変更しており、今回の工事で部分的に更新。
学習院・南1号館流し
実験用流し:標本整理室に1940年代に設置された物で、東洋陶器で戦時中に製作された「TOYO TOKI KAISYA」マーク入り
学習院・南1号館3



学習院・西1号館2
【西一号館(旧中等科教場)】 内匠寮.権藤要吉 設計,RC造3F建て一部地下2F
 昭和5年に完成し、増築(1930・1954年)や、内部の全面改修(1999年)を実施。
平成26年には外壁他修繕工事で外壁の洗浄と防水仕上げが施された。
学習院・西1号館1
西一号館の玄関
学習院・西1号館階段
階段
学習院・西1号館214
214教室
学習院・西1号館214照明
214教室の照明
学習院・西1号館214暖炉2
214教室のマントルピースの棚
学習院・西1号館214暖炉1
214教室のマントルピース内の耐火煉瓦


 明治4年(1871)明治天皇から華族に向けて、一層勤勉に努めよという勅諭が出されました。
明治9年8/5神田錦町に校地を賜り、9/27から校舎の建設着工。 恩賜金と寄付金・禄券利子高などを資金として明治10年6/1に校舎が完成し、図書も購入。10/17に両陛下ご親臨のもと開業式が行われ、130人が入学。 初代・学習院長は立花種恭(最後の三池藩主・老中格)が就任しました。 宮内省からは京都の旧学習院の題額『学習院』と蔵書1707冊を賜り、さらに官有地(錦町3丁目1番地)が下賜されます。 明治17年(1884)には官立学校となり、明治18年8月時点の生徒数は340人(皇族2名、華族250名、士族83名、外国人5名※1) この神田錦町の校舎は明治19年(1886.2.16)に焼失し、仮教場を東京大学予備門の校内に設置しています。
 その後、四谷区尾張町に建設された本館校舎(1890,煉瓦造2F,施工.清水滿之助※2)が明治27年の地震で被災したため、目白(現在地)への移転が計画されますが、日露戦争の影響などで建設が遅れ、明治42年(1909)に落成。(初等学科と女学部は四谷に残る)
その時に建設された建物の内、図書館(現:大学史料館)・寄宿舎総寮部(現:乃木館)が現在も残っています。
 関東大震災で中等科・高等科の理科特別教場と、第2教室(中等科教場・地理標本室)が焼失。 焼け跡にバラックを建設し、大正14年3月には目白通り沿いに仮教場を建設。9月に理科特別教場(現・南一号館RC造)が着工され、昭和2年3月竣工。 昭和5年には中等科教場(現・西一号館RC造)も完成しています。
 戦時中の昭和19年から、初等科や女子学習院の生徒は集団疎開を開始し、幼稚園は保育を中止。 昭和20年の東京大空襲で目白校地の木造校舎が焼失(1945.4.13)し、青山の女子学習院がほぼ全焼(1945.5.25)しました。

【参考文献】
※1「図書寮記録. 巻3 華族」1887 宮内省図書寮
※2「工学会誌9(合本)」1890 工学会
  「皇室建築:内匠寮の人と作品」鈴木博之 監修 2005 建築画報社
  「南一号館とその実験室に関する調査」村松康行 著
  「学習院南1号館:再生した旧理科教場」学習院大学史料館 編 2013 丸善プラネット

【2015年4月 訪問】


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