2016.
10.23
Sun
建築年:旧礼拝堂は大正11年竣工(献堂式は翌年1923.5.6)、2014年6月に移築・耐震補強工事完了
設 計:ヴォーリズ建築事務所
構 造:木造一部2階建て+塔屋
所在地:埼玉県入間市河原町8-6
TEL:04-2962-6191
   ※詳しくはコチラ⇒【武蔵豊岡教会
武蔵豊岡教会
 旧石川組製糸西洋館の近くにヴォーリズ作品の豊岡教会があるとの事で訪ねてみると、外構工事が完成していない真新しい教会が。
「建て替えられたか…」と意気消沈したものの裏口へ廻り、念のため中へと入ってみました。 神にご挨拶していると、教会を管理されている岡野氏がいらっしゃり、礼拝堂は当時の建物を耐震改修したとの事で、堂内を案内して下さりました。
 武蔵豊岡教会2
 この礼拝堂は国道16号線の拡幅工事のため、建物を曳家して耐震補強される事になり、2013年5月から牧師館(天祐堂)などの解体が始まり、10月には礼拝堂の基礎を切り離して11月に曳家で仮移転。 2014年1月に新設基礎へ曳家した後に耐震補強工事が始まり、6月に竣工。 その翌月には礼拝が開始され、9月28日に創立125周年を兼ねた献堂式が執行されています。
武蔵豊岡教会・内陣
恵みの座(手摺の手前):これを境に神聖な領域となる。 聖餐式の際には信徒はここで跪き、パンと葡萄酒をいただく。
メソジスト教会はシンプルな造りが特徴だが、弘前教会と同じくこの教会も十字架が無い。 壇上には三つの椅子が置かれ、中央はキリストが座る。
武蔵豊岡教会・段
床材は殆ど新材に張り替えられたが、部分的に旧材を残している。
武蔵豊岡教会3
礼拝堂後方
武蔵豊岡教会・2F2
礼拝堂後方の2階席:ステンドグラスは新しく入れ替わっている
武蔵豊岡教会・天井
塔への入口:梯子で昇るが鐘はない
武蔵豊岡教会・祝電
左:2階への階段   
右:ヴォーリズが送った献堂式の祝電「詩編127:1」は旧約聖書を参照  ※武蔵豊岡教会 所蔵
武蔵豊岡教会・図面
ヴォーリズ建築事務所の2種類のデザイン案    ※㈱一粒社ヴォーリズ建築事務所 所蔵
武蔵豊岡教会・図面1
ヴォーリズ建築事務所の基本設計では天井が無く、トラスが見える状態であった。 ※㈱一粒社ヴォーリズ建築事務所 所蔵
武蔵豊岡教会・図面2
 実施設計(地元の工務店か?)ではトラス形式が変更されて天井が張られた。 設計変更に対するヴォーリズ建築事務所の回答がないまま工事が進んだらしいとの事。 完成後しばらくして訪れたヴォーリズの感想は記録されていない。 ※武蔵豊岡教会 所蔵
武蔵豊岡教会・改修前
改修前の様子(大木は伐採、右奥の天祐堂は解体)   ※武蔵豊岡教会の資料より
武蔵豊岡教会・改修2
床板を外した様子          ※武蔵豊岡教会の資料より
武蔵豊岡教会・改修3
曳家している様子          ※武蔵豊岡教会の資料より
武蔵豊岡教会・図面3
 以前の建物は国道に対して玄関が裏手にあったが、曳家で約165°回転して国道と水平に配置され、裏玄関や付属棟も追加された。
当初の外壁はモルタル塗りスタッコ仕上げであったが、今回の工事でバットレス様の耐震補強がなされ、外壁に新建材が張られた。
屋根は当初、天然スレート葺きであったが、1971年に銅板瓦棒葺きに替えられており、今回の工事で全て鋼板に葺き替えられている。
武蔵豊岡教会・古写真1
                        ※武蔵豊岡教会 所蔵
 この礼拝堂は、キリスト教メソジスト派の教会が建設。 明治22年(1889)扇町屋の長泉寺境内にあった霞座で説教会、同年10月に役場跡を借りて講義所とした。 明治28年(1895)酒蔵を寄贈されると、扇町屋の下町に移し礼拝堂に改造して『豊岡美以教会』となり、明治40年(1907)『日本メソヂスト豊岡教会』と改称。 石川家が土地などを提供し、1年の工期と24,105円をかけて大正11年に竣工して翌年5月に献堂式が行われ、大正13年に扇町屋から天祐堂を移して記念館兼牧師館とした。(※1,※2)
天祐堂
                       ※武蔵豊岡教会 所蔵
天祐堂(初代の礼拝堂):明治28年(1895)藤沢村の澤田家から酒蔵を寄贈され、扇町屋の下町に移築して礼拝堂に改修。
大正13年に扇町屋から現在地に移して記念館兼牧師館に。(※1,※2) 誠に残念ながら今回の工事で2013年5月に解体されてしまった。
50周年記念(1939)の天祐堂の額は、石川和助の書を有名な彫刻家が彫った物であったが、大東亜戦争開戦の詔書の「天佑」に重なるとの事で戦時中に外されたという。(※2)
武蔵豊岡教会・古写真2
大正12年(1923.5.6)献堂式の様子         ※武蔵豊岡教会 所蔵
武蔵豊岡教会・献納品
献納品(左の聖杯は進駐軍、右の花台は女工達から)
当時の女工達が献納した花台には葡萄の意匠が。 石川組製糸の女工達は多い時には昼夜に分かれて礼拝に出席していた。
武蔵豊岡教会・GHQ
電化製品を献納した進駐軍と共に、鈴木義男(司法大臣)と阿部善宗(日本基督教団初代議長臨席)らの記念写真
ところが余りにも電気代が掛かり、殆ど使用することはなかったという。     ※武蔵豊岡教会 所蔵
武蔵豊岡教会・オルガン1
ヤマハオルガン№136485:製造年不明、 調律・塗装塗り直し・修復済み
武蔵豊岡教会・オルガン2
オルガンのストップレバーを引っ張ると羽の付いたロールが回転し、音が変化する。


 この教会は石川家の尽力により創立されました。
農家の3男であった石川和助は、東京に上京してからキリスト教に目覚め、築地の美以教会で洗礼を受け、東京英和学校で学びながら川越や豊岡を伝道します。 明治22年(1889)ギデオンと共に豊岡を訪れ、長泉寺境内の霞座で説教会を行った7月2日が豊岡教会の創立記念日となりました。
 その後、両親や兄・幾太郎も洗礼を受けて、兄の会社である石川組製糸場内に専任牧師が着任して女工達へ布教します。 そして大正12年にこの礼拝堂が完成すると、女工達も礼拝に参加するようになりました。
和助は、明治24年に青山学院神学部を卒業して牧師となり、メソジスト教会がある神田・仙台・本庄・小樽に赴任し、明治36年からユニオン神学校とコロンビア大学に4年間留学。 帰国後は鎌倉や青山の教会に赴任、引退後は目白や川越で暮らし、昭和19年(1944.11.16)に亡くなりました。

【参考文献】
※1「豊岡町史」1925 豊岡町
※2「石川家の人々」2002 石川家本家
 「新会堂建築献堂感謝ご報告」2014 武蔵豊岡教会
 MJK463ノート「IS学生の課題で武蔵豊岡教会堂の模型を作る」(HP)

【2016年9月 訪問】


スポンサーサイト
comment 0 trackback 0
2016.
10.10
Mon
建築年:大正11年~12年頃に竣工
設計施工:設計は室岡惣七、棟梁は関根平蔵
構 造:木造2階建て、付属棟(1階+地階)付き
住 所:埼玉県入間市河原町13-13
交 通:西武鉄道「入間市」駅~徒歩約7分
TEL:04-2934-7711(入間市博物館)
見 学:年に数回公開
     ※詳しくはコチラ⇒【入間市HP
石川組2
 この洋館は石川組製糸の迎賓館として建設されましたが、近くに陸軍施設(航空士官学校・豊岡陸軍病院・豊岡憲兵分隊)があった為、この洋館は航空士官学校長の官舎に、終戦後は進駐軍のジョンソン基地副司令官や将校の官舎として使用。 その際に進駐軍は各所を改装しています。
そして所有者・石川源一郎(本家11代当主)へと返還され、平成15年9月に入間市に寄贈されました。
石川組・2F階段ホール
2F階段ホール
石川組・2Fホール2
2F大広間:絨毯の下はコルク敷き
石川組・2Fホールカーテン
カーテン上飾りの布は当時の物
石川組・2F大広間1
2F大広間
石川組・2Fステンドグラス
大広間のステンドグラス
石川組・2F照明
左:2F階段ホールの照明      右:大広間の照明
石川組・2Fキッチン
ベランダも進駐軍がキッチンに改装(流し台は現代の物)
石川組・2F座敷
2F座敷:進駐軍の要望で畳を板張りにし、床の間脇にドアを設置
石川組・2F座敷2
2F次の間のクローゼットも進駐軍の要望で改装
石川組・2F床
左:大広間の床              右:座敷の広縁
石川組・別館
別館(1階+地階)  ※内部非公開
洋館の食堂と繋がっており、当初は和室2間・台所・浴室・便所2カ所があった。地下室(ボイラー室)への入口もある。
石川組・別館1
左:かつてあった茶室や別棟へ向かう出入口     右:ボイラー室の煙突
石川組・別館2
別館もあらゆる所に出入口がある。 (上:勝手口、 下:玄関)

【参考文献】
「石川家の人々」石川家本家 2002

【2015年6月 訪問】


comment 0 trackback 0
2016.
10.02
Sun
建築年: 大正11年~12年頃に竣工
設計施工: 設計は室岡惣七、棟梁は関根平蔵
構 造: 木造2階建て、付属棟(1階+地階)付き
住 所: 埼玉県入間市河原町13-13
交 通: 西武鉄道「入間市」駅~徒歩約7分
TEL: 04-2934-7711(入間市博物館)
見 学:年に数回公開
         ※詳しくはコチラ⇒【入間市HP
石川組1
 この洋館は石川組製糸の迎賓館として、外国商人や賓客の接待に用いられました。 大正10年(1921)7月に上棟式が行われ、1~2年後には竣工したと思われます。
設計者・室岡惣七は狭山の出身で、東京帝国大学を卒業後、司法技師・東京電灯技師を経て、昭和2年に室岡工務所を設立。 昭和3年の文献によると、その室岡工務所の所在地は(旧制)浦和高等学校の南隣りと記載されています。 主な作品としては遠山元一邸(現:遠山記念館,1936竣工)・豊岡公会堂など。 棟梁は川越の関根平蔵(父・関根松五郎は『時の鐘』棟梁)です。
 かつては2階建ての和館(隠居所)もあり、晩年の石川幾太郎夫妻がその2階に住んでいました。 庭には池と茶室・東屋・蔵もありましたが、国道16号線新設により前庭が削られ、撤去されています。
石川組3
脇玄関:1階はベランダも含め、外部との出入口が多い
石川組・外壁
外壁の煉瓦タイル
石川組・軒裏
軒裏には中国風の雷文模様。 室内の造作や家具にも見られる
石川組・家紋
表玄関ポーチの天井や照明には、石川家の家紋「丸に笹竜胆」の意匠が
石川組・玄関
表玄関の内部
石川組・玄関ホール
玄関ホール:階段下に脇玄関がある
石川組・玄関ホール2
左:玄関ホールの暖炉        右:メタル(金属)天井
石川組・応接室
応接室と照明
石川組・応接室床
応接室の絨毯の下は床を若干高くしてある
石川組・応接室家具
幾太郎69歳の記念に大正15年に製作された家具
石川組・寝室
1F個室(寝室):照明器具に雷文模様
石川組・食堂1
食堂(サイドボード脇に別館へ通じる扉がある)
石川組・食堂天井
食堂の天井
石川組・食堂照明
食堂の照明と天井装飾が同じデザイン
石川組・食堂2


 創業者の石川幾太郎は、安政2年(1855)に農家の長男として誕生し、川越の新河岸での馬引き駄賃取りを経て、製茶・仲買商を創めますが、取引先の倒産のあおりを受け明治17年に解散。
明治26年に座繰製糸業を開始し、翌年には機械製糸業へ転換。 川越・福島原ノ町・豊橋・伊勢などの工場を買収して事業を拡大し、兄弟で各地の工場を管理。 幾太郎は一時期、東京保温材㈱や武蔵野鉄道(現:西武鉄道)の社長にも就任しています。
 本店工場(現:黒須団地)には宿舎・講堂・食堂・病棟、自家用の菜園と茶畑があり、幾太郎夫妻は事務所に付属する2階の座敷2間を住居としていました。 講堂では映画上映やキリスト教の講話会を開き、夜間家庭学校を設けて女工達に週3~4回、行儀作法・読み書き等を教えていました。 東郷平八郎が大正11年(1922)3月に訪れた際には、本店工場の講堂前で記念撮影も行われています。 
 また、旧豊岡小学校雨天体操場の建設資金や、川越蚕糸学校・川越盲学校に寄付した事で、幾太郎は緑綬・紺綬褒章を受章しています。 これらの社会貢献はキリスト教の精神に基づいており、弟の和助が伝道師となった事で石川家一族が入信し、近隣の土地と資金を提供して大正12年に豊岡教会も竣工。
 しかし、関東大震災で横浜の倉庫に保管されていた生産糸が焼失。 昭和初期の恐慌やデフレ政策で経営が悪化し、各地の工場は他社や銀行へ譲渡されました。 晩年の幾太郎は、孫の源一郎の屋敷(現在地)に新築した隠居所(和館2階建)に住んでいましたが、昭和9年に他界。 昭和12年(1937)に㈱石川組製糸所は解散しています。

【参考文献】
「石川家の人々」石川家本家 2002
「建築年鑑. 昭和3年度版」建築世界社

【2015年6月 訪問】


comment 0 trackback 0
back-to-top