2016.
12.24
Sat
建築年:昭和3年(1928)竣工
設計施工:設計はヴォーリズ建築事務所、 施工は石倉工務店
構 造:木造2階建て+塔屋
所在地:滋賀県大津市末広町6-6
交 通: JR大津駅~徒歩約3分、or 京阪電鉄 上栄町駅~徒歩約7分
TEL:077-522-3634
    ※詳しくはコチラ⇒【大津教会
大津教会
大津祭りの喧騒を忘れさせるほど静かな教会。
訪ねてみると奥様がいらっしゃり、建物内を案内して下さいました。
大津教会・玄関
この建物は昭和3年(1928)大津同胞教会の『大津同胞会館』として竣工。
昭和21年(1946)2つの教会が合併し『日本基督教団 大津教会』会堂となりました。
大津教会・玄関装飾
表玄関の装飾
大津教会2
昭和32~33年に会堂内部の改築、外装・屋根の修復を実施。
昭和35年には幼稚園の改築も行われ、それ以降もサッシ・設備などの改修が施されている。
大津教会・玄関ホール
玄関ホール
大津教会・礼拝室
礼拝堂
大津教会・礼拝室2
礼拝堂後方
大津教会・ベンチ
修理して大事に使われているベンチ
大津教会・天井扇
古そうな天井扇
大津教会・1階回廊
左:幼稚園との境
右:礼拝堂裏の通路…現在は壁になっているが、当初は礼拝堂と幼稚園は戸で仕切られ、全て取り払うと幼稚園ホールと一体となり広い舞台になったという、まるで劇場の様な造り。 多目的に使えるよう、当初は『大津同胞会館』と名付けられた。
大津教会・旧外壁
上:下から見上げた内玄関のアーチ(穴は照明の跡)
下:内玄関に残る当初の外壁仕上げ
大津教会・2階回廊1
2階回廊
大津教会・2階回廊2
2階回廊
大津教会・塔屋


 同胞教会は、アメリカで発祥したプロテスタントの教会で、明治28年に日本へ伝来し、明治38年(1905)大津同胞教会が組織されました。
当初は借家を会堂とし、初代牧師はシカゴ大学神学部を卒業して膳所教会を創設した矢部喜好が兼牧。 
さらに大津同胞教会は、大正7年(1918)愛光幼稚園を創設し、大正11年(1922)には夜間学校も開設されました。
 愛光幼稚園(大津愛光学園)の初代園長・ベネ・ニップは日本同胞教会を総括していたエドガー・ニップの夫人で、5つの幼稚園(膳所教会聖愛幼稚園・草津教会信愛幼稚園・馬場同胞幼稚園・瀬田同胞教会昭愛幼稚園)の園長を兼任し、資金・物資支援を母国へ向けて募っていました。
 ところが戦争になると、近隣に住んでいたニップ夫妻は自由な外出も許されず、昭和16年に帰国。 この建物の窓に投石、保育室に人糞といった嫌がらせが続きます。 しかし地元の主婦にとって幼稚園は必須だったようで、休園していたのは僅かな期間でした。
 同じく、アメリカ発祥のプロテスタントの日本組合教会は、明治19年 (1886) 新島襄らを中心とする会衆派が集結した教会で、明治23年(1890)大津に設立された日本組合大津基督教会では、昭和3年と7年にヴォ―リズが特別伝道応援牧師として活動しています。
また、崇貞学園(北京)・桜美林学園(東京)を創設した清水安三が17歳の時(1908年)に受洗。 後に伝道師となって中国に渡り、戦争になると北京を守るため日中両軍の司令官に直談判しました。
 この日本組合大津基督教会(白玉町,1919.9.24献堂式)は昭和15年から伝道所へ格下げとなり、昭和17年~21年まで県の土建統制事務所に貸与された後、しばらくして解体されたようです。 
 昭和16年(1941)プロテスタントの教会が集結して日本基督教団が設立されると、2つの教会はそれぞれ『大津南教会(同胞教会)』、『大津教会(組合教会)』と改称していましたが、両教会は昭和21年(1946.7.18)一旦解散して合併し『日本基督教団 大津教会』となりました。

【参考文献】
「日本基督教団大津教会史」日本基督教団大津教会 1969 
「清水安三と北京崇貞学園」李紅衛 著 2009 不二出版

【2015年10月 訪問】


スポンサーサイト
comment 0 trackback 0
2016.
12.18
Sun
 2016/12/03(土)〜 2017/01/22(日)まで、東京の八王子市夢美術館で「イギリスからくり玩具展~ポール・スプーナーとイギリスオートマタの現在」が開催されています。
イギリスの現代オートマタ(カラクリ人形)として有名な作品は、ブラックユーモア溢れる物も多く、単純な動きの中に深い意味が隠されています。 しばらく動かすと微妙に変化するカラクリもあり、じっくりと観察しなくてはいけません。
本来は手動で動かす作品ですが、今回の展示では電動仕掛けのボタン操作で動かせるようになっており、殆どの作品をスムーズに鑑賞できます。  ※会場内は撮影不可
イギリスからくり玩具展
開館時間:10:00〜19:00(入館は閉館30分前まで)
休館日 :月曜日、12/29〜1/3   ※祝日の場合は開館し翌日休館
住 所 :東京都八王子市八日町8-1 ビュータワー八王子2F
TEL :042-621-6777    ※詳しくはコチラ⇒【八王子市夢美術館
 【展示作家】
ポール・スプーナー/Paul Spooner
マット・スミス/Matt Smith
キース・ニューステッド/Keith Newstead
橋爪宏治(本展監修者・現代玩具博物館館長)等、97作品

イカロス3・Keith Newstead
『ICARUS(イカルス)』 制作年:不明
デザイン:Keith Newstead(キース・ニューステッド)
制作者:THE GIRLS   
イカロス2・Keith Newstead
 これは、かなり前に展示処分品として安く手に入れたのですが、部屋の中に飾っておいたところ、家の猫が走り回った時に棚から落ちて羽が折れてしまいました。 コンディションが悪いですが、油を差して久しぶりに動かしてみました。
イカロス1・Keith Newstead
                    ※動画はコチラ⇒ 【YouTube


comment 0 trackback 0
2016.
12.16
Fri
建築年 : 大正3年(1914)
構 造 : 煉瓦造石貼り、2階建て
設 計 : 吉武 長一
所在地 : 京都市下京区東中筋通七条上ル文覚町402
交 通 : JR京都駅(バス乗り場方面)~徒歩10分
営 業 : 10:00~23:00(カフェは準備中)   TEL:075-342-0753

 ※詳しくはコチラ⇒【きょうと和み館
村井銀行七条支店
 かつての村井銀行七条支店であった建物は、団体レストラン『きょうと和み館』として営業中で、訪問時には1~2階全てに外国の団体客が昼食を取っており、1階カフェも個人客は受け入れておりませんでした。 
村井銀行七条支店・階段
 村井銀行とは、2代目・村井吉兵衛(1864~1926)が、専売法による煙草事業の売却金を資本として、明治37年に創設した銀行です。 大正2年(1913)東京日本橋に本店を新築して移転。
 しかし金融恐慌で破綻し、昭和3年(1928)昭和銀行に買収されました。 その銀行も1944年に安田銀行へ吸収合併。 この建物は、東邦生命保険(1947.12~1999.6)や、レストランSECOND HOUSE西洞院店(~2011.4.3)として使用されていました。
 他の村井銀行の建物では、祇園支店カーラ・ラガッツァ)、五条支店(1924→現:京都中央信用金庫東五条支店)が現存し、同じく吉武長一が設計したものです。 その他にも、安藤記念教会(東京1917)や、村井彌吉や村井貞之助の邸宅(現存せず)も手掛けていたようです。 吉武長一はペンシルバニア・テクニカルカレッジに留学し、教会も幾つか手掛けている事から、洗礼を受けたのではないかと思われます。
 ちなみに村井彌吉(婿養子)は、三島彌太郎子爵の弟で、美男子であったといわれ、東京帝国大学法学部を卒業し、28歳で吉兵衛の一人娘・久子と結婚。(※1) 村井銀行の総務を経て、後に村井炭鉱㈴社長となり、弥生炭鉱の他、築豊・常盤にも関わっていたようです。(※2)
 吉武長一の設計(清水組施工)による、東京永田町2丁目の村井彌吉の住まいは、1912年7月に着工・1913年5月竣工。 木造2階建て+地階、羽目板張りの外壁に、妻部分はチューダー様式。 1階は大広間・応接室・書斎・食堂・パーラー・台所・執事室。 2階は殆どが和室で、客間・居間・ビリヤード室・浴室・女中部屋など。 地階は使用人の浴室・物置との事。
 一方の村井貞之助(初代吉兵衛の次女・光子の夫)下渋谷の邸宅は、大正5年の設計図によると殆どが和室で外観も和風というものでした。(※3)
 なお、京都の村井吉兵衛の邸宅は『長楽館(設計J.M.ガーディナー,1909)』として円山公園に現存し、東京・永田町(現:日比谷高校の地)にあった山王荘の一部(1919頃)は、比叡山延暦寺の大書院として昭和3年に滋賀へ移築されました。 これは本格的な書院造りとなっています。(※非公開) なお、倉庫は永田町にそのまま残され、日比谷高校資料館として使用されています。
村井銀行七条支店・窓
裏手の窓に残る鉄扉。 防犯・防火のためシャッターなど設置する銀行は多いが、他の窓は?
村井銀行七条支店・金庫
1階に残る金庫の跡で、現在は厨房になっている。 この金庫にマンホール扉はないのか?
 ※マンホール扉についてはコチラ⇒【旧 三井銀行下関支店
村井銀行本店入口
東京の日本橋御幸ビル(現・三菱東京UFJ銀行日本橋中央支店)に、村井銀行本店の通用口だけが保存されている。
村井銀行出入口
左: 村井銀行七条支店の通用口        右: 村井銀行本店の通用口
摂津十三日講詰所
村井銀行七条支店の裏手にある、摂津十三日講の詰所(西本願寺の門徒組織の一つ)
近隣には、仏具店や西本願寺に関連する建物も多い。
山田たばこ店
山田たばこ店〕 京都市下京区花屋町通下松屋町
大宮通りから花屋町通りに入った所の、長屋の一角にあるタバコ店。 建物は大正~昭和前期と思われる。 土壁の代わりに外壁にタイルを使用。
山田たばこ店2
以前は、煙草以外にシャツやネクタイも販売していたようだ。
山田たばこ店3
左: 雨戸がシャッター代わり         右: 石製の敷居でタバコケースは新しい

【参考文献】
銀行図書館HP⇒【銀行変遷史データベース
(※1) 実業の日本 14(17) 1911/08, 17(3) 1914/02   実業之日本社
(※2) 金星4(12) 「我国現下の石炭界」村井彌吉 著   1916/12 金星社
(※3) 建築工芸叢誌. 第2期 (2) 1914/03, (23) 1916/09  建築工芸協会

【2014年9月 訪問】

【追記】
 旧村井銀行祇園支店(東山区四条通大和大路東入祇園町南側573-5)は、イタリアンレストラン『カーラ・ラガッツァ』となっていましたが、2015年10月に建物の前を通ったので覗いてみたところ、もぬけの殻となっており閉店していました。 室内は改装されており、銀行の金庫が残っているかは不明。 その後12月に違う店がOPENしたようです。

旧村井銀行祇園支店
2015年10月 撮影

●村井吉兵衛が東京に進出した頃、近所のガーディナー宅に娘・久子と、姪の加壽榮(義弟・貞之助の娘)を1年程寄寓させていたという。
 【参考文献】 たばこ史研究124号「村井吉兵衛と日比谷高校」中村由紀子 著 2013
●岡田信一郎設計の村井貞之助の逗子別邸(木造平屋)は、後に娘の加壽榮の所有となった。 既に解体されていると思われるが、国会図書館に図面が残る。


comment 0 trackback 0
2016.
12.04
Sun
 祭りの合間に大津を一回りしようと、いつもの様に貸自転車を借りる事にしました。 
注意点としては、➀JR大津駅前レンタカー店は自転車の台数が少なく出払ってしまう場合あり ➁琵琶湖へ向けて緩やかな下り坂になっているため帰路がきつい、という事でしょうか。 自転車は町中を巡るには最適ですし、さらに旧琵琶湖ホテルまで足を延ばしてみました。
石田家住宅洋館1
石田家住宅洋館(石田歯科医院):大津市中央1-7-33 
昭和12年(1937) 木造2階建て
石田家住宅洋館2
 地元の棟梁・木村政吉が、主屋の和館共々手掛けたと云われる。
昭和10年版の「大津商工人名録(大津商工会議所)」によれば、誤字かもしれないが「木村柾吉・建築請負業・上大門町」となっている。
1階の内部は改装し、現在も歯科医院として使用。
北川家住宅主屋
北川家住宅主屋:大津市京町1-403
 江戸末期の町家の構造を残しつつ、明治・大正・昭和と増改築を重ねている現役の住宅。
大津祭りで2階は特等席。 曳山の人形を間近に見られ、厄除チマキもたくさん投げ込まれる。
隣りの家の台は、祭り囃子の人々が曳山に乗り込むための物。
島林書店1
島林書店:大津市中央2-1−1, 昭和初期,木造2階建て
島林書店2
 島林書店は、かつて『南強堂』という屋号で、江戸~明治時代まで店主は代々、出版人『島林専二郎(専次郎)』を名乗り、「滋賀県官民実用便覧(明治25年)」等にその名が出てくる。 また、昭和10年版の大津商工会議所の文献によると、書籍以外に煙草・楽器・食料品も扱っていた。
大津聖マリア教会2
大津聖マリア教会:大津市京町1-2-21,昭和6年(1931),木造一部3階建て
 明治時代から大津で伝道を始め、時代により名称を変えてきた日本聖公会の教会の一つ。
現在の礼拝堂は昭和6年(1931)落成し、1階は幼稚園・2階は礼拝堂に使用されていた。
近年、耐震補強改修・エレベーター新設工事を実施(2012.1.31~2014.11.7)
教会のホームページで工事の様子が詳しく紹介されている。
大津聖マリア教会・ベンチ
外観など改修されているが、建具や窓の装飾、ベンチ等は古い物が残る。
大津聖マリア教会・1F
1階は大津祭りでカフェとして開放されていた 
大津聖マリア教会・建具1
上:玄関ホールのステントグラス       下:1階大広間の欄間
神陵ヨットクラブ艇庫1
旧 三高水上部艇庫:大津市観音寺1丁目,大正元年(1912),煉瓦造+木造
旧琵琶湖ホテルに向けて自転車で延々と走っている時に見つけた古そうな建物。
後に調べてみると、三高・校友会の一つ、水上部の艇庫(ボートの倉庫)と判明。
神陵ヨットクラブ艇庫2
 第三高等学校(通称・三高)は明治時代、日本に8校しかなかった官立の旧制高等学校(ナンバースクール)の一つで京都にあったが、昭和25年に廃校となり、現在この艇庫は三高OBにより設立された神陵ヨットクラブが管理している。 また、三高水上部にいた小口太郎の作詞「琵琶湖周航の歌」の歌碑もこの近くにある。
 論文※1)によると、明治25年に三高の壬辰会(後の嶽水会)水上運動部が発足し、明治33年(1889.10.14)対岸に艇庫が建設され、大正元年(1912.10.27)現在の艇庫が完成して、前の艇庫は京都第一中学校へ譲渡。 近年に補修工事(2002~2003.5)が実施され、柱・梁・クイーンポストトラスの交換、屋根の葺替え、道路側の扉の交換がなされたとの事。
※1)「旧第三高等学校端艇部(現神陵ヨットクラブ)艇庫について」 宮本慎宏,石田潤一郎,西澤英和
大津公会堂1
旧大津公会堂:大津市浜大津1-4-1,昭和9年,RC造3階建て+地階
大津公会堂・ホール
 大津公会堂→大津公民館(1947~)→大津市社会教育会館(1985~)と、時代により名称を変えてきた。
近年、耐震補強工事(2009.3~2010.4)が行われ、エレベーター新設、空調・照明設備も交換されており、館内にはレストランも入る。 
大津公会堂・内部
上:階段の手摺は人研ぎ           下:竣工記念の扁額
大津公会堂3

【2015年10月 訪問】


comment 0 trackback 0
back-to-top