2017.
05.29
Mon
建築年:明治中期、何度か改修有り
所在地:千葉県市川市国府台2丁目
交 通:JR市川/松戸駅前~和洋女子大学前バス停~徒歩約3分
公 開:年1回位(千葉県が所有し、赤レンガをいかす会が主催)
  ※詳しくはこちら⇒【赤レンガをいかす会
国府台旧陸軍武器庫1
 千葉県市川市にも赤煉瓦の建物が残っています。
近年まで旧陸軍の施設を千葉県血清製造所が使用し、各種ワクチンを研究・製造、人々の健康を守りました。
国府台旧陸軍武器庫・外壁
左:床下通気口                右:窓と庇
国府台旧陸軍武器庫・平面図
現況図(展示パネルより)
国府台旧陸軍武器庫・1F1
1F :研究所が昭和29年に冷蔵室に改装し、その後も壁天井など改修されている
国府台旧陸軍武器庫・扉1
冷蔵室の扉
国府台旧陸軍武器庫・冷蔵室扉
冷蔵庫の扉は木製だが古さは感じない
国府台旧陸軍武器庫・1F2
1F冷暗室(改装済み)
国府台旧陸軍武器庫・1F扉2
1F冷暗室の木製扉(こちらは古そう)
国府台旧陸軍武器庫・1F4
左:1階冷暗室の出入口          右:階段
国府台旧陸軍武器庫・階段
階段
国府台旧陸軍武器庫・2F
2階
国府台旧陸軍武器庫・窓1

国府台旧陸軍武器庫・窓2
窓枠
国府台旧陸軍武器庫・窓3
窓枠
国府台旧陸軍武器庫・天井
天井
国府台旧陸軍武器庫・天井2
天井の仕切り壁が紙貼り?
国府台旧陸軍武器庫・金具
壁に残る掛け釘
国府台旧陸軍武器庫・掛け杭
用途不明のフック
国府台・貯水槽
里見公園分園に残る貯水槽:かつて高台のため井戸を掘るのが大変だと云われていたので、ポンプで水を引いたのだろうか?


 明治8年、かつての国府台城跡地に大学を設置する事になり、政府は近隣一帯の土地を購入しますが、交通不便・高台のため井戸を掘るのが大変という理由で計画が頓挫。
代わりに陸軍の下士官を養成する教導団学校が、馬場先門外から移転する事になりました。 明治19年に完成した施設には、フランスの病院を視察して建設した病棟と看護術の学舎も併設されます。
その後、教導団学校は明治32年に廃止されて陸軍の施設に。 国府台衛生病院は国府台陸軍病院と改称され、戦後は国立 国府台病院となりました。
 この赤煉瓦の建物がある場所は陸軍時代、独立工兵第25連隊(工兵隊)の本拠地となり、石油を掘るため国内各地に隊員が派遣され、測量や撮影などを行ったとの事で、一部の将校も石油を掘る技術を学びに来るほど専門的な部隊であったようです。
 この地は終戦後に千葉県血清製造所が土地建物を使用しましたが、実はこの血清製造所の設立も陸軍に関係があります。
昭和19年から東京の陸軍軍医学校が各地(京都・金沢・新潟・山形・千葉)に疎開し、千葉では中山競馬場に中山出張所を開設。 免疫馬を使ったワクチンの製造を再開します。
 終戦後の昭和20年11月に国立病院へ移管されると、衛生資材は全国の研究所へ無償譲渡。 同年12月からGHQが施設を接収しますが、昭和21年2月に返還されています。
昭和21年4月から千葉県血清製造所として開設し、9月から国府台へ移転開始。 寒天・肉エキス・免疫馬を1ヶ月以上かけてトラックで運び、国府台の旧陸軍施設を厩舎と宿舎に使用。 12/24に開所式が行われました。
その当時、敷地内には木造と煉瓦造の旧陸軍施設が数棟あり、主な建物の用途(旧陸軍工兵隊→千葉県血清製造所)は…
・材料工場(木造平屋)→免疫馬の厩舎・トラックの車庫
・発動機実習棟(木造平屋)→医務室・宿舎・採血所・破傷風室など
・火力式発動機棟(煉瓦平屋)→ワクチン培養室・作業室
・写真室・充電実習棟(煉瓦2F)→事務室・所長室・研究室・講堂
◎武器庫(煉瓦2F)→昭和29年に破傷風室に改造し1F冷蔵庫・2F書類庫
・精密機械工場(木造平屋)→分注・包装室
 千葉県血清製造所は建物を増改築しながら各種ワクチンの研究・製造を行い、昭和24年に千葉県血清研究所に改称。 国へ何度も提出していた土地建物払い下げ申請が昭和38年に一括許可され、昭和41年に製造棟、昭和42年に事務・研究棟を新築。※どちらもRC造5F+B2F建て
殆どの建物は解体され建て替えられましたが、唯一この赤煉瓦(武器庫)の建物だけが残りました。
 千葉県血清研究所は、とても有能な天然痘ワクチン「LC16m8」を開発しますが、天然痘自体が撲滅されワクチンも世に出回わらず、平成14年(2002)血清研究所が閉鎖。 同年10月に千葉県衛生研究所が業務を引き継ぎますが、この地はそれ以降ほとんど使用されていません。
しかし、この建物の保存を願う『赤レンガをいかす会』主催により年1回、赤煉瓦の建物が公開されており、年々 見学者が増加しているようです。
国府台旧陸軍武器庫2
【参考文献】
「市川市史. 第3巻 (近代)」市川市史編纂委員会 1975 市川市  
「市川市国府台における砲兵隊・工兵隊の記録」武井順一著 1997
「千葉血清五十年史」千葉県血清研究所 1997

【2015年11月 訪問】


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2017.
05.14
Sun
建築年:昭和8年(1933)、何度か改修有り
設計施工:不明
所在地:神奈川県藤沢市鵠沼橘1-14-7
交 通:JR藤沢駅~徒歩約8分
見 学:市民専用のため通常非公開。 イベント時のみ公開
  ※所有はこちら⇒【藤沢市
旧後藤医院
 この建物は2008年から藤沢市が借り受け、「鵠沼橘市民の家」としてOPEN。 2013年に所有者から藤沢市へ寄付されました。
後藤医院鵠沼分院は、東京の後藤医院の長男・秀兵が昭和8年(1933)開業。 その後、高齢になったため閉院し、昭和46年(1971)院長が他界した後は親族が別荘として使用していました。
旧後藤医院・玄関
玄関
旧後藤医院・待合室2
玄関内部
旧後藤医院・待合室1
待合室
旧後藤医院・排気口
待合室にある天井排気口(右:戸を開ける紐)
旧後藤医院・薬局
受付・薬局の内部
旧後藤医院・検査所
待合室の奥にある検査所
左:棚の上にはガス栓         右:謎の小部屋(パイプはスチーム暖房の配管)
旧後藤医院・旧診察室
診察室は和室に改装
旧後藤医院・応接室
応接間
旧後藤医院・居間
居間も改装済み
旧後藤医院・廊下1
十字路になった廊下は天井が高く、交差点にも天井排気口がある
右:居間後方の廊下 (この建物は外部との出入口が計4ケ所)
旧後藤医院・平面図
旧平面図を元に描いたと思われる図面(地内排水管改良工事 H11)
旧後藤医院・トイレ
もう一方の十字路の奥にあるトイレは様式に変更済み
旧後藤医院・台所建具
台所:勝手口扉の窓は開くことができる
旧後藤医院・窓
窓は二重になっており窓の上下に通気口
旧後藤医院・掃き出し窓
窓下の通気口を兼ねた掃き出し口(ほうきの掃除用)の戸は上開き・横開きがある
旧後藤医院・窓1
外部は上げ下げ窓で内部は引違窓になっており、2枚のガラス窓の間には通気口とロールカーテン
旧後藤医院・痰壺
左:当初からの物と思われる水洗式痰壺で縁から水が流れる     右:東洋陶器(現:TOTO)のマーク
かつては所かまわず痰を吐く人が多く、公共空間に痰壺が設置される事が多かった。
旧後藤医院・設備
左:ラジエーター式スチーム暖房  
右:廊下の床板一部は点検用に外せるようになっている。 排水溝? それとも床下換気用の導気溝?
旧後藤医院2

 院長・後藤秀兵は、解説板によると明治21年(1888.3.18) 後藤瞭平の長男として生まれ、東京帝国大学医学部卒業後、実家の医院で経験を積み、昭和8年(1933)藤沢で開業、昭和30年代後半から閉院、昭和46年(1971.9.23)他界となっています。 
 東京の後藤医院長で父親の後藤瞭平は明治元年(1868)群馬県高山村で生まれ、慈恵医学校卒業後に、母校の附属病院及び日本郵船の船医として勤務(※1)、明治35年4月に小石川区駕籠町113番地にて『後藤医院』を開業していますが、昭和20年3月に戦争で建物が焼失しています。
 さらに調べてみると同一人物かは不明ですが、後藤秀兵(群馬出身)なる人物がいて、東京帝国大学医学部を大正10年に卒業(※2)しており、衛生室の研究員をしていたようです。 その頃に住宅について衛生面から幾つか雑誌に記事を書いています。
 三越の記事(※3)を要約すると… 実験上、空中の細菌濃度は床面付近が一番であるから、床面に座る・眠る、汗などで汚れた畳に両手をついて礼をする事は、病原菌の体内侵入にしばしば好機会を与える事になる。 日本住宅の欠点としては、不完全採光・室内温度調節困難・湿気対策の不備・換気不足・天井裏の清掃不能・太陽輻射熱に対する無抵抗・不便な雨戸・家屋内の音波及などである。 改善策としては伸縮着脱可能な庇や、熱伝導率の低い天井床材、熱容量の小さい壁で造作し、外気導入口・高い窓や二重窓・ドイツ式暖炉などを設け、床下の空気を上昇管によって屋外に排出する…と提唱しています。
この記事を書いた後藤秀兵は、後藤医院鵠沼分院の医院長であると確定できませんが、この建物には大きな天井排気口が数か所、二重窓やスチーム暖房など、この提唱に通じる特徴を備えています。
 同じ時代に京都帝大教授で建築家・藤井厚二も住宅改善に取り組み、自邸を5軒建て検証していました。 最後の自邸である聴竹居にも外気導入口・天井排気口が設けられ、通気を重視しています。 これらの造作は夏の暑さを凌ぐ効果がありますが、後藤医院鵠沼分院では結核などの感染予防を兼ねた物なのかもしれません。

【参考文献】
(※1)「日本医籍録. 昭和17年版」 医事時論社
(※2)「東京帝国大学一覧. 大正10年~11年」 東京帝国大学
(※3)三越23-4「衞生と日本家屋」後藤秀兵 著 1933 三越

【2015年11月 訪問】


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