2014.
11.09
Sun
 建築年 : 昭和16年(1941)竣工
住 所 : 東京都新宿区中井2-20-1
構 造 : 木造平屋建て
設計施工: 平面・内装計画は林芙美子、設計図は山口蚊象建築事務所、
       施工は渡邊棟梁(柳田工務店)
見 学 : 10:00~16:30(入館は16:00迄)  150円
        月曜日(祝日の場合は翌日)・年末年始は休館
交 通 : 都営地下鉄大江戸線・西武新宿線「中井」駅~徒歩6分、東西線「落合」駅~12分
T E L :  03-5996-9207
     ※詳しくはコチラ⇒【林芙美子記念館

 林芙美子邸が通年公開されており、ボランティアガイドさんが丁寧な説明して下さいます。
通常は、外から窓越しに部屋内を見るとういうものですが、年に数回特別公開があり、抽選により室内に上がる事が出来るとガイドさんから伺い、2014年3月21日の特別公開に応募したところ当選しました。 
林芙美子邸・書斎
 「放浪記」で有名な作家・林芙美子は、明治36年(1903)に私生児として門司で生まれました。 母キクは、内縁の夫・宮田麻太郎が営む「軍人屋」の店員であった沢井喜三郎と結婚し、一家は行商をしながら各地を転々と。 いつしか尾道に落ち着き、芙美子は尾道高等女学校を大正11年(1922)卒業します。 ※卒業証書は新宿歴史博物館に所蔵。
 のちに『随筆-父を語る』(1941秩父書房)の中で、九州に住む年老いた実父と会い、若い妻と暮らす、テニスコートがある裕福な家に数日滞在したと記しています。
 卒業後は恋人を頼って上京しますが、婚約破棄。 大正15年(1926)画学生だった手塚緑敏と内縁となり、下落合4丁目の12部屋もある洋風な借家で暮らします。
 住み心地の良い日本家屋に住みたいと思った芙美子は、昭和14年(1939)12月、近隣の土地を購入し、自ら間取りを考え、設計図は山口蚊象建築事務所に依頼、腕利きの大工を選びました。 そして、設計担当の香取廣司と渡邊大工を連れて、京都を見学。
この家を建てる頃に30坪制限(※下記参照)が施行され、設計変更して芙美子と緑敏で名義を分け、分棟して建造したようです。
大工2人により3年がかりで造られた家は、昭和16年(1941)8月に竣工。 多い時にはこの家に8人で暮らしていました。 疎開の際にこの家を売りに出しても売れ残り、大空襲でも焼けなかったので、戦後、一家はこの家に戻っています。
 林芙美子に子供はなく、『随筆-柿の実』中で、隣に住んでいた女の子(大泉黒石の娘・淵)を見ているうちに、「子供がほしいと思つた」と初めて母性が生まれた事を記しており、昭和18年12月に男の赤ちゃんを養子に迎え、『泰(たい)』と名付けます。
 林芙美子は昭和26年(1951)6月28日1時頃、書斎にて永眠。7月1日、川端康成が葬儀委員長となり自宅で告別式が行われました。 その後、息子の泰は1959年に事故で早世、夫の緑敏は再婚し、1989年に緑敏が亡くなった後、この家は新宿区に寄贈され、現在は『林芙美子記念館』となっています。
林芙美子邸・玄関
左: 玄関にある取次の間。左奥にある沓脱石は茶の間や小間への出入口
右: 玄関
林芙美子邸・客間
玄関脇の客間: 原稿を受け取りに来た編集者が待たされた部屋。
ごく親しい者は茶の間に通されたという。
林芙美子邸・茶の間
茶の間
林芙美子邸・茶の間2
左: 茶の間の地袋の中には抽斗  
右: 床の間の明り取り
林芙美子邸・小間
小間: 母・キクの部屋。 のちに書生部屋や客間として使用。 出窓で狭さを補った。
林芙美子邸・台所
台所: 芙美子はタイルの流しをきらい、人造研ぎ出し仕上げにした。
     ユズや素麺を冷やした水槽は、断水・消火用でもあった。
林芙美子邸・便所水槽
便所のタンク。 便器も当時の物と思われる。(手ブレがひどいので掲載せず)
林芙美子邸・流し
左: 便所の手洗い流し。 陶器はただ置いてあるだけ。
右: 脱衣場にある洗面用の流し
林芙美子邸・風呂場
当初の檜風呂は8年保証250円で9年保ったという。
浴室の壁は節無し檜と1寸4角タイルと書いてあったが、タイルも貼り換えた? 
林芙美子邸・風呂天井
浴室の天井はリシンに竹を並べた物
林芙美子邸・屋根裏
左: 屋根裏に上がる梯子           右: 屋根裏の外観
林芙美子邸・寝室
ここは芙美子の書斎として造られたが、明る過ぎたため納戸へ移り、夫と息子の寝室となった。
林芙美子邸・寝室次の間
次の間: 田舎の質屋の台帳を張った襖の下張りは板の様に丈夫で、その上に自分の着古した唐ざん木綿(更紗)を張ったという。
林芙美子邸・戸棚
唐ざん木綿(更紗)
林芙美子邸・書庫
左: 金庫が隠されていたという書庫      右: 外から見た書庫
林芙美子邸・書斎2
左: 書斎にあるランプ            右: 書斎の押入れには桐箪笥
林芙美子邸・アトリエ
画家であった夫・緑敏のアトリエ。
林芙美子邸・照明
一部の照明も当時の物
林芙美子邸・外部
左: 書斎北側の広縁               右: アトリエの窓
 
 建築の参考書で学んだ林芙美子は、渡辺大工と共に木場の材木屋で「素直で平凡なもの」を選んだという。 そして、縁側や便所には、あえてヤニ松を使用している。


木造30坪制限とは… 
 昭和12年(1937)戦争が始まった日本では、銑鉄鋳物や銅製品の製造制限(商工省令)が実施され、門柱・扉・持送り・手摺・柵・窓格子・上下げ窓の分銅から金庫・文鎮・ホチキスに至るまで、地方長官の許可がなければ製造できなくなり、鉄鋼工作物築造許可規則(商工省令第24号1937.10.11-1943.4.1)により建築制限が行われました。
 さらに米松販売取締規則(商工省令第52号・92号1938-1945)により、木材不足となったため、木造建物建築統制規則(商工省令第67号1939.11.8-1943.4.1)が実施される事に。
 建坪制限の範囲は、一般建物については100㎡(30.25坪)以下、農林・畜・漁業を営む業務・居住併用建物については160㎡(48.4坪)以下となり、この建坪以上を超えて建築するものは地方長官の許可が必要となりました。(ただし、一時的用途、軍事工場や鉱業の作業場・事務所・宿舎、組合や団体の施設、補助金を受ける建物は例外) のちに家族数により許可を得たものは、最大130㎡(39.325坪)まで可能となったようです。
 そして、建造物全てが対象の、工作物築造統制規則(商工省令第17号1943.4.1-1945.11.30)へ改正。 終戦後も、臨時建築制限令(勅令第288号1946.5.29-1947.2.8)、指定生産資材割当規則(各省令第1号1947.1.24-1952)、戦災復興土地区画整理施行地区内建築制限令(勅令第389号1946.8.15-1955.3.31)が施行されました。


 設計した山口蚊象建築事務所(担当:角取廣司)所長・山口文象(ぶんぞう)は、明治35年(1902)浅草に住む清水組棟梁・山口勝平の次男「瀧蔵」として生まれた後、叔母・岡村家の養子となりました。
 東京高等工業学校附属職工徒弟学校木工科 卒業後に入った清水組をすぐに辞めて、曽根・中条建築事務所の門を叩くも願い叶わず、中条の紹介状で、逓信省経理局営繕課の製図工となりました。 そして岩本禄の下で京都西陣電話局(1922)などの製図を担当。 さらに大阪中央電信局の現場管理を担当するようになり、上司の山田守に認められます。 その山田守の紹介で内務省帝都復興局橋梁課嘱託となって、清洲橋・蔵前橋・浜離宮南門橋などの意匠設計を担当。  ※聖橋はパースのみ
分離派建築会の縁で、石本喜久治のいる竹中工務店の設計技師となった後、独立した石本の建築事務所の主任として、旧 朝日新聞社屋(1927)・日本橋白木屋(1927)を手掛けています。 ちなみに、昭和3年の建築年鑑(1928建築世界社)では、岡村瀧造(片岡石本建築事務所 府下大井龍王子4440)として記載されています。  ※伊達美徳氏によると正しくは「瀧蔵」との事
 また、日本電力の嘱託にもなっており、黒部川第2発電所と小屋ノ平ダム(1936)設計の前には1年半ほどドイツに赴き、ワルター・グロピウスのアトリエで働くかたわら、カールスルーエ工科大でダム設計の指導も受けています。
昭和8年(1933)画家の前田青邨の娘と結婚するも数年で離婚し、昭和14年(1939)千坂喜美子と再婚しています。
昭和9年(1934)山口蚊象建築事務所を開設。昭和15年(1940)東京の大田区久が原に自邸が竣工。
 そして、新制作協会の建築部(現・スペースデザイン部)設立に関わり、昭和24年に事務所を解散していたが、昭和28年にRIA建築綜合研究所(現:株式会社アール・アイ・エー)を創設。
主な作品では、黒部川第2発電所(1938)・久が原教会(1950)・新制作座文化センター(1964)・是の字寺(1971)等。
通称を、岡村蚊象(ぶんぞう)→留学前に戸籍が山口家に戻り山口蚊象→1942年頃から山口文象と変えていましたが、晩年に山口文象と正式に改名。 昭和53年(1978/5/19)に他界し、久が原教会に納骨されました。
 なお、久が原の自邸は、子息である山口勝敏氏(音楽家)が改装し、現在は音楽ホール『クロスホール』となっています。
山口文象については、かつてRIAに所属し『建築家山口文象 人と作品』(相模書房刊)の編著を担当した、伊達美徳氏の「まちもり通信G版・山口文象+初期RIAサイト」に詳しく記載されています。  ※詳しくはコチラ⇒【まちもり通信

 【参考文献】
随筆 (秩父書房1941年) 林芙美子
昔の家 (芸術新潮1950年1月号) 林芙美子
林のおばさん」 (ブログ・認知症あれこれ そして) 三宅貴夫
林芙美子の実説・放浪記」  (北九州に強くなろう №2) 西日本シティ銀行HP
日本法令索引 (国立国会図書館HP)
建築年鑑 (1928年) 建築世界社
まちもり通信G版・山口文象+初期RIAサイト

【2014年3月 訪問】

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