2014.
12.07
Sun
 建築年 : 昭和3年(1928)竣工
 構 造 : 鉄骨鉄筋コンクリート造, 地上5階+搭屋4階+地下1階 
設計施工: 外観意匠は小尾嘉郎、 設計は神奈川県内務部、  施工は大林組
 見 学 : 本庁舎歴史展示室(6階)と屋上は、開庁時間中に自由見学可
 所在地 : 神奈川県 横浜市 中区 日本大通1
 交 通 : みなとみらい線「日本大通り駅」スグ or JR・市営地下鉄「関内駅」~徒歩10分
 T E L : 045-210-1111
    ※詳しくはコチラ⇒【神奈川県庁本庁舎
神奈川県庁舎
 県民であっても県庁舎に行く人は多くないでしょう。子供の頃に校外学習で見学する位でしょうか。 私も横浜に住んでいた頃、県庁舎に足を踏み入れた事はありませんでした。
 その神奈川県本庁舎が現在、年に数回 特別公開され、旧議場や現役の知事室も見学できるとの事で行ってまいりました。 この建物は横浜三塔の一つであり、『キングの塔』(22.64m+塔48.60m)と呼ばれ、かつては入港する船の目標となりましたが、現在は横浜ランドマークタワーの方が目立っています。
神奈川県庁舎・玄関ホール
玄関ホール:照明は変更済み。
神奈川県庁舎・玄関ホール2
左: 玄関脇の警備室窓口も古そう。
右: 宝相華がデザインされた階段の照明は陶器製
神奈川県庁舎・議場1
旧議場(3階大会議場): 照明は変更済み。
神奈川県庁舎・議場
旧議場
神奈川県庁舎・床タイル
階段踊り場の床タイルは、階ごとに微妙にサイズや色合いが違う。
神奈川県庁舎・階段ホール
階段ホール
神奈川県庁舎・装飾タイル
階段ホールの梁や壁に埋め込まれた装飾タイル
神奈川県庁舎・廊下1
知事室前の廊下はシンプルで、ぶら下がり取材用のバックボードを設置
神奈川県庁舎・秘書室
秘書室
神奈川県庁舎・秘書室天井
上:秘書室の天井と梁。 LED照明に変更済み。 
下:秘書室の欄間
神奈川県庁舎・知事室
知事室:黒岩知事のパネルがご挨拶。 照明は変更済み。 
神奈川県庁舎・貴賓室
 旧貴賓室(3階第3応接室)の床は寄木貼りで、当初は浴室があり、置き型のバスタブが設置されていた。 貴賓室と正庁以外の部屋の床はリノリウム貼り。
神奈川県庁舎・貴賓室ドア
左:貴賓室の柱と梁の彫刻             右:貴賓室の扉
 神奈川県庁舎・貴賓室ドアノブ
貴賓室の扉:装飾として各所に出てくる宝相華(ほうそうげ)は、正倉院宝物にも使用された文様で、極楽浄土に咲く花と云われる。
神奈川県庁舎・貴賓室時計
貴賓室の時計は当初の物。 知事室にも同じ物がある。
神奈川県庁舎・貴賓室壁
上:貴賓室の欄間
下:貴賓室の壁は、金粉を所々にまぶした砂壁。
神奈川県庁舎・貴賓室天井
上:貴賓室の照明は当初の物
下:貴賓室の格天井
神奈川県庁舎・貴賓室暖炉
貴賓室の暖炉
神奈川県庁舎・貴賓室家具
貴賓室の家具も当初の物。 白い取っ手は象牙
神奈川県庁舎・貴賓室家具2
貴賓室の家具
神奈川県庁舎・塔階段
塔屋の階段は、見学者は登る事が出来ない。
神奈川県庁舎・屋上2
屋上のパラペットは洗い出し仕上げ
神奈川県庁舎・屋上3
左:現在の軒先装飾は銅板           
右:昭和38年に取り外した当初の軒先装飾.テラコッタを展示
神奈川県庁舎・屋上5
屋上にある部屋と煙突
神奈川県庁舎・屋上4
塔屋のスクラッチタイル 
神奈川県庁舎・屋上1
金土日の日没~22時まで搭屋をライトアップしている

 なまこ壁の塔屋を持つ横濱役所(2代目運上所1867)が慶応4年(1868)3/19に『横濱裁判所』となった後、すぐに『神奈川裁判所(4/20)』 → 『神奈川府裁判所(6/17)』と立て続けに改称し、明治5年(1872)司法分離により『神奈川県庁』になりました。
 明治15年(1882)12/22その建物が焼失し、横浜町会所(1874 ブリジェンス設計)を経て、翌年8月に横浜税関庁舎(木骨石造 1873 ブリジェンス設計)に移転。 明治17年に議事堂が増築されました。
 さらに、片山東熊・木子幸三郎により、新しい神奈川県庁舎(煉瓦造3F+BF)が大正2年(1913)6月に完成。 その建物は関東大震災では倒壊を免れたものの、火災により煉瓦壁を残して全焼してしまいます。
 ただちに県庁舎新築が計画され、岡田信一郎・内藤多仲が顧問となり、内務部土木課営繕係による設計図が完成していましたが、岡田からの提案により塔を設ける事になりました。
 大正15年(1926)設計競技が実施され、398通の応募の中から小尾嘉郎が1等を受賞。 その賞金は1等に5千円、2等に3千円、3等に2千円、佳作に千円でした。
 新たな顧問として佐野利器が県庁舎建築事務所に招聘され、県職員の渡邊利雄・池辺宗薫らが実施設計を担当。 大正15年に着工し(地鎮祭1926.12.4)、275万円の工費をかけて、昭和3年(1928.11.1)落成しました。

 設計競技1等を受賞した小尾嘉郎(おびかろう)は、明治31年(1898)山梨県北巨摩郡甲村(現・北杜市高根町)の養蚕農家の長男として生まれ、大正10年(1935)名古屋高等工業学校建築科(建築科長・鈴木禎次)を卒業。  東京市電気局の建築技手となりましたが、帰宅してから建築雑誌などのコンペの作品を制作していたようで、大正15年に行われた神奈川県庁本庁舎の設計競技で1等を受賞。 その作品は日本風なデザインを取り入れ、塔・玄関について特に力を入れたものでした。
 同年、神奈川県の建築技手として採用され、搭屋の設計図を担当しますが、その搭屋は低くなり、観音像は相輪状の物に変更される等、やりきれなさを感じたのか、僅か3か月程で辞職。
 退職後すぐに松坂屋臨時建築部に入社し、恩師・鈴木禎次の設計による松坂屋上野店本館(1929)の設計監理を担当。 完成後に退職し、昭和5年(1930)に「小尾建築工房」を設立。 そして、軍人会館(現・九段会館)の設計競技に参加し、佳作に入選しています。
 昭和17年から住宅営団の東京支所工務第三課長として採用され、三鷹の中島飛行機研究所(現・ICU校地)の社宅建設に関わっていましたが、その住宅営団は軍事工場の宿舎などを数多く建設していたため、終戦後はGHQの指示により解散となっています。
 その後の小尾は、東京復興産業㈱建築部長を経て、昭和24年8月から『小尾建築工務所』を開設し、住宅や店舗を設計。 また、甲府の恩賜林記念館(1953 木造2F)も設計しています。
昭和32年に『小尾建設㈱』に改称し、大生相互銀行秩父支店(1961 現・東和銀行)、駒澤大学寮(1963 祖師谷寮?)等、様々な設計事務所との協働で工事監理を担当。
 私生活では、両親と祖母を東京に呼び寄せ吉祥寺に暮らし、電話交換手だった女性と結婚。 1男2女を儲け、長男の小尾欣一氏はのちに光化学・レーザー化学の研究者として、東京工業大学・日本女子大学の理学部教授となっています。
 小尾嘉郎は昭和47年(1972/12/8)に他界し、多磨霊園にある自らデザインした墓に家族と共に眠っています。

【参考文献】
「神奈川県庁本庁舎と大正・昭和初期の神奈川県営繕技術者に関する建築史的研究」
 (横浜国立大学レポジトリ2006)佐藤嘉明

【2013年9月 訪問】

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