2015.
02.15
Sun
建築年 : 明治14年(1881)竣工、 移築2回、 改装あり
構 造 : 木造 
設 計 : 宮内省 皇居御造営掛
営 業 : ラウンジkinkei は平日10:00~21:30(土休日は9:00~)
      ※貸切り時はロビーで営業  TEL : 03-3746-7723
所在地 : 東京都 港区 元赤坂2-2-23
交 通 : JR信濃町駅~徒歩3分 or 地下鉄「青山1丁目」駅~徒歩6分
T E L : 03-3403-1171
        ※詳しくはコチラ⇒【明治記念館
明治記念館
 この建物は、明治14年(1881)10月に赤坂仮御所(赤坂御用地内)の別殿として竣工したもので、大日本帝国憲法の草案審議場となった「金鶏の間」があります。 現在は、結婚式等で貸切りとなる日を除き、この部屋(ラウンジkinkei)でお茶や食事が味わえます。 私もランチで訪れたのですが、意外と手頃な値段で料理も美味しく、華やかな雰囲気を味わえます。 詳しくはHPかグルメサイトでご確認を。 ※貸切り時はロビーで営業。
 訪れた日は、五輪マーク入りのスーツを着た若者がロビーにいたり、結婚式や新車発表会が行われたりと、平日にもかかわらず館内は賑わっておりました。
明治記念館・玄関
この玄関は、現在は貴賓客や新郎新婦のみ使用できる。 一般の人は新しい玄関から出入り。  
明治記念館・玄関屋根3
玄関の唐破風には菊の彫刻が。
明治記念館・玄関5
左: 玄関外側。 照明は変更済み。        右: 玄関内側
明治記念館・玄関天井
玄関内の竿縁天井は、創建当初の物かは不明。
明治記念館・廊下
廊下は改装済み
明治記念館・絵葉書
ロビーに展示された昔の絵葉書
明治記念館・金鶏の間
赤坂仮御所にあった会食所は、現在は金鶏の間(ラウンジkinkei)となっている。
照明は変更済み。
明治記念館・金鶏の間・暖炉
左: 金鶏の間(ラウンジkinkei)暖炉      右: 鏡枠は黒漆塗りの上に高蒔絵
明治記念館・金鶏の間・壁
金鶏の間(ラウンジkinkei)の壁は復元
明治記念館・金鶏の間・天井
金鶏の間(ラウンジkinkei)の天井。 格天井の板は、板目の方向を交互に変えて張っている。
明治記念館・金鶏の間・ガラス戸
外付けガラス戸の腰板は一枚物。 ガラスは新しくなっている。
明治記念館2
右手の建物は、同じ様式で増築されたもの。
明治記念館・鬼瓦
芝庭の奥に置かれた創建当初の鬼瓦。 屋根は昭和41年(1966)に葺き替えられた。
皇室の紋章・十六八重表菊花紋が入る。
明治記念館・さざれ石
 鬼瓦の隣にある、オブジェの様に見えるこの岩は『さざれ石』です。(岐阜県揖斐郡春日村1988奉納)前から気になっていたさざれ石、思いがけない場所で見る事ができました。
 さざれ石(石灰質角礫岩)とは、雨水や地下水で溶けた石灰石の成分により、長い年月をかけて複数の石が1つの岩となったもので、天然記念物に指定されている岩もあります。 砂利+水+セメントで急速に固まるコンクリートも、人造さざれ石の一つといえるかもしれません。


 明治6年(1873/5/5)に皇居 西の丸御殿が全焼。 両陛下は赤坂御用地(和歌山藩邸跡)へ避難し、奥御殿を仮の御座所としました。
その後、聖上常御殿・皇后御殿を増築し、赤坂仮御所として明治22年まで使用。 明治21年(1888)に明治天皇御親覧のもと、別殿の会食所(現:金鶏の間)にて、大日本帝国憲法の草案審議を十数回にわたり開催しています。
 この別殿は、明治14年(1881)10月に竣工したもので詳細は不明ですが、木子清敬の赤坂仮御所・神嘉殿の平面図(※1)に、神嘉殿と渡り廊下でつながる建物の一部が描かれており、会食所と室名が記され、間取り的に見てもこの建物である事は間違いないでしょう。
 隣の神嘉殿では、宮中恒例行事で最も重要な祭典である、新嘗祭(にいなめさい=収穫を神に感謝する祭儀)等が毎年行われ、隣にあった別殿の会食所は様々な祭儀に使用されていたようです。
 明治21年、皇居内に明治宮殿(1888-1945)が竣工し、大日本帝国憲法が公布(1889/2/11)され、明治宮殿内で発布式が行われました。 
その後、赤坂御用地には花御殿が建設されており、明治31年での現況図(※3)には別殿(会食所など)は残っていますが神嘉殿は無くなっています。 この花御殿も新しい東宮御所(現・迎賓館赤坂離宮1909~)建設のため解体され、別殿(現・明治記念館)は、憲法制定の功績により伊藤博文に下賜され、東京府下荏原郡大井村の新邸へ移築し、「恩賜館」と命名されます。
 「伊藤博文言行録」(※2)によると、建物本体の他、建物の装飾品や貴金属10点を賜り、明治41年1月5日に恩賜館(大森の新邸)として竣工。
2月11日に開館式が行われ、山縣有朋・井上馨ほか千人以上の招待客を迎え、南庭にテントを張って食堂とし、背後に模擬店を設けて日本酒・ビール・おでん・蕎麦・汁粉・天ぷら等を提供。 恩賜館の上の間に熊の皮、次の間には数十枚の虎豹の皮を敷き詰め、次の間には東宮殿下より賜った桐模様の覆いを掛けた卓と椅子を設置。 大韓帝国皇太子や有栖川宮威仁親王も御台覧され、伊藤博文はビール箱に乗って謝辞を述べたという事です。
※伊藤博文の東京大井の邸宅はコチラをご覧下さい⇒【伊藤博文別邸
 この恩賜館は、伊藤博邦が明治神宮に奉献し、大正7年(1918)4月に「憲法記念館」として外苑(現在地)に移築。 昭和22年(1947)11月に結婚式場「明治記念館」として開館しました。
 さらに、昭和35年(1960)10月に建宮敬仁親王(明治天皇第二皇子)の御殿が移築され、「桃林荘」と命名。 昭和53年(1978)4月に桃林荘は明治神宮内苑に再移築しています。
 この様に皇室の建物が下賜される事もあり、京都御所 神嘉殿 → 橿原神宮 神楽殿に、貞明皇后葬場殿の部材→清澄庭園 大正記念館に、青山御所 御中殿の部材→化研病院 恩賜館へと転用され、それぞれが貴賓館や結婚式場・宴会場として利用されています。
明治記念館・門

【参考文献】
   明治聖徳記念学会紀要(復刊第46号)「京都御所から明治宮殿へ」(2009)石野浩司 著
※1 「赤坂仮皇居神嘉殿配置平面図(神嘗祭布設)」(1883) 宮内省内匠寮
※2 「伊藤博文言行録」(1934)秋山悟庵 編著、大京堂出版部
※3 「赤坂離宮・花御殿御殿平面図」(1898) 宮内省内匠寮
【2014年9月 訪問】

スポンサーサイト

comment 0 trackback 0
トラックバックURL
http://mosu3.blog.fc2.com/tb.php/116-ca8f16c2
トラックバック
コメント
管理者にだけ表示を許可する
 
back-to-top