2015.
03.02
Mon
建築年 : 大正8年(1919)竣工、 平成12年に保存修復工事完了
構 造 : 木造2階建て 
見 学 : 10:00~18:00(11~2月は16:30迄)有料。 休館は月曜(祝日の場合はその翌日)、年末年始
所在地 : 東京都渋谷区猿楽町29-20
交 通 : 東急東横線・代官山駅~徒歩5分
T E L : 03-3476-1021
      ※詳しくはコチラ⇒【旧朝倉家住宅
旧朝倉家住宅
 この建物は、東京府会議長や区割整理全国連合会副会長の経歴を持つ、精米業・朝倉虎治郎の住まいとして大正8年(1919)に建てられました。
朝倉夫妻の死後に中央馬事会へ売却後、農林水産省へ譲渡され公邸→昭和39年から経済企画庁の渋谷会議所として利用。 現在は一般公開されています。
旧朝倉家住宅・外観

旧朝倉家住宅・応接間
応接間:近江屋喜助や、孫の診療に訪れる小児科医・河内全中をこの部屋に通したという。
旧朝倉家住宅・1F便所
左:1階の便所
右:手洗い所の窓には結霜ガラスがはまっている
旧朝倉家住宅・会議室
現在の第1会議室は、仏間・中の間(居間)・寝間という畳の部屋を改装したもの。
当時の中の間では虎治郎が書類や新聞に目を通し、前の畳廊下で3日に一度は床屋が来て髭を剃ったという。 
旧朝倉家住宅・角の杉の間
角の杉の間:虎治郎が友人や陳述者に対応した部屋 
広縁側に置いた火鉢(瓶掛け)の傍らに座り、自ら煎茶を入れて客に供したという。
旧朝倉家住宅・角の杉の間・地袋
角の杉の間:飾り棚の戸には素晴らしい彫刻が
旧朝倉家住宅・杉の間・奥
杉の間(奥)
旧朝倉家住宅・杉の間・表
杉の間(表)の部屋は板目材を使用
旧朝倉家住宅・茶室
左:茶室には酒と肴が合いそうな炉が切ってある。
右:円窓の部屋は、息子の精一郎が暗室として使用。
旧朝倉家住宅・手洗い所
円窓の部屋前の手洗い器
旧朝倉家住宅・洋間
洋間:番頭の事務室・来客用として使用
旧朝倉家住宅・洋間天井
洋間の天井
旧朝倉家住宅・事務室
事務室(金庫がある部屋)妻タキが普段この部屋に居たという
旧朝倉家住宅・事務室2
左:事務室の金庫のマーク            右:電話台の跡が残る
旧朝倉家住宅・玄関
家族用の内玄関
旧朝倉家住宅・2F広間
2階広間:小猿雪堂が描いたと伝わる襖絵・杉戸が残る
会合などに使用する以外は殆ど使われていなかったという
旧朝倉家住宅・2F水屋
2階水屋:奥に茶室がある
旧朝倉家住宅・2F便所
2階の便所(左が小便器・右が大便器) 東洋陶器製
旧朝倉家住宅・2F便所天井
2階便所(上:天井、 下:手洗い器)
旧朝倉家住宅・土蔵
左:土蔵は関東大震災後にRC造に建替えられた。 ※内部非公開 
壁に並んだ折れ釘は、火災や補修の際に足場を掛けて屋根に上がる時に使用するもので、饅頭型は補強と水切りの良さを兼ねたもの。
解説板には火災の際に濡らした藁を引っかけるとの記載があり、濡らしたムシロ等で冷却効果を上げたのかもしれない。
右:敷地の片隅に残る機械はポンプか?
旧朝倉家住宅・車庫
ガレージ:大正8年(1919)竣工 管理棟となっていたが近年に復原された
旧朝倉家住宅・配置図
当時の配置図 (展示パネルより)
旧朝倉家住宅・庭


 虎治郎は、明治4年(1871)愛知県碧海郡旭村の豪商・杉浦太一の次男として誕生。 深川の材木商で働き、15歳で店を任されていました。
縁戚の近江屋喜助(材木商)の紹介で、明治30年(1897)に大地主の朝倉徳次郎の娘・タキと結婚。 副業で精米業を営む朝倉家に婿入りした虎治郎は、深川の問屋筋の注文を受けるようになり、東京の4大米屋と言われるまでに成功します。
のちに、虎次郎の弟・八郎も、末娘スエの婿養子となり、共に朝倉精米所を支えています。
 大正5年の資産家調査(※1)東京府豊多摩郡①の中に「五十万円 朝倉虎治郎(精米業)渋谷下渋谷, 略歴, 参州の出身にして日清戦後 先代徳次郎の養子となり甞て郡会議員たりしことあり現に府会議員たり~」と記載があり、初登場となっています。
また、大正12年の関東大震災では、困窮者に2500俵を施し、精米機も無償で貸したといいます。
 公職については、明治37年(1904.5.30)に義父の後を継いで渋谷町会議員となり、家業を弟の八郎に任せて大正4年から東京府会議員となり、渋谷区会議長・東京府会議長・区割整理全国連合会副会長などに就任しています。 大正12年には紺綬褒章を受章。
 しかし、友人にお金の工面をした事で、昭和8年の東京府会議長選で嫌疑がかかります。 五島慶太から青山師範学校移転地に対する報酬金を受取り、議員に賄賂を贈ったという容疑は第1審で有罪となり、第2審では敷地の件は無罪、贈賄の件では懲役5か月の有罪。 上告するも大審院で棄却されます。(※2)
 その後の虎治郎は、東京府議会議員を辞職し、精米業も戦時中の物資統制で営業停止となり、昭和19年(1944/5/3)に他界します。
さらに、昭和21年(1946)に妻タキがなくなると、朝倉家に多大な相続税が掛かり、昭和22年この建物は中央馬事会へ売却されました。
翌年、農林水産省へ譲渡されて農林水産大臣公邸に、昭和32年から経済安定本部(経済企画庁)公邸となり、昭和39年から渋谷会議所として利用されていましたが、平成7年~12年まで保存修復工事が実施され、平成18年より渋谷区の管理となり一般公開されています。

【参考文献】
 「朝倉虎治郎翁事績概要」 1935 有田肇 著  東京朝報社
 代官山ヒルサイドテラスHP 「飄飄踉踉記
※1 「第3回調査 全国50万円以上資産家」(1916.3.29-1916.10.6) 時事新報社
※2 「巨人朝倉虎治郎翁奇禍顚末」 1938 牧野 編  東京朝報社

【2014年9月 訪問】


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