2015.
04.11
Sat
建築年 : 南棟は明治21年(1888)、北棟は明治27年(1894)、 改修有り
構 造 : 木造2階建て 
見 学 : 9:30~17:00(入館は16:30まで)大人300円
      休館は水曜日(祝日は開館、振替休日なし)、年末年始
所在地 :  京都市 中京区 木屋町 二条南
交 通 : 地下鉄東西線・市バス「京都市役所前」~徒歩 約3分
TEL : 075-255-0980
    ※詳しくはコチラ⇒【島津製作所 創業記念資料館
島津製作所 旧本店
 分析・医療用など精密機器のトップメーカー、島津製作所。 その創業地がある京都木屋町に、初代・島津源蔵が残した建物が『島津製作所 創業記念資料館』として公開されています。
(創業当時の建物は現存せず)
 また、昭和2年(1927-1986)に竣工した河原町二条の社屋(RC造4F)も改修され、現在「フォーチュンガーデン京都」という、レストラン・結婚式場となっています。
島津製作所旧本店・玄関
左: 北棟の玄関                    右: 基礎に島津のマークが入る
島津製作所旧本店・ステンドグラス1
北棟 ステンドグラス外部
島津製作所旧本店・ステンドグラス2
北棟 ステンドグラス内部
旧島津製作所旧本店・座敷
北棟にある座敷。 建設された明治27年は、初代・島津源蔵が亡くなった年でもある。
島津製作所旧本店・解説板
木屋町本店 増築の変移 (展示パネルより)
島津製作所旧本店・古写真2
木屋町本店 内部の様子 (展示パネルより)
島津製作所旧本店・レントゲン1
当時のレントゲン装置
島津製作所・レントゲン2
当時のレントゲン装置
島津製作所・レントゲン3
当時のレントゲン装置
島津製作所旧本店・展示室1
展示室の様子
島津製作所・蚕雌雄鑑別器
「蚕の雌雄鑑別器」は、どの様に使用したのだろう?
島津製作所・植物模型
 標本部が制作した植物模型は芸術品のよう。 
初代・源蔵の孫達が東京美術学校を出ているのも頷ける。
島津製作所・人体模型
左: 人体模型                    右: 島津マネキン
島津マネキン
島津マネキンの制作風景 (展示パネルより)
島津製作所旧本店・展示室3
北棟2階 展示室の様子。  体験コーナーもある。
島津家・北白川別荘
昭和28年撮影の島津家の北白川別邸。 跡地は日本バプテスト病院になっている。
(展示パネルより)                          設計:上野 伊三郎
高瀬川一之舟入
 島津製作所 木屋町本店の近くにある、高瀬川一之舟入。
京都市内に唯一残る、船荷の積み下ろし場で、高瀬川は水深の浅い運河であり、底が平らな高瀬舟から川の名が付けられた。 伏見・大阪方面から物資を運び入れ、この界隈には材木問屋が立ち並んだ事から『木屋町』になったという。


 初代・島津源蔵は、仏具職人の次男として京都で生まれました。 舎密局で西洋の技術を垣間見た源蔵は、木屋町(現在地)に明治8年(1875)島津製作所を創業し、理化学機器の製造を始めます。
 そして、京都府学務課(八等属)原田千之介の依頼を受け、軽気球の製作を開始。
明治10年(1877/12/6)京都仙洞御所にて日本初の軽気球有人飛行に成功しています。
 明治27年(1894)島津源蔵が急逝し、長男の梅治郎が2代目・源蔵を襲名。
大正6年に㈱島津製作所となり、大正8年から本店を河原町工場(1903竣工)へ移し、昭和2年に新社屋が完成しました。
 医療機器としては、明治42年(1909)国産初のX線装置を製品化。 この建物は「島津レントゲン技術講習所」となり、X線技師の養成所(現・京都医療科学大学)となります。
 蓄電池は明治30年(1897)に完成し、明治41年(1908)島津源蔵のイニシャル『GS』を商標としたバッテリーで知名度が上がり、大正6年(1917)蓄電池部門が日本電池㈱として独立しています。
 また島津製作所は、人体模型の分野でも草分け的存在です。
明治24年頃から標本類の製作を開始。 明治28年(1895)に標本部を新設し、植物や人体の教育用模型を製作しました。
 さらに大正14年(1925)に新設された『島津マネキン』で、日本初の国産マネキンを生産します。 東京美術学校出身の2代目源蔵の長男・良蔵がマネキン部門を担当。 戦時中、操業が難しくなった標本部は昭和19年に廃部しますが、マネキンは終戦後まで細々と生産を続けていたようです。 標本部の技術は、昭和23年設立の京都科学標本㈱に継承され、代表取締役社長に島津良蔵が就任。 現在その技術は、医療介護トレーニングモデルへと受け継がれています。
 一方のマネキンは、島津マネキンで働いていた向井良吉が復員し、昭和21年(1946)七彩工芸を創業。 取締役に島津良蔵を迎え、島津邸跡地(中京区東洞院御池)に社屋を設置。
昭和37年に島津良蔵は㈱七彩工芸の会長に就任しています。
 ちなみに、初代 源蔵の次男・源吉は東京を拠点に、三男・常三郎が京都にと、長男(2代目・源蔵)をサポートしていました。
島津源吉(初代 源蔵の次男)の長男・一郎は若い頃は画家であり、そのアトリエは東京に現存しています。 ※詳しくはコチラ⇒【旧 島津一郎アトリエ

【参考文献】
㈱島津製作所 HP
㈱七彩 HP

【2014年9月訪問】

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