2016.
12.16
Fri
建築年 : 大正3年(1914)
構 造 : 煉瓦造石貼り、2階建て
設 計 : 吉武 長一
所在地 : 京都市下京区東中筋通七条上ル文覚町402
交 通 : JR京都駅(バス乗り場方面)~徒歩10分
営 業 : 10:00~23:00(カフェは準備中)   TEL:075-342-0753

 ※詳しくはコチラ⇒【きょうと和み館
村井銀行七条支店
 かつての村井銀行七条支店であった建物は、団体レストラン『きょうと和み館』として営業中で、訪問時には1~2階全てに外国の団体客が昼食を取っており、1階カフェも個人客は受け入れておりませんでした。 
村井銀行七条支店・階段
 村井銀行とは、2代目・村井吉兵衛(1864~1926)が、専売法による煙草事業の売却金を資本として、明治37年に創設した銀行です。 大正2年(1913)東京日本橋に本店を新築して移転。
 しかし金融恐慌で破綻し、昭和3年(1928)昭和銀行に買収されました。 その銀行も1944年に安田銀行へ吸収合併。 この建物は、東邦生命保険(1947.12~1999.6)や、レストランSECOND HOUSE西洞院店(~2011.4.3)として使用されていました。
 他の村井銀行の建物では、祇園支店カーラ・ラガッツァ)、五条支店(1924→現:京都中央信用金庫東五条支店)が現存し、同じく吉武長一が設計したものです。 その他にも、安藤記念教会(東京1917)や、村井彌吉や村井貞之助の邸宅(現存せず)も手掛けていたようです。 吉武長一はペンシルバニア・テクニカルカレッジに留学し、教会も幾つか手掛けている事から、洗礼を受けたのではないかと思われます。
 ちなみに村井彌吉(婿養子)は、三島彌太郎子爵の弟で、美男子であったといわれ、東京帝国大学法学部を卒業し、28歳で吉兵衛の一人娘・久子と結婚。(※1) 村井銀行の総務を経て、後に村井炭鉱㈴社長となり、弥生炭鉱の他、築豊・常盤にも関わっていたようです。(※2)
 吉武長一の設計(清水組施工)による、東京永田町2丁目の村井彌吉の住まいは、1912年7月に着工・1913年5月竣工。 木造2階建て+地階、羽目板張りの外壁に、妻部分はチューダー様式。 1階は大広間・応接室・書斎・食堂・パーラー・台所・執事室。 2階は殆どが和室で、客間・居間・ビリヤード室・浴室・女中部屋など。 地階は使用人の浴室・物置との事。
 一方の村井貞之助(初代吉兵衛の次女・光子の夫)下渋谷の邸宅は、大正5年の設計図によると殆どが和室で外観も和風というものでした。(※3)
 なお、京都の村井吉兵衛の邸宅は『長楽館(設計J.M.ガーディナー,1909)』として円山公園に現存し、東京・永田町(現:日比谷高校の地)にあった山王荘の一部(1919頃)は、比叡山延暦寺の大書院として昭和3年に滋賀へ移築されました。 これは本格的な書院造りとなっています。(※非公開) なお、倉庫は永田町にそのまま残され、日比谷高校資料館として使用されています。
村井銀行七条支店・窓
裏手の窓に残る鉄扉。 防犯・防火のためシャッターなど設置する銀行は多いが、他の窓は?
村井銀行七条支店・金庫
1階に残る金庫の跡で、現在は厨房になっている。 この金庫にマンホール扉はないのか?
 ※マンホール扉についてはコチラ⇒【旧 三井銀行下関支店
村井銀行本店入口
東京の日本橋御幸ビル(現・三菱東京UFJ銀行日本橋中央支店)に、村井銀行本店の通用口だけが保存されている。
村井銀行出入口
左: 村井銀行七条支店の通用口        右: 村井銀行本店の通用口
摂津十三日講詰所
村井銀行七条支店の裏手にある、摂津十三日講の詰所(西本願寺の門徒組織の一つ)
近隣には、仏具店や西本願寺に関連する建物も多い。
山田たばこ店
山田たばこ店〕 京都市下京区花屋町通下松屋町
大宮通りから花屋町通りに入った所の、長屋の一角にあるタバコ店。 建物は大正~昭和前期と思われる。 土壁の代わりに外壁にタイルを使用。
山田たばこ店2
以前は、煙草以外にシャツやネクタイも販売していたようだ。
山田たばこ店3
左: 雨戸がシャッター代わり         右: 石製の敷居でタバコケースは新しい

【参考文献】
銀行図書館HP⇒【銀行変遷史データベース
(※1) 実業の日本 14(17) 1911/08, 17(3) 1914/02   実業之日本社
(※2) 金星4(12) 「我国現下の石炭界」村井彌吉 著   1916/12 金星社
(※3) 建築工芸叢誌. 第2期 (2) 1914/03, (23) 1916/09  建築工芸協会

【2014年9月 訪問】

【追記】
 旧村井銀行祇園支店(東山区四条通大和大路東入祇園町南側573-5)は、イタリアンレストラン『カーラ・ラガッツァ』となっていましたが、2015年10月に建物の前を通ったので覗いてみたところ、もぬけの殻となっており閉店していました。 室内は改装されており、銀行の金庫が残っているかは不明。 その後12月に違う店がOPENしたようです。

旧村井銀行祇園支店
2015年10月 撮影

●村井吉兵衛が東京に進出した頃、近所のガーディナー宅に娘・久子と、姪の加壽榮(義弟・貞之助の娘)を1年程寄寓させていたという。
 【参考文献】 たばこ史研究124号「村井吉兵衛と日比谷高校」中村由紀子 著 2013
●岡田信一郎設計の村井貞之助の逗子別邸(木造平屋)は、後に娘の加壽榮の所有となった。 既に解体されていると思われるが、国会図書館に図面が残る。

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