2015.
07.05
Sun
建築年 : 昭和20年~30年代
構 造 : 木造2階建て 
所在地 : 東京都 台東区 柳橋1-28-8
交 通 : JR・都営地下鉄「浅草橋」駅~徒歩5分位
T E L : 03-5833-0936
          ※詳しくはコチラ⇒【ルーサイトギャラリー
市丸邸
 一見、料亭にも見えるこの建物は、芸者歌手・市丸のかつての住まいであり、2001年からは『ルーサイトギャラリー』となっております。
2度目の訪問である今回、店主に許可を取り撮影させていただきました。
市丸邸・玄関1
 市丸は、信州松本で『後藤まつゑ』として生まれ、浅間温泉で花柳会に入門し、上京して三味線と唄を習い浅草芸者となります。 その美貌と唄声が日本ビクターの目に留まり、専属歌手となってから、「ちゃっきり節」、映画〈旅は青空〉の主題歌「青空恋し」、「三味線ブギウギ」等のヒット曲を連発。 映画にも出演しています。
 また、昭和7年に来日したチャップリンの写真に、三味線を教える市丸が写っています。 当時の芸者はアイドル並に人気があり、ポスターモデルで有名な赤坂の萬龍は建築家・岡田信一郎と、歌手の新橋 喜代三は作曲家・中山晋平と結婚。 小田原の栄は小津監督と逢瀬を重ね、市丸も近衛文麿の妾であったと云われています。
 戦時中の市丸は、軍の慰問活動をしながら数々の曲を唄い、戦後になってこの家を建て、暮らしていたようです。 その後、17世・中村勘三郎 公認で、市丸が江戸小歌中村派17世家元を襲名。
第22回 日本レコード大賞特別賞、紫綬褒章、勲四等宝冠章を受章。 華やかな人生を送った市丸は、平成9年2月17日に他界しました。
 市丸の死後、功労を称えて平成16年に創設された「市丸賞」(ビクター小唄奨励賞)が、毎年7月に日本伝統文化振興財団主催「ビクター名流小唄まつり」の最優秀者に与えられます。(※1) 
市丸邸・玄関2
表玄関の仕上げ
市丸邸・廊下
左: BARコーナー                
右: 廊下から表玄関方向を見た様子。 玄関横には蔵がある。
市丸邸・電話室
左: 電話室には市丸のポスターが。       右: 1階トイレ。 衛生陶器は東洋陶器製
市丸邸・玄関ホール
内玄関前の廊下
市丸邸・和室1
和室
市丸邸・1F3
1階はギャラリースペースになっている。
市丸邸・1F1

市丸邸・建具1
1階ギャラリースペースにある建具。
ドアのガラスも右の建具も、無双窓形式に横にスライドして風を通す。
市丸邸・建具2
左: 他の部屋にある建具も無双窓形式      右: ギャラリーにある雪見障子
市丸邸・2F1
2階の部屋はカフェとして不定期に営業。 個展開催中に営業している場合が多い。
                         ※詳しくはコチラ⇒【ルーサイトギャラリー
市丸邸・2F2
5月の訪問時、テラス席は既に先客がおり、室内の古めかしいソファで珈琲とケーキを堪能。
このカフェは、家具も食器もアンティーク物を使っているので、大事に扱いたい。
市丸邸・2Fトイレ1
左: 2階トイレの衛生陶器も古い。        右: 手洗い所
市丸邸・2Fトイレ2
上: 手洗い所のタイルは、職人が手作業で加工しカーブに合わせている。
中: 2階便所内の小型手洗い器の東洋陶器のマークは、第二次世界大戦中・終戦直後~
    昭和36年まで使用されたもの。 敵国のCO.LTD.を使わないKAISHAの表記名で、
    1階の手洗い器も同様のマーク。(※2)
下: トイレの照明も当時の物のようだ。
隅田川
テラスから眺めた風景。 背後には総武線の鉄橋が架かる。


 江戸時代この界隈には、隅田川(浅草川)から運び入れた年貢米を納める浅草御蔵や米問屋があり、両国橋を題材に浮世絵が描かれ、広重の作品「両国大花火」には浅草御蔵も登場します。
 また、隅田川と神田川の合流点には幕府の矢蔵があり、神田川の柳橋付近は花街として賑わい、船宿や料亭が建ち並んでいました。
 明治11年(1878)になると、浅草御蔵の地に大蔵省常平局の本局が設置され、米蔵を引き継ぎ、米価の調整を行っていましたが、大正時代には米蔵が2~3棟となり、それも関東大震災で焼失しています。(現・浅草中学校付近)
 一方で、柳橋の花街は戦後も景気良く、昭和30年代に全盛期を迎えたものの徐々に衰退し、平成11年に花柳界が無くなり、最後の料亭となった「稲垣」も2011年に解体。
 現在の浅草橋・蔵前付近はビルやマンションが建ち並んでいますが、人形問屋も点在し、2度目に訪れた1月には雛人形を買い求める人々で賑わっておりました。 色柄を選べる半オーダー制の人形もありますが、娘や孫が幸せになるよう願いを込めれば、どの人形でも良いのでしょう。
柳橋
柳橋: 元禄11年(1698)に建設され、『川口出口之橋』とも、幕府の矢蔵があった事から『矢之倉橋』『矢之城橋』とも呼ばれていたが、橋のほとりの柳から、いつしか『柳橋』となったと云われる。 現在の橋は昭和4年に架けられた(ローゼ形式)もので、戦災を免れ現在に至る。(※5)
料亭や船宿はビルへと変わってしまったが、屋形船や釣り船が今も変わらず係留されている。
柳橋・小松屋
佃煮の小松屋。 値段が高かったので諦め、近くにある梅花亭で、三笠山(どら焼き)と子福餅を土産に買う。 さらに、江戸通りにある柳ばし逸品会で、花柳界でご進物に使うという菓子や珍味を購入したら、佃煮を超える購入金額になってしまったが、一口サイズの乾き物が美味い!
以前、銀座のママさん御用達と聞いた、瑞花のおかきも美味しかったので、お姐さんが選ぶ土産は間違いないとみた。
 2度目に訪問した日は真冬で、私が立ち食いした鳴門たい焼き本舗の、熱々の金時餡たい焼きが美味しかったこと! 歩き廻って体と懐は冷え切ったが、浅草橋駅界隈はグルメの宝庫であった。
浅草橋
左: ひっそりと残る茶屋?の跡           右: 柳ばし逸品会の珍味

【参考文献】
(※1) 「ビクター名流小唄まつり」 日本伝統文化振興財団 HP 
(※2) 「TOTO衛生陶器の商標変遷」 TOTO HP 
(※3) 「浅草御蔵跡」 国税庁HP 
(※4) 「町会の歩み」柳橋町会HP 
   ↑ クリックすると各頁へ飛びます
(※5) 台東区教育委員会・柳橋解説板

【2014年5月・2015年1月 訪問】

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