2015.
10.22
Thu
住 所 : 東京都 三鷹市 大沢3-10-2
交 通 : JR三鷹駅・武蔵境駅~バス~国際基督教大学行き終点

      ※詳しくはコチラ⇒【国際基督教大学

 平成25年(2013/9/10~11/15)国際基督教大学湯浅八郎記念館にて、献学60周年記念として「建物に見るICUの歴史」展が開催されました。 今回はそこに展示されていた図面や古写真と、現存する建物と比較してみました。


 この地は昭和に入ってから短期間で所有者が代わっており、昭和9年(1934)に日産コンツェルンの重鎮・山田敬亮が土地を購入して別邸「泰山荘」を設け、昭和15年(1940)に中島飛行機㈱へ売却されて研究所となり、泰山荘は中島知久平が自宅として使用。
終戦後に再び売却され、創設まもない国際基督教大学が土地の一部を購入し、語学研究所(1952.4.29献学式)が開設されました。 泰山荘は一時、教員住宅として使用され、現在は賓客の接待や学生達の茶道稽古に利用されています。 なお、西側にあった大学のゴルフ場は昭和49年に売却され、現在は東京都立野川公園になっています。
ICU
本館 (B1F+4F+RF)
旧中島飛行機三鷹研究所の建物で、ヴォーリズ建築事務所の設計により中央4階部分を増築、窓部分の外壁を増し打ちして1953年に完成している。
近年には耐震補強工事の他、2003年に外壁改修も実施された。
ICUシーベリー記念堂
シーベリー記念礼拝堂: 開学に貢献したルース・シーベリー夫人の名を冠している
ICUシーベリー記念堂・古写真
シーベリー記念礼拝堂: 完成時の写真 (展示パネルより) 
設計はヴォーリズ建築事務所、1959完成 
ICU図書館2
図書館(1960年,B1F+2F+RF)
プリンストン大学図書館を設計したロバート.B.オコーナーの基本設計をもとに、実施設計はレーモンド建築設計事務所が担当。
この工事で出た残土は、本館前 芝庭に盛られ「バカ山(通称)」になった。
ICU図書館1
次の古写真と比較すると、増築されている事がわかる
ICU図書館・古写真
完成時の図書館 (展示パネルより)
ICU図書館・古写真2
図書館の内部 (展示パネルより)  室内設計はノエミ・レーモンドが担当
ICU第2女子寮
第二女子寮(ヴォーリズ建築事務所1956)
4人部屋を基本とし社交室・厨房・病室・客室を備え、寮母が住み込んでいた
ICU第2女子寮・図面
寮の立面図 (展示パネルより)    施工は大成建設
ICU第2男子寮
第二男子寮(ヴォーリズ建築事務所1956)  第二女子寮と共に閉鎖予定
その他にも、構内にはヴォーリズ建築事務所設計による教員住宅が数多く残る
ICU配置図
ヴォーリズ建築事務所の配置計画図 (展示パネルより)
ちなみに、神奈川県庁の基本設計者・小尾嘉郎が、昭和17年から住宅営団の東京支所工務第三課長として採用され、中島飛行機研究所の社宅建設に関わっていたようだが、その社宅がどこにあったのかは定かでない。 


 かつてこの地を所有していた中島飛行機㈱は、隼・疾風といった戦闘機を製造していました。 創設者の中島知久平は、明治17年(1884)群馬県尾島町の農家の長男として生まれ、海軍機関学校卒業後にイ号飛行船の試験飛行(1911)を経て、海軍大学卒業後にアメリカで飛行士免状を取得。 大正6年(1917)退役し、故郷の群馬で民営の飛行機研究所を設立します。
 しかし、日本毛織が経営に介入してから川西清兵衛との衝突が続き、所長退任を迫られますが、川西の要求通り3日で10万円を用意し工場を取り戻しました。 その後、中島飛行機製作所へ改称し、技術者と共に試作機を製造する中、指2本を切断しています。
 大正8年(1919)第1回懸賞郵便飛行競技会(東京-大阪間,中島2機+他社1機)1位になった事で、日本初の民営製造飛行機として陸軍から20機を受注。 航空機メーカーとして事業を拡大していきます。
 そして三鷹の地を取得し、自然を残した広大な敷地に様々な分野の学者を招き、研究の理想郷とする予定でしたが、昭和16年(1941)地鎮祭の日に太平洋戦争開戦となり、戦闘機試作工場として稼働を始め、ここで『剣(キ-115)』が開発されました。 終戦後はGHQ接収を経て敷地のほとんどが売却され、研究所の建物は国際基督教大学の本館となり現在に至ります。
 ちなみに、中島飛行機㈱の本社は丸の内の明治生命ビル内にありましたが、東京の前田侯爵家駒場本邸を取得し、昭和19年に移転しています。
その建物は終戦後にGHQ接収となり、昭和28年に和館と一部の土地が富士産業(旧:中島飛行機)に返還されると、昭和31年頃に富士産業は和館とその土地を国へ物納。(GHQは洋館と残りの土地も返還) 戦後の中島知久平はA級戦犯を解除され、昭和24年(1949/10/29)泰山荘で亡くなりました。
政治家としても活躍した中島は、眼力を鍛えるため(眼光鋭い山本条太郎を見習ってか?)ブルドックとの睨み合いで飽き足らずにライオンを手に入れますが、牛込加賀町本邸内にライオンが逃げ出すという事件もあったとの事。 その中島知久平の人柄、中島飛行機については、こちらに詳しく書かれています⇒ 【中島飛行機物語
  終戦後に中島飛行機㈱は富士産業㈱となり、ラビットスクーター等を製造していましたが、その会社も解体されました。 中島飛行機は消えてしまいましたが、その技術と歴史は富士重工業㈱へと受け継がれています。

【参考文献】
国際基督教大学湯浅八郎記念館 展示資料
前田侯爵家駒場本邸 解説資料
中島飛行機物語

スポンサーサイト

comment 0 trackback 0
トラックバックURL
http://mosu3.blog.fc2.com/tb.php/133-156002cc
トラックバック
コメント
管理者にだけ表示を許可する
 
back-to-top