2016.
08.07
Sun
住 所:東京都豊島区目白1-5-1 学習院大学目白キャンパス
交 通:JR目白駅~徒歩約30秒、東京メトロ雑司ヶ谷駅~徒歩約7分
見 学:学習院生涯学習センターにて年に数回、ガイド付見学会(有料)あり
         ※詳しくはコチラ⇒【学習院HP
TEL:03-3986-0221

 皇族・華族の子息教育のために創設された歴史を持つ学習院。 その伝統と格式ある建造物を紹介します。

学習院・南1号館
【南一号館】 宮内省.内匠寮設計,RC造3F建て一部地下1F
 中・高等科の理科特別教場が関東大震災で被災し、昭和2年(1927)に竣工。 当初は各階にスチーム暖房、地下にはトイレと電気変電室などがあり、蓄電機も設けられて停電にも対応していた。
 学習院・南1号館2
 理学部校舎の南7号館への移転にともない、一般教室棟として改修工事(2013年3月竣工)が実施された。
外壁は部分補修の予定であったが、躯体コンクリートにジャンカがあり、鉄筋のかぶり厚が少ない事が判明。 修復方法を見直し、工期延長・タイルを全て剥がす事になった。 また、劣悪な躯体部分は全て除去し、新たに配筋されている。
外壁タイルは目地に切込みを入れて高圧水流で剥がし、再現タイルを貼付け(1F窓の腰壁は当時のタイルを再利用)。 エレベーター・空調・弱電設備・各階にトイレを設置。 北側の教室や旧化学実験室などの6教室の壁は漆喰を剥がし、新材料で再現されている。
学習院・南1号館玄関
南一号館の玄関
学習院・南1号館玄関照明
左:玄関ポーチの照明            右:玄関ポーチの明り取り
学習院・南1号館階段
階段(右は手摺柱):法定の高さの新しい手摺が追加されている
学習院・南1号館廊下
廊下
学習院・南1号館202
202教室
学習院・南1号館202床
今回の工事でラワン材の床は202教室のみ再使用し、他の教室はその上から長尺塩ビシートで覆われた。
学習院・南1号館ドラフトチャンバー
出窓式ドラフトチャンバー(左:室内、 右:外部)
 実験中に発生する有害ガスを排気するための物。 当初は出窓内の上部に設置したガスバーナーの火で上昇気流を作って排気していたという。 
窓は昭和49年にスチールサッシからアルミサッシに変更しており、今回の工事で部分的に更新。
学習院・南1号館流し
実験用流し:標本整理室に1940年代に設置された物で、東洋陶器で戦時中に製作された「TOYO TOKI KAISYA」マーク入り
学習院・南1号館3



学習院・西1号館2
【西一号館(旧中等科教場)】 内匠寮.権藤要吉 設計,RC造3F建て一部地下2F
 昭和5年に完成し、増築(1930・1954年)や、内部の全面改修(1999年)を実施。
平成26年には外壁他修繕工事で外壁の洗浄と防水仕上げが施された。
学習院・西1号館1
西一号館の玄関
学習院・西1号館階段
階段
学習院・西1号館214
214教室
学習院・西1号館214照明
214教室の照明
学習院・西1号館214暖炉2
214教室のマントルピースの棚
学習院・西1号館214暖炉1
214教室のマントルピース内の耐火煉瓦


 明治4年(1871)明治天皇から華族に向けて、一層勤勉に努めよという勅諭が出されました。
明治9年8/5神田錦町に校地を賜り、9/27から校舎の建設着工。 恩賜金と寄付金・禄券利子高などを資金として明治10年6/1に校舎が完成し、図書も購入。10/17に両陛下ご親臨のもと開業式が行われ、130人が入学。 初代・学習院長は立花種恭(最後の三池藩主・老中格)が就任しました。 宮内省からは京都の旧学習院の題額『学習院』と蔵書1707冊を賜り、さらに官有地(錦町3丁目1番地)が下賜されます。 明治17年(1884)には官立学校となり、明治18年8月時点の生徒数は340人(皇族2名、華族250名、士族83名、外国人5名※1) この神田錦町の校舎は明治19年(1886.2.16)に焼失し、仮教場を東京大学予備門の校内に設置しています。
 その後、四谷区尾張町に建設された本館校舎(1890,煉瓦造2F,施工.清水滿之助※2)が明治27年の地震で被災したため、目白(現在地)への移転が計画されますが、日露戦争の影響などで建設が遅れ、明治42年(1909)に落成。(初等学科と女学部は四谷に残る)
その時に建設された建物の内、図書館(現:大学史料館)・寄宿舎総寮部(現:乃木館)が現在も残っています。
 関東大震災で中等科・高等科の理科特別教場と、第2教室(中等科教場・地理標本室)が焼失。 焼け跡にバラックを建設し、大正14年3月には目白通り沿いに仮教場を建設。9月に理科特別教場(現・南一号館RC造)が着工され、昭和2年3月竣工。 昭和5年には中等科教場(現・西一号館RC造)も完成しています。
 戦時中の昭和19年から、初等科や女子学習院の生徒は集団疎開を開始し、幼稚園は保育を中止。 昭和20年の東京大空襲で目白校地の木造校舎が焼失(1945.4.13)し、青山の女子学習院がほぼ全焼(1945.5.25)しました。

【参考文献】
※1「図書寮記録. 巻3 華族」1887 宮内省図書寮
※2「工学会誌9(合本)」1890 工学会
  「皇室建築:内匠寮の人と作品」鈴木博之 監修 2005 建築画報社
  「南一号館とその実験室に関する調査」村松康行 著
  「学習院南1号館:再生した旧理科教場」学習院大学史料館 編 2013 丸善プラネット

【2015年4月 訪問】

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