2016.
10.02
Sun
建築年: 大正11年~12年頃に竣工
設計施工: 設計は室岡惣七、棟梁は関根平蔵
構 造: 木造2階建て、付属棟(1階+地階)付き
住 所: 埼玉県入間市河原町13-13
交 通: 西武鉄道「入間市」駅~徒歩約7分
TEL: 04-2934-7711(入間市博物館)
見 学:年に数回公開
         ※詳しくはコチラ⇒【入間市HP
石川組1
 この洋館は石川組製糸の迎賓館として、外国商人や賓客の接待に用いられました。 大正10年(1921)7月に上棟式が行われ、1~2年後には竣工したと思われます。
設計者・室岡惣七は狭山の出身で、東京帝国大学を卒業後、司法技師・東京電灯技師を経て、昭和2年に室岡工務所を設立。 昭和3年の文献によると、その室岡工務所の所在地は(旧制)浦和高等学校の南隣りと記載されています。 主な作品としては遠山元一邸(現:遠山記念館,1936竣工)・豊岡公会堂など。 棟梁は川越の関根平蔵(父・関根松五郎は『時の鐘』棟梁)です。
 かつては2階建ての和館(隠居所)もあり、晩年の石川幾太郎夫妻がその2階に住んでいました。 庭には池と茶室・東屋・蔵もありましたが、国道16号線新設により前庭が削られ、撤去されています。
石川組3
脇玄関:1階はベランダも含め、外部との出入口が多い
石川組・外壁
外壁の煉瓦タイル
石川組・軒裏
軒裏には中国風の雷文模様。 室内の造作や家具にも見られる
石川組・家紋
表玄関ポーチの天井や照明には、石川家の家紋「丸に笹竜胆」の意匠が
石川組・玄関
表玄関の内部
石川組・玄関ホール
玄関ホール:階段下に脇玄関がある
石川組・玄関ホール2
左:玄関ホールの暖炉        右:メタル(金属)天井
石川組・応接室
応接室と照明
石川組・応接室床
応接室の絨毯の下は床を若干高くしてある
石川組・応接室家具
幾太郎69歳の記念に大正15年に製作された家具
石川組・寝室
1F個室(寝室):照明器具に雷文模様
石川組・食堂1
食堂(サイドボード脇に別館へ通じる扉がある)
石川組・食堂天井
食堂の天井
石川組・食堂照明
食堂の照明と天井装飾が同じデザイン
石川組・食堂2


 創業者の石川幾太郎は、安政2年(1855)に農家の長男として誕生し、川越の新河岸での馬引き駄賃取りを経て、製茶・仲買商を創めますが、取引先の倒産のあおりを受け明治17年に解散。
明治26年に座繰製糸業を開始し、翌年には機械製糸業へ転換。 川越・福島原ノ町・豊橋・伊勢などの工場を買収して事業を拡大し、兄弟で各地の工場を管理。 幾太郎は一時期、東京保温材㈱や武蔵野鉄道(現:西武鉄道)の社長にも就任しています。
 本店工場(現:黒須団地)には宿舎・講堂・食堂・病棟、自家用の菜園と茶畑があり、幾太郎夫妻は事務所に付属する2階の座敷2間を住居としていました。 講堂では映画上映やキリスト教の講話会を開き、夜間家庭学校を設けて女工達に週3~4回、行儀作法・読み書き等を教えていました。 東郷平八郎が大正11年(1922)3月に訪れた際には、本店工場の講堂前で記念撮影も行われています。 
 また、旧豊岡小学校雨天体操場の建設資金や、川越蚕糸学校・川越盲学校に寄付した事で、幾太郎は緑綬・紺綬褒章を受章しています。 これらの社会貢献はキリスト教の精神に基づいており、弟の和助が伝道師となった事で石川家一族が入信し、近隣の土地と資金を提供して大正12年に豊岡教会も竣工。
 しかし、関東大震災で横浜の倉庫に保管されていた生産糸が焼失。 昭和初期の恐慌やデフレ政策で経営が悪化し、各地の工場は他社や銀行へ譲渡されました。 晩年の幾太郎は、孫の源一郎の屋敷(現在地)に新築した隠居所(和館2階建)に住んでいましたが、昭和9年に他界。 昭和12年(1937)に㈱石川組製糸所は解散しています。

【参考文献】
「石川家の人々」石川家本家 2002
「建築年鑑. 昭和3年度版」建築世界社

【2015年6月 訪問】

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