2017.
03.05
Sun
所在地:福島県会津若松市花春町8-1
公 開:8:30~17:00(入園は16:30迄)無休、有料
交 通:会津若松駅~まちなか周遊バス「御薬園入口」or「御薬園」バス停~徒歩約3分
電 話:0242-27-2472
   ※詳しくはコチラ⇒【御薬園
御薬園
 この地はかつて霊泉が湧く大名の別荘地で、薬草や朝鮮人参の栽培をした事から『御薬園』と呼ばれるようになりました。
その昔、鶴の舞い降りる泉の水で病人を介抱したという翁がおり、この地にその翁を祀って朝日神社とし、泉は鶴ヶ清水と名付けられました。
室町時代、この霊地に葦名盛久が別荘を建てますが、戦乱を経て荒廃、保科家(後に松平家)が復興させました。 庭園は目黒浄定が作庭を手掛けて修復し、元禄9年頃に御茶屋御殿や楽寿亭も完成しています。
 会津戦争後は西軍の治療所となり、新政府の管理下で一時、松平家の幽閉所や若松県知事公舎となっていたようです。 その後、有志の寄付により買い戻されて松平家に返還。 昭和28年から一般公開されています。
御薬園・楽寿亭
楽寿亭:元禄9年(1696)頃に完成し、松平正容が命名したと伝わる。 八畳一間で北側には戊辰戦争の刀傷が残る。
昔の絵図には亀島の反り橋がなく、舟を使ったと推定される。
御薬園・楽寿亭内1
楽寿亭  ※入室不可
御薬園・楽寿亭内2
 楽寿亭の小屋組・床組みの一部は転用材が使われており、安永年間に再建された可能性がある。
また2回改造された形跡(床脇の壁→開口部とし外側に縁を廻す→壁に戻す)もある。
昭和に入って修復工事も実施され、昭和29年度では、茅葺き替えや小屋組みの補強、壁の塗り替え、三和土の直しなど実施。
昭和60年度では、礎石沈下や軸部傾斜の修正(柱・小屋組み・軒廻り・野地板・壁小舞は解体せず)茅の葺き替え・壁の塗り替え等が実施された。
御薬園・御茶屋御殿
御茶屋御殿:元禄9年(1696)頃に完成。 会津戦争後は西軍の治療所や松平家の幽閉所、若松県知事公舎となる。 その後、有志の寄付により新政府から買い戻され、松平家に返還。 明治15年北側に2階建を増築し、日光東照宮宮司を退任した松平容保一家が明治20年まで住んでいた。
御薬園・御茶屋御殿 上の間
御茶屋御殿・上の間
御薬園・御茶屋御殿内
左:御茶屋御殿の1階次の間        右:柱に残る会津戦争の刀傷
御薬園・御茶屋御殿修理
 東日本大震災復旧を兼ねて明治期増築箇所の保存修理工事が平成26年から一年以上かけて実施された。
昭和30年度にも茅葺き替えや広縁廻りの屋根修理工事が実施されているが、近いうちに江戸期の箇所も保存修理工事が予定されている。
ちなみに以前の調査で、御茶屋御殿も一部に転用材を使用して建設された事が判明している。 
御薬園・御茶屋御殿図面
御茶屋御殿の平面図              ※工事パネルより
重陽閣1
重陽閣     ※重陽閣について詳しくはこちら⇒【御薬園②
 右端にチラリと見える黒幕は朝鮮人参用の日除けで、重陽閣の前には現在も薬草園が設けられています。
当時の会津藩は朝鮮人参の栽培について許可制をとり、人参役所に申請した農家へ鑑定方を派遣して地形地質などを調査。 許可を得た農地は3畝歩限りとし、交付した種子を役人の前で蒔く、という審査が厳しいものでした。 その当時、全国的に朝鮮人参栽培が試みられ、秋田・会津・尾張・松江・熊本・薩摩が栽培に成功。 その中でも会津・松江は中国へと輸出するまでに至りました。

【参考文献】
「名勝会津松平氏庭園(楽寿亭)修理工事報告書」文化財建造物保存技術協会 1985
「人蔘史. 第四巻」今村鞆 著 朝鮮総督府専売局 1939

【2015年5月 訪問】

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