2017.
10.22
10.22
Sun
所在地:東京都福生市福生1158
アクセス:JR福生駅~徒歩約7分
見 学:10:00~16:00、無料
休 館:月曜日(祝日の時は翌平日)、年末年始 ※詳しくはこちら⇒【福生市郷土資料室】
福生市の文化財ガイドツアー(2016年11月,郷土資料室主催)に参加して、田村酒造場の次に訪れたこの家。
田村家(田村酒造)の分家として明治35年(1902)に独立した頃、本家の建物を移築したと云われています。
田村幸三(幸蔵?)は明治44年(1911.6.1)無集配の三等郵便局『福生郵便局』を家の向かいに開設し、初代局長を務めました。
大正5年に別の地に局舎を新築移転した後も、近年まで田村家が局長を務めています。
平成25年に建物が寄贈された福生市は、翌年に土地を購入して修復工事を行い、平成27年度から一般公開しています。
主屋:明治35年(1902)木造、 大正5年(1916)改築、平成26年(2014)修復
明治の住宅だが、土間に座敷という古典的な間取り
神棚:裏面に明治10年(1877)新築落成時に田村半十郎がこの神棚を造ったと記されている
田村半十郎(十兵衛の長男、1912没)は、本家(田村酒造)明治時代の当主で、八王子まで電車の開通を勧めたメンバーの一人であり、甲武鉄道㈱や青梅鉄道㈱の取締役にも就任している ※本家についてはこちら⇒【田村酒造場】
奥座敷
奥座敷の飾り棚 地袋(左:落款、 右:引手金物)
寝間
近代的に収納を多く取っている(押入れは両方から出し入れ可能)
廊下にも収納を設けてある
便所の手水場
左:客用(洗面台の所に小便器があった) 右:家族用
土間を分断し、台所と繋がる廊下が造られている
左手に高さのある玄関框があり、公開時に階段が設置された
この様な階段や踏み台がない場合は膝から上がり、履物を揃えてから入ると良い
左:土間の一部を部屋に改修 右:屋根裏スペースもある
土間の脇にある台所と風呂場
右:台所内にある風呂釜 兼コンロ?(燃料はコークス等) 右:風呂跡
手前が東土蔵(明治37年、修復済み)、奥に西土蔵(明治44年、非公開)
西土蔵には冠婚葬祭用の食器などが収納されていた
土蔵の裏側
土蔵の床下換気口には仐の屋号が
この家の屋号は『仐=ヤマジュウ(山へんに十)』で、本家は『カネジュウ(矩へんに十)』と呼ばれていた
なお、土蔵の床下には古瓦や古レンガを配置して湿気を防ぐ工夫がされている
かつて郵便局の道具類などを収納していた東土蔵
訪問時には昭和初期の福生の記憶画(窪田成司)が展示されていた
旧福生郵便局:現在は純福音福生教会
屋根も部分的に古い物が残る
【参考文献】
「遞信省告示第580号」1911
「福生町誌」1960 福生町
「明治過去帳 : 物故人名辞典」1988 東京美術
【2016年11月 訪問】
アクセス:JR福生駅~徒歩約7分
見 学:10:00~16:00、無料
休 館:月曜日(祝日の時は翌平日)、年末年始 ※詳しくはこちら⇒【福生市郷土資料室】
福生市の文化財ガイドツアー(2016年11月,郷土資料室主催)に参加して、田村酒造場の次に訪れたこの家。
田村家(田村酒造)の分家として明治35年(1902)に独立した頃、本家の建物を移築したと云われています。
田村幸三(幸蔵?)は明治44年(1911.6.1)無集配の三等郵便局『福生郵便局』を家の向かいに開設し、初代局長を務めました。
大正5年に別の地に局舎を新築移転した後も、近年まで田村家が局長を務めています。
平成25年に建物が寄贈された福生市は、翌年に土地を購入して修復工事を行い、平成27年度から一般公開しています。
主屋:明治35年(1902)木造、 大正5年(1916)改築、平成26年(2014)修復
明治の住宅だが、土間に座敷という古典的な間取り
神棚:裏面に明治10年(1877)新築落成時に田村半十郎がこの神棚を造ったと記されている
田村半十郎(十兵衛の長男、1912没)は、本家(田村酒造)明治時代の当主で、八王子まで電車の開通を勧めたメンバーの一人であり、甲武鉄道㈱や青梅鉄道㈱の取締役にも就任している ※本家についてはこちら⇒【田村酒造場】
奥座敷
奥座敷の飾り棚 地袋(左:落款、 右:引手金物)
寝間
近代的に収納を多く取っている(押入れは両方から出し入れ可能)
廊下にも収納を設けてある
便所の手水場
左:客用(洗面台の所に小便器があった) 右:家族用
土間を分断し、台所と繋がる廊下が造られている
左手に高さのある玄関框があり、公開時に階段が設置された
この様な階段や踏み台がない場合は膝から上がり、履物を揃えてから入ると良い
左:土間の一部を部屋に改修 右:屋根裏スペースもある
土間の脇にある台所と風呂場
右:台所内にある風呂釜 兼コンロ?(燃料はコークス等) 右:風呂跡
手前が東土蔵(明治37年、修復済み)、奥に西土蔵(明治44年、非公開)
西土蔵には冠婚葬祭用の食器などが収納されていた
土蔵の裏側
土蔵の床下換気口には仐の屋号が
この家の屋号は『仐=ヤマジュウ(山へんに十)』で、本家は『カネジュウ(矩へんに十)』と呼ばれていた
なお、土蔵の床下には古瓦や古レンガを配置して湿気を防ぐ工夫がされている
かつて郵便局の道具類などを収納していた東土蔵
訪問時には昭和初期の福生の記憶画(窪田成司)が展示されていた
旧福生郵便局:現在は純福音福生教会
屋根も部分的に古い物が残る
【参考文献】
「遞信省告示第580号」1911
「福生町誌」1960 福生町
「明治過去帳 : 物故人名辞典」1988 東京美術
【2016年11月 訪問】
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