2012.
03.18
Sun
建築年:1907年(明治40年)竣工 
所在地:山口県萩市椎原 TEL:0838-25-3139(萩市観光課)
構 造:木造2階、桟瓦葺き屋根  萩市指定史跡
施 工:伊藤万作(宮大工)ほか
開 館:9:00~17:00 無休
入館料:100円
別邸・玄関
 伊藤博文別邸は、公爵になった明治40年(1907)東京の大井村に建てられたもので、和館・洋館をもつ広大な邸宅でした。 平成10年に、玄関・大広間・離れ座敷のみ萩に移築されました。
 跡地は伊藤博文墓所(東京都品川区西大井6-10-18)であり、当時の建物はありませんが、秋に一般公開されているとの事ですので、詳しくは品川区のHPでご確認下さい。
 ※大井の別邸にあった恩賜館についてはコチラ⇒【明治記念館
別邸・鏡天井廊下
広縁の鏡天井は、幅1間近くある1枚板を使用。 これだけの大木は屋久杉か?
伊藤家別邸・床の間
1階大広間。この様な床の間と付書院の構成も珍しい。付書院奥の壁に飾り棚を置きたくなる。
別邸・2階床の間
離れ2階の座敷は一風変っている。 所々、下地の黒漆を研ぎ出し、根来塗りの様な床框。
別邸・2階欄間
 人が嫌がる木の節をわざと使い、皮付きの枝を棹縁にした天井。
この棹縁は1間半の長さで同じ太さ、はたして何の木だろうか。
伊藤博文生家
 隣にある建坪29坪の平屋で国指定史跡。 この家は、萩藩の下級武士・伊藤直右衛門(水井武兵衛)邸でしたが、父の十蔵が養子となり、一家をあげて移り住みました。
兵庫県知事となるまで、この質素な武家屋敷が伊藤博文の本拠となっていました。
 現在の建物は復元したものでありますが、名声を得た前後の2つの邸宅が隣り合い、
歴史的人物の暮らしぶりを想像する事が出来ます。

 伊藤博文は天保12年(1841)、現在の山口県大和町で百姓の長男「利助」として生まれ、嘉永2年(1849)に一家が萩に移り、安政元年(1854)に伊藤姓を名乗ります。 吉田松陰に学んだあと、尊皇攘夷の志士として活動。 明治維新後は兵庫県知事となり「博文」と改名。
官僚として鉄道建設も携り、明治5年に横浜-新橋間を開通させました。
 その後、初代内閣総理大臣・枢密院議長・貴族院議長・韓国統監となり、憲法発布・日英通商航海条約・下関条約を締結します。 過去には、文久3年(1863)に渡英し、明治4年(1871)に岩倉使節団の副使としてサンフランシスコで演説もしており、総理に選ばれたのも英語が堪能であったからといわれております。
 一方で好色家と知られ、宮武外骨の風刺画には、梅毒で鼻がもげた絵が度々出てきます。
 韓国の植民地化に反対していた伊藤でしたが、満州ハルピン駅で韓国の運動家によって暗殺され、69歳で亡くなりました。 志士として暗殺に関わり、最後は暗殺によって倒れる波乱の人生でした。

【2009年5月 訪問】

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