2012.
04.10
Tue
建築年: 昭和30年(1953) 
所在地: 東京都港区南青山6-1-19、 TEL:03-3406-0801
構 造: 鉄筋コンクリートブロック造2階建て、 金属葺き木造屋根 
設 計: 坂倉準三建築研究所(担当:村田 豊)
開 館: 10:00~18:00、  有料
休館日: 火曜日・年末年始
  ※詳しくはコチラ→【岡本太郎記念館

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「芸術は爆発だ!」でおなじみの岡本太郎のアトリエ兼住宅であり、現在は「岡本太郎記念館」として平成10年(1998)から公開されております。 
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 岡本太郎は、漫画家・岡本一平と、作家・岡本かの子の間に明治44年(1911)に生まれ、昭和5年(1930)一家がパリに渡った後、10年間滞在した岡本太郎は、ドイツ軍パリ侵略により帰国して終戦後から芸術活動を再開。 昭和45年(1970)大阪万博では「太陽の塔」をデザインします。 その制作会議(若き日の丹下健三の顔も映る)のVTRが残っており、岡本太郎の抽象的な論理に対して、関係者の困った顔が印象的でした。 他に、スキー姿やアトリエでの制作風景なども写っておりましたが、インタビューの中で「自分を大事にすると、自分が死ぬ」という一言が心に残ります。
ちなみに「太陽の塔」の中は生物をテーマにしたパビリオンであり、非公開ですが当時の内装が一部残っております。
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テーブル中央の蓋が外せるようになっており、友人と酒を飲む時に氷を入れていたのだとか。
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窓には、強い影を少なくし光を拡散する擦りガラスを嵌め、北向きの安定した光を取り入れたアトリエ。 昔の写真館もこの様な形式が多い。
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左:角が生えたオブジェも内部に蛍光灯が仕込まれている。  右:リビングの時計(CITIZEN製)
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庭の隅にあるモザイクタイルのベンチと、コンクリートのテーブル。
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 建物は、坂倉準三建築研究所により昭和28年(1953)に竣工され、岡本太郎の芸術活動の拠点となりました。
 坂倉準三氏は、明治34年に岐阜県の羽島で生まれ、東京帝国大学を卒業後、パリ工業大学に留学します。 前川國男の紹介でル・コルビジェの事務所で5年間修行し、帰国後の昭和12年(1937)パリ万博の日本館を設計して1等賞を受賞。 昭和15年には坂倉準三建築研究所を開設。 東急渋谷駅(2013年解体、岡本邸と似た屋根が特徴的でした)・JR新宿駅西口・神奈川県立近代美術館・東京日仏学院などの公共物を多く手掛けました。 岡本太郎邸を担当した村田氏は、のちに昭和45年(1970)大阪万博の富士パビリオンも設計しております。
 ブロック塀は地震で倒れるという印象が強いですが、鉄筋を正確に入れてロの字型に組み立てれば、強固な建造物となります。 私の実家のブロック倉庫は竜巻で屋根が飛ばされましたが、中の物は無事でした。 風の抵抗が少ない屋根、接合部の工夫をすれば、竜巻にも耐えられる建物となるでしょう。
 しかし、2m以上の高さまでブロックを垂直水平に積み、目地まできれいに仕上げるには高度な技術を要します。 このブロック職人は煉瓦職人がルーツですが、最近はブロック構造物も減って腕の良い職人も少なくなりました。

【2012年3月 撮影】

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