2012.
06.03
Sun
建築年:大正7年(1918)  
所在地:〒959-1502 新潟県南蒲原郡田上町大字田上2402  TEL:0256-57-2040
構 造:木造平屋   
設計施工:松井組(棟梁・松井角平)
開 館:9:00~16:00、  有料
休 館:年末年始など    
交 通:JR羽生田駅~車5分 or 「本田上」バス停~100m

椿寿荘
 この建物は、田巻家が客殿として井波の宮大工・松井角平に依頼し、3年半の歳月をかけて完成。 建坪140坪の建物は、用途に応じて最高級の檜・杉・欅など使い建設されました。
 江戸末期の田巻家は、1260町歩の田畑を持ち、小作人2千人以上を抱える豪農でした。
本家は『原田巻家』と呼ばれ、当主は代々「七郎兵衛」を名乗り、七代目(賢太郎)が7万2千円を費やして建物を完成させました。
椿寿荘 玄関内
寺社の玄関の様に重厚な造り。 衝立に描かれた能の演者は、どこから見ても視線が合う。
椿寿荘 座敷
3部屋の襖を外せば、この様な大広間に。 宴会や冠婚葬祭に利用された。
椿寿荘 広縁
約20mの軒桁に吉野杉の絞り丸太を使用。瓦屋根・積雪量を考えると、この下屋はスゴイ!
椿寿荘 便所
左:男性用小便器。料亭などでは、便器の中に飛散防止・消臭用で杉の葉を入れる場合もある。
右:しゃがまなくても便器の蓋が取れるよう、長い取っ手を付けている。
椿寿荘 水屋
台所の様な、大きな水屋。 多くの来客に対応可能。
椿寿荘 奥次の間外
まるで池の上に建つ亭の様
椿寿荘 奥次の間
予約をすれば、この部屋で仕出し弁当をいただく事ができる。 ※詳しくはコチラ→【椿寿荘
椿寿荘 庭
この庭は、修学院離宮の改庭を手掛けた京都の庭師・広瀬万次郎によるもの。


 初代の松井角右衛門は、井波大工10人衆の一人。 加賀藩に仕え、天正14年(1586)越中高岡の守山城普請に従事。 文禄2年(1593)には伏見城普請のため上京。 慶長元年(1596)には瑞泉寺の再建に携わりました。
 その後、代々「松井角平」を名乗り、瑞泉寺山門は8~11代が、瑞泉寺本堂(1885)13代目が、大正7年(1918)の瑞泉寺太子堂は14代目が棟梁となりました。
松井組代表となった14代・松井角平(恒信)は、この田巻家の他、旧中越銀行も手掛けています。 ※詳しくはコチラ→【旧中越銀行
 その後、松井組は関東大震災後の大正12年に東京に進出。 本願寺築地別院復興工事(伊東忠太設計)を請負い、昭和9年(1934)に竣工。
昭和23年(1948)松井建設株式会社に改称。 小田原城再建(昭和60年)等を請け負いました。  ※詳しくはコチラ→【松井建設】【松井角平】 
 その後「椿寿荘」は、国鉄が買収して一時保養所となりましたが、町営となってから一般公開されております。(隣りにある「利恒庵」は別企業の所有で非公開)
 このように、企業や個人の所有となる事は決して悪い事でなく、いずれ文化財となりうる建物を後世に残す為の手段の一つとなります。
維持管理には多大な経費が掛かりますが、良き所有者であれば大事に使われるでしょう。
たとえば、横浜三溪園は原三溪が、国宝の茶室・如庵は三井本家が所有しておりました。
 ただし、時代で状況が変わり、大幅な改修や取り壊しにならぬよう、常に自治体や地元民が監視する必要もあります。
その土地の宝が無くなってしまわないように・・・。

【2011年9月 訪問】

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建築年:大正7年(1918)  所在地:〒959-1502 新潟県南蒲原郡田上町大字田上2402  TEL:0256-57-2040構 造:木造平屋   〔田上町文化財指定〕施 工:松井組...
まとめtyaiました【椿寿荘(新潟・田上)】 | まとめwoネタ速neo | 2012.06.07 11:04
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