2012.
06.17
Sun
建築年:主屋が明治22年(1889年)など
所在地:〒950-0205 新潟県新潟市江南区沢海2-15-25  TEL:025-385-2001
構 造:木造、一部2階 
棟 梁: 斉藤 金蔵(主屋・三楽亭)など
開 館:9:00~17:00(12~3月は16:30まで)、無 休 
入館料:有料  ※詳しくはコチラ→【北方文化博物館
交 通:JR新津駅~車5分

伊藤家 2
 この建物は、千歩町(1000ha)を超える土地を持つ、新潟一の大地主・伊藤家の屋敷です。 初代の文吉は、宝暦6年(1756)に分家した百姓で、その土地は1万3千㎡から始まりました。 
 その後、紺屋(染物屋)・質屋・立入人(蔵管理)をなりわい、「いはの家」と呼ばれました。 そして2代目が、天保8年(1832)に名字帯刀の権利を取得し、「伊藤文吉」と名乗ります。 この格式を持つ事が出来たのは、立入人であったためと思われます。 明治以降もさらなる土地を取得し、明治末期には1385haを持つ大地主となりました。
伊藤家 4
 この屋敷は、5代目が明治15年(1882)に起工し、8年余りの歳月をかけて完成。
さらに、明治25年(1892)には、新発田藩の「清水谷屋敷」を所有します。
そして大正時代の本邸には、家族と60人近くの使用人が住んでいたといわれます。
伊藤家 3
 終戦後の昭和20年頃、慶応義塾大学卒・ペンシルベニア大学に留学経験を持つ7代目が、屋敷を博物館にする計画を考え、ペンシルベニア大学の後輩で、進駐軍・ライト中尉の協力もあり、軌道に乗せます。
 現在の8代目は、慶応義塾大学卒業後に、毎日新聞・音楽之友社を経て館長となり、文化施設として確立。日本博物館協会理事就任、2008年には旭日双光章を受章しております。
伊藤家 1
式台と板戸は、欅の一枚板。 冠婚葬祭・皇室が御来訪された際のみ使用。
伊藤家 流し
洗い分けができる流し(シンク):両側に人が立って洗い物ができる便利なアイランド型だが、昭和の物か?
伊藤家 茶室1
 6代目が、明治22年(1889)から2年の歳月をかけて完成した書斎「浩元房」
間取りが三角形で、畳・柱・抽斗などは菱形という、とても珍しい建物で、現在は「三楽亭」と呼ばれています。 ※外からの見学のみ
 園内には、刈羽民家(江戸初期)・積翠庵(天保初期)・常磐荘(1860年の旧宅離れ)・時庵・佐度看亭・吉ヶ平民家などが点在。
毎年5月の第三日曜日に、一部の建物で茶会を主催しているそうです。 また、カフェ・レストラン・売店・宿「大呂庵」が新設され、観光スポットとして多くの観光客が訪れております。 

【2011年9月 訪問】
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建築年:主屋-明治22年(1889年)など所在地:〒950-0205 新潟県新潟市江南区沢海2-15-25  TEL:025-385-2001構 造:木造、一部2階 (国指定登録有形文化財)棟 梁
まとめtyaiました【北方文化博物館(新潟・沢海)】 | まとめwoネタ速neo | 2012.06.27 22:21
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