2012.
07.01
Sun
建築年: 昭和3年(1928年) 平成18年8月~21年3月に本館を修復
所在地: 〒186-0011 東京都国立市谷保6312  TEL:042-573-3950
構  造: 本館は木造2階
見  学: 本館を「石井亮一・筆子記念館」として、イベント時のみ公開   
交  通: JR南武線・矢川駅~徒歩10分

滝乃川学園1
 滝乃川学園は、日本の知的障害児教育の先駆けとして知られ、日本初の知的障害児施設が現存しております。
創立者・石井亮一は佐賀藩士の家で生まれ、立教大学卒業後に立教女学校の教頭となりました。 濃尾地震の孤児達が人身売買されている話を聞いて女児を引き取り、明治29年(1891)下谷区西黒門町(現:台東区上野1丁目)の女医・荻野吟子宅にて「聖三一孤児女学院」を創設。
さらに、孤児の中に知的障害児がいる事を知った石井は、知的障害教育を学ぶために渡米し、エドワード・セガンの未亡人に師事。 帰国後、北豊島郡滝野川村(現:北区)で「滝乃川学園」という名で改設します。
 その後、西巣鴨村庚申塚に移転しましたが、大正9年(1920)の火災で園児6名が焼死。 再建には皇室や津田梅子らが支援し、財団法人として認可され、初代理事長・中尾太一郎の後、渋沢栄一らが就任しています。
 そして、北多摩郡谷保村にあった大隈重信別邸予定地を取得し、昭和3年(1928)に本館が新築されました。 外壁はモルタル塗リシン吹き付けで、その当時から室内階段は段差を低くしてゴムを貼り、大きな窓を設置して明るい教室としました。 屋根は、竣工当初はスレート葺きでしたが、現在は平板瓦葺きとなっています。
滝乃川学園2
 平成の修復工事では、防災設備・照明・水廻り・空調・ブラインドなど新規設備を導入。 耐震対策として、たすき筋交いや梁間に振れ止め・補助梁を新設。 照明は一部復元されたが機能はしていない。
 玄関ポーチ上部は屋根が掛けられていたが、ポーチ上を復元しFRP防水となった。 復元した内樋は実用にせず、屋根の雨水を砂利敷きの犬走りに直接落とす方式に変更。 また、雨対策のため北側1階の軒先を1尺出す変更もされた。
ホール
室内の壁は薄緑色の漆喰で、講堂のみ薄いベージュ色。 まるで床の間の様なステージ。

ピアノ
 妻・石井筆子愛用のピアノで蝋燭立てが付いている。 平成7年に発見され、明治18年(1885)横浜デーリング商会の日本最古のアップライトピアノと判明。 現在は調律され、コンサート等に使用されている。
教会2
本館と同じく昭和3年竣工。 現在は「聖三一礼拝堂」と呼ばれ、礼拝や集会に利用。
教会1

教会3

教会内1
 築地の立教女学校の隣にあった東京聖三一教会(日本聖公会:キリスト教)が母体です。 明治35年(1897)5月に献堂式でジョン・マキム師が「滝野川聖三一教会」と命名しました。
 聖公会は、イングランド国教会が発祥で、カトリックとプロテスタントの中間的な思想。 安政6年にアメリカ聖公会の宣教師が渡来したのが始まりで、キリスト教解禁後に英国・カナダの宣教師が再び渡来し、「日本聖公会」が発足しました。 この教会の名は、父と子と聖霊が一つになるという教えの「三位一体」が由来。
教会天井
 妻の石井筆子は、男爵・渡辺清(肥前大村藩士の志士)の長女で、フランスに留学経験を持ち、鹿鳴館の華となりました。
その後、華族女学校の教師から静修女学校校長となり、津田梅子と共に夫人倶楽部万国大会・日本代表になる程の才色兼備の女性でした。
結婚もしますが、障害児の子供を抱え、早くに未亡人となりました。 その子が滝乃川学園の生徒となった事で、石井亮一と出会い再婚。 昭和12年(1937)に夫が亡くなった後、2代目学園長に就任しています。

  ※詳しくはコチラ→【滝乃川学園

【2009年11月 撮影】

スポンサーサイト

comment 0 trackback 1
トラックバックURL
http://mosu3.blog.fc2.com/tb.php/34-ead89c69
トラックバック
建築年:昭和3年(1928年) 平成18年8月~21年3月に本館を修復所在地:〒186-0011 東京都国立市谷保6312  TEL:042-573-3950構 造:本館-木造2階 (国指...
まとめtyaiました【滝乃川学園 〔東京・国立〕】 | まとめwoネタ速neo | 2012.07.02 14:06
コメント
管理者にだけ表示を許可する
 
back-to-top