2012.
08.12
Sun
旧近江ミッションWハウス2
 この建物は、2世帯住宅として大正9年(1920)に竣工しました。その後は、社員のための住居「近江ミッションダブルハウス」として使われ、現在も住宅として現役です。(内部は非公開)
旧近江ミッションWハウス5
 ヴォーリズの両親は、敬虔なクリスチャンでした。父ジョンは簿記の仕事をしながら、日曜学校の図書係として働き、日曜学校の教師であったジュリアと出会い、二人は結婚します。
 その後、息子のウィリアムが日本で近江YMCAを設立し、事業でも活躍している話を聞いて、大正3年に両親が来日。60歳前後の両親がわざわざ日本にやって来た理由は、宣教師になることが夢であった、母ジュリアの影響もあるでしょう。池田町に建てた新居でヴォーリズ一家の暮らしが始まります。
 大正8年(1919)W・M・ヴォーリズは一柳満喜子と結婚。おそらくこの住宅は、両親と二人の住まいとして設計されたと思われますが、池田町の邸宅で二人だけの新婚生活を送ったようです。
そしてこの建物は、ヴォーリズの両親とヴォーリズ建築事務所の外国人技師の住まいとなりました。
 来日後、父ジョンはヴォーリズ合名会社で経理として働いておりましたが、大正14年に亡くなり、葬式は八幡教会で執り行われました。
母ジュリアも、日本の女性達に料理等を教えていたようですが、戦時中は息子夫妻と共に軽井沢に疎開し、終戦後まもなく亡くなったようです。
 終戦後、昭和天皇が戦犯にならぬようW・M・ヴォーリズが奔走し、天皇からお礼の言葉があったそうで、母ジュリアが亡くなった事に対しても、お悔やみの一言があったと思われます。
 その後、W・M・ヴォーリズ夫妻と両親は、恒春園(近江兄弟社霊園)に葬られ、訪れる人も少なくありません。
旧近江ミッションWハウス4
閉鎖的な玄関ポーチに窓を設置し、通気と明るさを確保している。
旧近江ミッションWハウス1
瓦も当時の物と思われる。
旧近江ミッションWハウス5
裏手に和館が増築されている。
旧近江ミッションWハウス7
通用門の脇に、猫の出入口が・・・。板でふさがっているため、竣工時の物かは判断できない。
旧岩瀬医院
 こちらは、近江八幡市永原町にある「旧岩瀬医院」昭和8年(1933)。隣の和館と渡り廊下でつながっており、その和館もヴォーリズ建築事務所の作品だという。
 現在は村田家の住まいとなっており、医院の建物は使用されていない。

【2009年10月 撮影】

スポンサーサイト

comment 0 trackback 0
トラックバックURL
http://mosu3.blog.fc2.com/tb.php/40-3a39f312
トラックバック
コメント
管理者にだけ表示を許可する
 
back-to-top