2013.
02.11
Mon
建築年:昭和9年(1934年)、平成13年(2005)移築 
所在地:新潟県上越市本城町7-1(高田公園内)  TEL:025-525-2429
構 造:木造2階建て 
設 計:吉田 五十八、   施 工:岡村 仁三 棟梁
見 学:9:00~17:00  休館:祝日以外の月曜・祝日の翌日・年末年始・その他
入館料:大人200円(上越市立総合博物館との共通券も別途あり)
交 通:えちごトキめき鉄道・高田駅or直江津駅~バス停「高田公園入口」下車~徒歩5分

         ※詳しくはコチラ→【小林古径邸
小林古径邸
 この建物は吉田五十八の設計により昭和9年(1934年)東京都大田区南馬込に建てられた、小林古径の本邸です。平成5年(1993)に解体され、その部材は上越市が購入し、平成10年より復原に着手。 同じ敷地内にあった古民家の画室(昭和49年に解体)も、写真や図面を基に昭和13年当時に復元。 平成13年(2005)より一般公開されております。
古径アトリエ
 現在は高田城の跡地に建てられ、隣には斎藤真一のコレクションを保有する上越市立総合博物館もあります。 ※詳しくはコチラ→【番外編
ここ高田は、古くは上杉謙信公の御膝下であり、のちに越後高田藩となり、家康の六男・松平忠輝が城を築きました。 伊達政宗が総監督となり、堀と土塁を設け、慶長19年(1614)に三階櫓を建立。
しかし、明治3年(1870)に三階櫓と御殿が焼失し、戦時中には陸軍駐屯地のために土塁が壊され、堀が埋め立てられました。
現在は学校が建てられ、残ったお堀には春に桜・夏に蓮の花が咲く観光地となりました。
古径玄関
 本邸の玄関: 奥にある引戸は階段下の収納
左下に見える石は沓脱石、右手には式台があり、下2段のスノコは見学用に後付けされた物
若い人や外国人で、スノコの上で靴を脱ぐ人もたまに見かけます。
古来の日本家屋では、木材の上は土足で上がってはいけないと覚えておきましょう。
古径邸茶の間
 本邸の茶の間: 炉が切ってあり、炭で湯を沸かし暖を取る
気密性の高い現在の住宅では、一酸化炭素中毒にならぬよう換気が必要
古径水屋
2階にある水屋:茶道用に使われ、水が飛び散らないよう竹のスノコを置く
古径壁
左:1階の居間/茶の間堺にある欄間障子  欄間鴨居と欄間敷居は塗り隠されている
右:1階の書斎の壁: 床の間の垂れ壁は、土壁としては先鋭でモダン
古径台所
台所: 現代のシステムキッチンに通じる機能性
古径アトリエ室内
図面や写真を基に復元された画室: 弟子の今里 隆 氏が監修
画室は予約をすれば1時間千円で使用可能。 ただし、飲食や絵の具等の使用不可。
古径建具
左:手前から・・・障子・ガラス戸・雨戸があり、全てが戸袋に収納できるようになっている
右:戸袋の戸は襖になっており、この戸を開けて障子やガラス戸を部屋側に押し出す
古径雨戸
画室の雨戸は、高さが犬走りから軒桁まである大きなもの


小林古径は、明治16年(1883)この高田に生まれました。 父は元・高田藩士で逓信官吏であり、「小林 茂」と名付けられます。
11歳で山田於莵三郎に日本画の手ほどきを受け、12歳で青木香葩に学び「秋香」の雅号を貰います。
16歳には上京して梶田半古の塾に入門して「古径」の雅号になり、その年の第7回 日本絵画協会、第2回 日本美術院連合共進会に入選。
その後、大正3年に日本美術院同人に選ばれ、大正11年に日本美術院留学生として前田青邨とともに渡欧。 晩年には、東京美術学校教授・帝室技芸員に就任し、文化勲章を受章。 昭和32年(1957)に74歳で亡くなりました。
 大正4年(1915)から大森新井宿に住み、大正9年に南馬込の農家を購入し、画室として使用。 隣に本邸を建てる際にも「私が好きになるような家を建てて下さい。」と一言、吉田五十八に依頼しただけであり、完成後もすぐには移り住まず眺めていたそうで、設計者にとっては難しい仕事であったと思われます。
その甲斐あって古径に認められ、画室も吉田五十八により改修されましたが、古径の死後、昭和49年に解体されてしまいました。
 
吉田五十八: 明治27年(1894)東京日本橋生まれ。 太田胃散の創業者・太田信義の5男として生まれ、信義が58歳であったことから、『五十八:いそや』と命名。 後に母方の吉田家を継ぎ、吉田五十八と改名。
東京美術学校・建築科を卒業後、モダニズムを学ぶため渡欧。改めて日本の建築美に気付き、帰国後に数寄屋建築に取り組みます。 昭和16年(1941)には東京美術学校講師に就任し、その後、教授として15年ほど在籍。
吉田建築事務所としては、梅原龍三郎邸や日本芸術院会館などの新築、歌舞伎座・明治座・新橋演舞場などの改築、吉田茂や秩父宮様の邸宅まで手掛け、文化勲章を受章。 昭和49年(1974)79歳で亡くなりました。
 ちなみに、太田胃酸の工場(昭和9年、施工:日本鋼材)も設計しており、のこぎり屋根の普通の工場ですが、開口部に吉田五十八の手法が見られます。 恐らく現存していないでしょうが、写真で見る事はできます。
※復刻版「建築の東京 都市美協會 昭和10年刊」 2007 不二出版
※その他の吉田五十八の作品はコチラ⇒ 【旧猪俣邸】 【山口蓬春旧宅】 【旧吉屋信子邸
 
【2012年8月 訪問】
 
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