2012.
10.14
Sun
建築年:煉瓦蔵は明治38年、店舗は昭和6年  
所在地:福島県喜多方市字3丁目4786
構 造:レンガ造、木造 2~3階建て (国指定登録有形文化財)
施 工:田中 又一 ほか
見 学:10時~16時。 TEL:0241-22-0010
交 通:JR喜多方駅~徒歩10分位

若喜商店
 市役所通りの角に建つ若喜商店は、宝暦5年(1755)創業。 現在の当主は11代目。
明治38年の煉瓦蔵と昭和6年の店舗の他に、蔵など数棟が現存。
 一部の蔵は、駄菓子と和雑貨などを販売する「昭和館」や、赤べこや合格ダルマの絵付け体験(予約制)ができるスペースに改装されております。
 ※詳しくはコチラ→【若喜商店
 そして、煉瓦造の二階蔵は客用の座敷として、隣の三階蔵は道具類を保管。
木造の醸造所では、現在も味噌や醤油を製造しております。
 蔵座敷は通常、ガラス越しの見学となっていますが、今回は大女将さんの御好意により、特別に1階の「縞柿の間」を拝見させて頂きました。
若喜商店・蔵座敷
2階蔵の内部が、客用の蔵座敷となる。
若喜商店・床の間
1階は「縞柿の間」と呼ばれ、柱・長押など全てが柿材を使用。
若喜商店・戸棚
飾り棚の地袋の中まで柿材。 3つの引手がある下枠は、底の浅い抽斗となっている。
若喜商店・天井
天井板も柿材。高級品をこれほど使用した例はない。
若喜商店・敷居
敷居まで柿材。 ゴルフクラブのヘッドに使われる程の硬さで、敷居には向いている。
若喜商店・物入れ
絵の後ろは、物入れになっている。
若喜商店・絞り機
醸造所にあるプレス機。 布にもろみを包み、醤油を絞り出す。
下に積んである布の全てが、一度にプレスできる。
若喜味噌

 喜多方では、明治13年(1880)に、170戸300棟を焼失する大火が発生し、土蔵が焼け残った事から、人々は建物の防火性に着目します。
 その当時、日本各地に洋風建築が建てられ、煉瓦造の建物は近代化の象徴でした。
すでに銀座では、明治5年の大火の後、明治6年に煉瓦街が完成しており、煉瓦造は防犯・防火性に優れ、当時の最新技術として、蔵にも最適と考えられました。
 さらに、明治29年(1896)に、郡山~若松~新津を結ぶ、岩越鉄道(現・JR磐越西線)の建設が開始。鉄道のトンネル建設に、大量の煉瓦が必要となりました。

 そして、瓦職人・樋口市郎は、三津谷集落のそばに登り窯を構え、煉瓦の需要を見込み、釉薬煉瓦を開発し生産を開始します。
新潟・亀田出身の樋口は、明治23年に27歳でこの地に移住してから、生産に適した良い場所を見つけるまで、この若喜商店に住込みで働いたと云われております。
 さらに、煉瓦職人として清水組の仕事をしていた田中又一が、その技術を持ち帰った事から、この喜多方の街にも煉瓦造の建物が建てられるようになりました。

 その後、岩越鉄道は明治31年(1898)に郡山駅~中山宿駅が開通し、翌年には若松駅、明治37年(1904)には喜多方駅まで開通しました。
 そして、若喜商店の煉瓦蔵は、この2人の職人により明治38年に完成したのです。
※詳しくはコチラ→【若菜家
若喜商店・出窓
 一方、昭和6年の店舗は、喜多方出身の本間嘉平の設計と云われております。
 本間嘉平は、昭和38年(1963)に大成建設の社長となり、昭和42年に日建連の初代会長に就任しています。
 この店舗は、戦時中の物資統制により一時的に閉鎖し、戦後も富士銀行・喜多方支店がしばらく使用していました。
若喜商店・大女将
今回、特別に案内して下さった大女将・冠木 恒さん。
感謝しております。ありがとうございました。

【2012年8月 撮影】

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