2012.
12.09
Sun
所在地:熱海市梅園町8-1
構 造:木造 2階建て
見 学:10:00~15:30  休 館:木曜・年末  
料 金:無料      TEL:0557-85-1933
交 通:JR熱海駅~バス15分「梅園」or「澤田政廣記念美術館前」下車
    JR来宮駅~徒歩10分

中山晋平邸
 西熱海別荘地にある『彩苑』(※詳しくはコチラ→杉本苑子 旧宅)から坂道を下っていくと、地元の人もあまり使ってないような階段があり、そこを降りていくと下の道に着きます。 林で隠れていますが、道の脇は急な崖になっているようで、下の方から川のせせらぎが聞こえてきます。
 しばらく歩くと、突然、韓国庭園が現れ驚きますが、そこを通り抜けていくと、熱海梅園に辿り着きます。 この辺りに来ると『初川』も流れを見せ、対岸には何と滝が!
実は人工の滝で、吊り橋を渡ると澤田政廣記念美術館もあります。

 この建物は、昭和10年(1935)作曲家の中山晋平が、熱海市西山町に別荘として建てたもので、昭和19年(1944)戦時中に妻・嘉子(新橋喜代三)と共に疎開し、昭和27年に65歳で亡くなるまで住んでいた邸宅を、移築しています。
 現在は、中山晋平記念館として資料を展示しております。
中山晋平ピアノ
 中山晋平が愛用していたピアノ。「シャボン玉とんだ~♪」 「雨雨ふれふれ~♪」 「かあさん お肩をたたきましょう~♪」 子供の頃に歌った童謡が、このピアノで生まれた。
 小学校の音楽教師の経験により、子供の心を捉える曲作りが出来たのだろう。
中山晋平邸・1階和室
左:1階の座敷は、書院造り            右:1階の広縁の床板が杢目となっている
中山晋平邸・茶の間
1階の茶の間。 妻・嘉子(新橋喜代三)も火鉢の前に座ったのだろう。 
中山晋平邸・廊下
2階廊下の明り取りは、数寄屋建築でありながら、吉田五十八の様なモダンな仕上げ。
設計者は不明。
中山晋平邸・2階和室
2階の座敷。 1階の座敷より格を下げて、竹の落とし掛けを使用。

 中山晋平は明治20年3月22日、長野県新野村(現・中野市大字新野)名主の家に生まれました。
その後、小学校で代用教員として働いておりましたが、上京して島村抱月の書生となります。
 明治45年に東京音楽学校ピアノ科卒業。 東京の小学校で音楽教師をしながら、作曲活動を開始。 大正3年(1914)「カチューシャの唄」を作曲し、芸術座の松井須磨子が歌って大ヒット。
大正6年に小学校教師の江南敏子と結婚します。
 その後、野口雨情作詞による「シャボン玉」 「あの町この町」、北原白秋作詞の「砂山」 「アメフリ」、「てるてる坊主(浅原鏡村 作詞)」や「肩たたき(西条八十 作詞)」等、今でも歌い継がれている童謡を作曲。
 昭和3年(1928)に日本ビクターと専属契約を結び、「東京音頭」 「熱海節」等の新民謡や、歌謡曲も数多く手掛けています。
 のちに、日本音楽文化協会・日本音楽著作権協会の理事長に就任。
昭和27年12月30日、病により65歳で亡くなりました。

 妻・中山嘉子は、鹿児島でも評判の芸者で、それは美しい女性でした。
中山晋平とは昭和6年(1931)に出会い、晋平の勧めで上京して「小原良節」「よさこい節」を日本ビクターでレコーディング。同年に新橋芸者となり、昭和7年に新橋喜代三(しんばし きよぞう)という芸名で、ポリドールの専属歌手となります。
 昭和11年(1936)晋平の妻・敏子が病のため45歳で亡くなり、翌年に中山晋平と結婚、引退します。
 この熱海の邸宅で晋平と共に暮らし、晋平の死後、日本ビクターの歌手として復帰しましたが、熱海での暮らしを続けました。
 昭和38年(1963)3月23日に病により59歳で他界。

 この建物は日本ビクター㈱の所有となり、のちに熱海市に寄贈され、中山晋平記念館として、移築公開されています。
◎詳しくはコチラをご覧下さい。→【中山晋平記念館

【2012年7月 訪問】

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