2013.
02.12
Tue
建築年:昭和42年(1967)、昭和57年に増築
所在地: 東京都世田谷区成城5-12-19 
構 造: 木造平屋建て、一部RC造 (敷地1861.7㎡、延床面積371㎡)
設 計: 吉田 五十八研究室(担当:野村加根夫)
施 工: 主屋は水澤工務店、  茶室は丸富工務店
見 学: 9:30~16:30  無料
休 館: 祝日除く月曜・年末年始  
交 通: 小田急小田原線・成城学園前駅~徒歩5分

猪俣邸・居間
 成城の高級住宅地に佇むこの建物は、猪俣 猛 夫妻の邸宅で、吉田 五十八の晩年の作品です。
長男・猪俣 靖 氏より、建物と敷地が世田谷区へ寄贈され、せたがやトラスト協会の管理運営のもと、『猪俣庭園』として平成11年10月から一般公開されております。
 敷地の半分以上は、梅や桜など季節の風景を楽しめる回遊式日本庭園となっています。
小さな屋根を多く配置して高さを抑えた建物は、中庭を2つ設けて室内に風と光を取り入れ、
2つの茶室を持つ数寄屋建築でありながら、現代生活に馴染むよう工夫がなされています。
猪俣夫妻の老後のための住まいであり、お手伝いさんと運転手の部屋があったという広い邸宅です。
 故・猪俣 猛氏は、労使の実務担当者に向けて「労政時報」を発行している (財)労務行政研究所の初代理事長を務め、鎮信流茶道(旧肥前平戸藩主・松浦鎮信の武家茶道)を極めた人物でした。 また、猪俣 靖 氏も(財)労務行政研究所の理事長として活躍されました。
猪俣邸・茶室
 ここ成城は、北多摩郡砧村と呼ばれ、大正14年(1925)に成城学園が移転し、昭和2年(1927)に小田急線が開通してから、「成城」と呼ばれるようになりました。
住宅地が分譲されてから、柳田国男・水上勉・横溝正史ら文化人が邸宅を構えるようになり、
昭和6年(1931)に写真科学研究所(現・東宝砧撮影所)が出来てから、黒澤明・三船敏郎・石原裕次郎・加山雄三などが住むようになり、さらなる高級住宅地に発展。
 環境を守るため、住民により平成14年に『成城憲章』が制定され、敷地は125~250㎡位とし、敷地の20%に緑地を作って生垣で囲み、10m以下の低層住宅とする、さらに崖地には地下室を造らない等、建築制限が行われるようになりました。
猪俣邸玄関
この様な玄関収納の構成は、小林古径邸にも出てくる。
 ※吉田五十八についてはコチラをご覧下さい。→【小林古径邸
猪俣邸・茶室2
渡り廊下でつながった4帖半の茶室は、窓が多くとても開放的。
右側の下の障子は、躙口を兼ねている。
猪俣邸・水屋
茶室前の水屋も現代生活に馴染むよう、立って使う流し台を採用。
猪俣邸・勝手口
左: 玄関脇にある勝手口。
右: 水屋の横の躙口とつながる。 茶会などの仕出し料理は、ここから搬入。
猪俣邸・夫人室
夫人室には造作家具が設置され、化粧台上の照明まで造り付けとなっている。
猪俣邸・夫人室2
左: 夫人室の飾り棚。
右: さらに夫人室には金庫があり、上段に仏壇が設置されていた。
                ※今回案内して下さった、ボランティアの渡辺さん。
猪俣邸・次の間
夫人室の隣にウォークインクローゼットがあり、次の間の押入れには姿見が隠されている。
猪俣邸・座敷
次の間の隣にある座敷。
右手奥の障子は建築照明とし、手前の格子にはエアコンを仕込んでいる。
猪俣邸・浴室
左: 浴槽も当時の物。
右: 脱衣場兼洗面所。 引き戸に鏡を貼り、左右の位置を変えられる。
猪俣邸キッチン
システムキッチンは当時の物。レンジフードをガラスとした開放的なデザイン。
猪俣邸・食器棚
左: 厨房側は食器棚 
右: 食堂側はとてもシンプル。残念ながらテーブルと椅子は当時の物ではない。
猪俣邸・建具
食堂右手にある窓は、網戸・ガラス戸・障子全てが脇に収まるようになっている。
さらに建具の枠を斜めに切り、隙間が開かないよう工夫。
猪俣邸・設備
左上: 厨房にある呼び鈴。ランプが光った部屋へお手伝いさんが向かう。
左下: 座敷の机の下にあった(雑巾摺りの所)スイッチの用途は不明。
右 : 座敷にあるエアコンや照明のスイッチ。
猪俣邸・書斎
昭和57年に増築された書斎と1帖台目の茶室は、吉田五十八の弟子で秋篠宮邸・大使館公邸・公共茶室などを手掛けた、野村加根夫氏の設計。
猪俣邸・コタツ
書斎には堀ごたつがあり、床下からヤグラを取り出して使用。
天板に絨毯が貼ってあるので、オフシーズンに床下に収納してしまうと床と一体化する。
右の写真の穴には、ヤグラを置くための受け材が入っている。

【2013年1月 訪問】

 吉田五十八は雑誌の中で、「居間が客間になり、夫人室が居間になるといったように、その用途が変わってきてしまった。」と、その後の猪俣邸について述べている。
また、南面の屋根を3段にするため、納まりに一番苦心したという。

【参考文献】
 「新建築44-5」 1969/05 新建築社

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