2013.
10.20
Sun
所在地:新潟県 新潟市 中央区 一番堀通町1-2 白山公園内
建築年:明治40年代、 平成9年移築   
構 造: 木造平屋
見 学:9:00~17:00   無料 
休館日:第1・3月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始
交 通:「白山公園前or競技場前」バス停~徒歩3分、 玄関前に有料駐車場有り
TEL:025-224-6081

燕喜館・表
 新潟の三大財閥の一つ、齋藤家3代目当主・喜十郎が建設した本邸(東堀通7番町)であり、新潟市の所有となって平成9年(1997)白山公園にその一部を移築し、一般公開されております。
 齋藤家の先祖は越前三国出身という事から『三国屋』という屋号で酒問屋を営業。そこから分家した初代の名『喜十郎』を当主が代々襲名し、『山三』という屋号になりました。
 2代目(長男・庫之丞)は廻船業の他、通商司や第四国立銀行にも関わり、船を売った資金で、地主になっています。明治18年(1885)越佐汽船会社を創業。大正7年(1918)には『新潟汽船』と改め、新潟から日本の各港・ウラジオストク間を就航しました。
 2代目に子供はなく、3代目当主となった実弟・庫次郎は、船道具・廻船問屋の間瀬屋(現・新潟ビルサービス)の鈴木コウと結婚して4男1女に恵まれ、長男の庫吉が4代目当主、4男の庫四郎が5代目当主になりました。
 4代目が建てた齋藤家別邸(中央区 西大畑町576)も、平成21年(2009)新潟市の所有となり、敷地と屋敷がそのまま残る「現地保存」として、平成24年(2012)より一般公開されています。 ※詳しくはコチラ⇒【旧齋藤家別邸
燕喜館・庭
 庭の前には白山神社の蓮池が広がる。
陶器製の灯篭は、3代目 清水六兵衛(祥雲)晩年の明治10年 作
燕喜館・式台
式台:特別な行事の時に使用されたという表玄関。
来館者用に別の玄関が造られ、現在は使用できない。
陶器灯篭は清水六兵衛の弟子である、浅見五郎介(祥瑞)明治15年 作。
燕喜館・式台扁額
 『燕喜館』は長 三洲(チョウ サンシュウ 漢学者・書家1833-1895)が名付けたもので、韓愈「燕喜亭記」に由来し、玄関の間には三洲の扁額が掲げられている。
燕喜館・奥座敷
奥座敷:三部屋の大広間で、天井高は11尺(3.3m)。紫檀・黒檀の床柱や床框が使われ、柱は杉の四方柾の書院造り。
燕喜館・縁側
縁側には、10間(18.1m)の桁、8間(14.4m)の長押や巾木がある。
燕喜館・前座敷
 前座敷は、赤松の皮付き丸太の床柱と面皮柱という、書院造りでも軽めの意匠。
前座敷・地袋
 前座敷には、滝 和亭(タキ カテイ 1830-1901)の地袋の襖絵「天桃海物之圖」
滝 和亭は江戸に生まれ、大岡雲峰・坂本浩然・日高鉄翁に学んだあと、幕府のお抱え絵師として海外へ遊学。 南画家として海外の万国博覧会に出品し、帝室技芸員となった。
燕喜館・居室
居室 : 本鉄刀木の床柱や、水原出身の長井一禾(ナガイ イッカ1869-1940)の襖絵がある。
 長井一禾は、明治2年(1869)蒲原郡水原に生まれ、東京に出て円山派や河鍋暁斎に師事。
鴉(カラス)の絵を得意とし、さらに渡米留学して技を磨き海外でも受賞している。
京都・楞厳寺に描いた鴉の襖絵が、「丹波のカラス寺」の由来となった。
燕喜館・居室床の間天井
居室の違い棚の天井。 別邸にも同じ仕様があり、同じ棟梁の作によるものと思われる。
燕喜館・照明
居室の吊下げ照明用コード調節器は陶器製。 滑車で高さも簡単に調整できる。
燕喜館・茶室
 小間の茶室は平成9年に建設(設計管理:京都伝統建築技術協会、施工:安井杢工務店)
茶会に利用できるが普段は非公開。 許可を取り拝見させていただいた。
燕喜館・茶室床の間
茶室 床の間と給仕口。 床の間裏にある収納の扉も網代張りで凝っている。
燕喜館・茶室水屋
茶室の水屋は現代的。

 各部屋は3部制(9:00~12:00/13:00~17:00/18:00~21:00)で伝統文化活動に貸出しており、奥座敷は4千円、前座敷・居室・茶室は各3千円で(冷暖房費別)利用出来ます。
※詳しくはコチラ⇒【燕喜館

【2013年8月 訪問】

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