2013.
12.01
Sun
所在地:東京都中央区銀座1-9-8
建築年:昭和7年(1932)+昭和9年(1934)
構 造:鉄筋コンクリート造 地上6階・地下1階建て
設 計:川元設計事務所
交 通:東京メトロ・銀座1丁目駅~徒歩1分 or 銀座駅~徒歩5分

奥野ビル
 銀座は日々進化しており、新しいビルが建てられ、新しいお店がOPENしています。
しかし、美味しい料理を出す小さな店が消え、趣のある建物が消えてしまい、何か寂しさを感じる時も…。
美術愛好家の楽しみの一つである、京橋~新橋にかけての裏道にあるギャラリーも、減っているような気がします。
 この度、恩師が銀座のギャラリーで作品を展示するとの事で、友人らと共に奥野ビルへと出掛けました。 その会場とは、思わず目を留めてしまうスクラッチタイルの外壁で重厚な建物。
 こちらは高級アパートとして建てられたもので、『銀座アパートメント』と呼ばれていました。
施主は、鉄道部品のダストキーパーを取り扱っていた奥野治助(奥野商会)です。
地下には浴場、各階には6帖の洋室または和室に、電話・スチーム暖房・折り畳みベッドを備えており、数多くの文化人が住んでいたようです。
いつしか店舗や事務所が入り、昭和32年に事務所ビルに用途変更。『奥野ビル』になりました。
さらに現在は、ギャラリーが幾つも入っており、趣のある外観が魅力となって、芸術を発表する場として若い人にも利用されています。
奥野ビル玄関
玄関ホールの壁はタイル貼り
奥野ビル・エレベーター
手動で扉を開閉するエレベーター
奥野ビル・階段
階段の腰壁は人研ぎ仕上げ
右の写真は階段にある窓。 窓を開けると隣の奥野ビルの階段が見える。(増築の境界部分)
外観を見ての通り、2つの建物が合体しているが、内部は廊下で繋がっている。
長屋形式に建て増しも可能なデザイン。
奥野ビル・屋上階段
屋上への階段は上がることはできない
奥野ビル・トイレ
共用便所の設備とタイルや建具の一部は改修済み 
奥野ビル・306号室
左:306号室には初期の扉が残る       右:室内の様子
 この部屋は、昭和60年代まで美容室として、以降は店主の住居として使用。
住人の死後この部屋は、有志によって『306号室プロジェクト』として活用。
参加メンバーは家賃を負担しあい、「現状維持・現状復帰の原則」を守りながら、部屋を使用している。
 ※詳しくはコチラ⇒【306号室プロジェクト
奥野ビル・ギャラリー邨
建物の端にある部屋を改装したギャラリー
ギャラリー邨(むら)   TEL(03)5579―9618
 ※詳しくはコチラ⇒【ギャラリー邨】 


 この建物を設計したと云われる川元 良一は、東京帝国大学建築学科で講師の内田祥三に学び、大正3年(1914)に卒業。
その後、三菱合資会社地所部に入社し、桜井小太郎の下で丸の内ビルヂング(竣工1923)建設に携わった後、内田祥三の勧めで同潤会の建築部長に就任。 関東大震災での教訓を元に、地震に強いRC造の同潤会アパートメントを設計しました。
独立後は、この銀座アパートメントの他、昭和9年(1934)竣工の軍人会館(現・九段会館)の実施設計も手掛けています。
 軍人会館の基本設計者(コンペ1等)小野武雄も東京帝国大学出身で、明治44年に住宅設計に関する論文を発表(※コチラが参考になります⇒「明治の建築家の残したもの」)していたようですが、日本は戦争へと進み、両者とも住宅から軍施設の設計へと、志し叶わず時代の荒波に呑まれていったようです。
 古い建物は地震に弱いと思われがちですが、戦争前に建てられたRC造は、良質な材料で柱や梁も太く頑丈に建設されています。 鉄筋が錆びていなければ、ある程度の地震にも耐えられるでしょう。
しかし、柱や梁などの構造体が多い分スペースが減り、高さにも制限があるため、貸主や借主に非効率と判断され、鉄骨造の中高層ビルに建て替えられてきました。
大地震の際は避難にも時間がかかります。 落下してくる建材を考えてすぐ外に逃げない、火災が発生した場合は下へ逃げる、津波が発生しそうなら上へ逃げる…と、臨機応変に対処した方が良さそうです。

【2013年2月 訪問】

スポンサーサイト

comment 0 trackback 0
トラックバックURL
http://mosu3.blog.fc2.com/tb.php/80-0c1692b5
トラックバック
コメント
管理者にだけ表示を許可する
 
back-to-top