2014.
01.05
Sun
所在地: 東京都 目黒区 駒場4-3-55 駒場公園内
建築年: 昭和4年(1929)
構 造 : 鉄筋コンクリート造 地上3階、地下1階
設計等: 基本設計は塚本靖、 設計担当は高橋貞太郎、 施工は竹中工務店(竹中藤右衛門)
見 学 : 9:00~16:30 無料
休 館 : 祝日を除く月曜日・火曜日
交 通 : 京王井の頭線「駒場東大前」駅~徒歩12分
T E L : 03-3466-5150

前田侯爵邸
 前田本家(旧加賀藩)16代当主・前田利為の本邸として建てられた後、一時は中島飛行機株式会社の所有となり、戦後にJHQが接収し、ホワイトヘッド空軍司令官邸として使用されました。
返還後は昭和39年(1964)に東京都の所有となり、昭和42年~平成14年3月まで、「東京都近代文学博物館」として利用されました。
 その後は無料開放されましたが、監視が行き届かず、邸内で悪さをする者もいたようです。
現在はボランティアの皆さんが解説を兼ねて、館内を見守っています。
前田侯爵邸・テラス

旧前田侯爵邸・外部装飾
左:外壁はスクラッチタイル。 白い凝灰岩は風化が見られる。 
右:テラスの床は大理石のモザイクタイル
旧前田侯爵邸・壁泉
非公開区域にある壁泉。 毎年11月初旬「東京都文化財ウィーク」で公開される。
前田侯爵邸・階段ホール
階段ホール
旧前田侯爵邸・階段周り
左:階段ホールの照明          右:階段下の待合所
旧前田侯爵邸・応接室奥
小応接室にある暖炉(スチーム暖房)と照明
前田侯爵邸・大食堂
大食堂。 出窓の下にもスチーム暖房が。
旧前田侯爵邸・金唐革紙
左:大食堂の暖炉 
右:暖炉周りには当時の金唐革紙が残る。
旧前田侯爵邸・サロン
1階のサロン
旧前田侯爵邸・主寝室
主寝室
旧前田侯爵邸・夫人室
夫人室は、明るく見晴らしも良い。
旧前田侯爵邸・次女室
次女(瑤子)の部屋。 小さい部屋だが、夫人室の隣で見晴らしも良く、明るい部屋。
旧前田侯爵邸・書斎
書斎
旧前田侯爵邸・長女室
長女室は広く、建物正面に位置する。
長女・美意子は、昭和20年に従兄の酒井忠元(酒井宗家22代当主)と結婚。
ハクビ総合学院学長や京都きもの学院長に就任した。
旧前田侯爵邸・三女室
三女(弥々子)の部屋。 こちらも小さい部屋だが凝った造り。 浴室の隣にあり主寝室に近い。
旧前田侯爵邸・三男室
三男(利弘)の部屋は、女子達の部屋に比べるとシンプル。
長男・次男の部屋はないので、男子は早くから独立したのだろう。
前田利弘氏は、旧加賀大聖寺藩主の家督を相続した。
旧前田侯爵邸・天井飾り
各部屋の天井装飾も素晴らしい。(照明は復元品あり)
旧前田侯爵邸・使用人用
左:使用人が使う裏階段は幾つもある。           右:呼び鈴のスイッチ
旧前田侯爵邸・女中部屋
床の間?付きの立派な使用人室。
洋館の中に和室を造ったため、床の間が不思議な意匠。
旧前田侯爵邸・中庭
中庭には巨大な煙突が。 地下のボイラーで湯を沸かし、全館スチーム暖房とした。
旧前田侯爵邸・雨仕舞
左:車寄せ(長女の部屋の前)のバルコニー。現在はシート防水で保護されている。
右:外壁装飾の凝灰岩の裏に雨樋が。 窓の下にあれば簡単に掃除ができる。


 前田利為(としなり)は、明治18年(1885)旧七日市藩主・前田利昭の5男『茂』として生まれ、明治33年(1900)前田本家・利嗣が亡くなったため、その家督を継ぎ16代当主となります。
 陸軍大学校卒業後はドイツやイギリスへ留学し、漾子(利嗣の1人娘)との間に、長男・次男が生まれますが、妻・漾子が滞在先で亡くなります。
 帰国後、前田利為は陸軍に所属し、大正14年(1925)酒井忠興(旧姫路藩主の長男)の次女・菊子と再婚し、震災で被害を受けた本郷の屋敷を東京帝国大学へ譲渡し、代替地として駒場校地(農学部)の一部を取得。 現在の洋館が建設されました。 
 その後の前田利為は、昭和17年(1942)司令官として配属されたボルネオで墜落により死去。 この本邸は中島飛行機株式会社(現・富士重工業)の所有となりました。
〔※この中島飛行機㈱は、ある建物でも名前が出てきますので、覚えておいて下さい。 ヒント:右上のブログ検索で中島飛行機と検索〕
 この様に、前田家が暮らしていたのは僅かな期間であり、戦争によって華やかな時代も終わってしまいました。

 棟札には、上棟は昭和2年4月28日、設計・監督:塚本靖、技師:高橋貞太郎となっています。
●基本(意匠)設計者の塚本靖は、明治2年(1869)京都で生まれ、東京帝国大学工科大学造家学科で辰野金吾に学び、明治26年(1893)卒業。 明治32年から同大学の助教授となり、西欧へ留学。 大正9年(1920)教授となり、その後は8代・10代建築学会会長にも就任しました。
東京帝国大学工学部(1919)、京城駅舎(ソウル駅1925)などを設計。
工芸品の調査で清国へ訪問したことがあり、「天目茶碗考」を著しています。
昭和12年(1937)に死去。
●設計担当の高橋貞太郎(ていたろう)は明治25年(1892)彦根生まれ。 東京帝国大学工科大学で佐野利器に学び、大正5年(1916)卒業。 翌年から内務省明治神宮造営局技師となり、聖徳記念絵画館などの建設に従事した後、大正10年(1921)宮内省内匠寮技師となり、赤坂離宮の改修などに関わりました。 大正15年(1926)から復興建築助成株式会社の技師長を務め、学士会館の設計コンペにも優勝。 昭和5年(1930)高橋建築事務所を開設して、日本橋高島屋(1933)・川奈ホテル(1936)・小学館ビル(1967)・帝国ホテル新本館(1970)などの設計を行いました。 昭和45年(1970)死去。

 ちなみに本郷の屋敷(江戸上屋敷は明治元年に全焼)は、洋館(1907 渡辺譲が設計)と和館(1905 北沢虎造が設計)があり、洋館は重厚で広大な建物でしたが、関東大震災により建物の一部が損壊。 その後、東京帝国大学の所有となったものの何年も放置されていました。
 そして、前田家が補修費用を寄付し、昭和10年に再生されて『懐徳館』となりましたが、昭和20年の大空襲で焼失しています。

 
【2013年11月 訪問】

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