2014.
03.02
Sun
所在地: 青森県 弘前市 大字 下白銀町2-1
建築年:明治33年(1900)、昭和63年に修復、平成2年復原
構 造 :木造2階建て
設計等:不 明
見 学 :9:00~18:00、 無料
休 館 :年末年始
交 通 :JR弘前駅前バス乗り場~市役所前バス停~徒歩1分
T EL :0172-37-5501(弘前市立観光館)

旧東奥義塾外人教師館
 旧 第五十九銀行本店(※詳しくはコチラ⇒ 旧第五十九銀行本店)近くにあるこの建物は、明治33年に建てられた宣教師館です。
実施設計・施工は本間俊平とも、堀江佐吉とも云われています。 明治48年まで外人教師の住居として、以降は聖書教室などに使用されました。
旧東奥義塾外人教師館・2F寝室
2階 寝室は現在、展示室となっている
旧東奥義塾外人教師館・2F主寝室と子供部屋
左:2階 主寝室の出窓とベンチ
右:2階 子供部屋 (家具・照明・カーテン・壁紙は再現品)
旧東奥義塾外人教師館・2F書斎
左:2階 書斎 (家具・照明・カーテン・壁紙は再現品)
右:書斎の納戸
旧東奥義塾外人教師館・2Fサンルーム
左:2階の物干し場は、晴天時に引き戸を開けて外にも干せるスペースがあった。 外壁にはベランダの床梁と手摺のホゾ穴と竿受け材の痕跡が残っている。
右:書斎の隣にあるサンルーム
旧東奥義塾外人教師館・浴室1
1階の浴室:置き型のバスタブを設置していたようだ
旧東奥義塾外人教師館・便所
1階のトイレ:当時の便器などは現存していない
旧東奥義塾外人教師館・玄関
玄関:1階には喫茶室がある
 『 salon de café Ange 』 OPEN 10:00~17:00 (TEL : 0172-35-7430)
旧東奥義塾外人教師館・南
 明治5年8月、学制(文部省布達第13号)公布により、旧弘前藩校・稽古館(寛政8年創立)の流れを汲む弘前漢英学校(明治5年5月創立)を廃止し、12代弘前藩主・津軽承昭の援助によって、福沢諭吉の門下生・菊池九郎らが明治6年(1873)に私立学校・東奥義塾として下白銀町(弘前城大手門前)に開校。
稽古館出身の本多庸一(のちの青山学院長)も弘前に戻って塾長となり、外国人宣教師を招聘。 初代・英語教師はウォルフ夫妻が担当します。
 ジョン・イングは明治7年(1874)3代目英語教師として赴任。 軍人の経歴もある牧師で、弘前に西洋野菜やリンゴの苗を持込み、弘前公会(現・日本基督教団弘前教会)も設立しています。 ※弘前公会と本多庸一についてはコチラ⇒ 【日本基督教団弘前教会
 しかし、明治18年・22年と立て続けに校舎などが焼失し、メソジスト派本部からの資金により、堀江佐吉の設計施工で2度再建しています。(その建物は昭和6年に建替え)
外人教師館(1890築)も明治32年に出火し、アレキサンダー夫人が焼死するという事態になりましたが、翌年に現在の建物が再建されました。
 そして東奥義塾は保守派との対立で教会の援助が途切れ、公立学校として明治34年(1901)に弘前市立弘前中学校東奥義塾、明治43年(1910)青森県立弘前中学校東奥義塾になりましたが、同年に県立工業学校が校舎内に設置され、大正2年(1913)廃校。
その後、大正11年に米国メソジスト教会の支援により校舎を取り戻し、東奥義塾高等学校(学校法人 東奥義塾)となりました。
 昭和62年(1987)東奥義塾は石川長者森へ移転し、この建物は弘前市に寄贈され、大手門前の校舎跡地に市制100周年を記念して平成2年(1990)旧弘前市立図書館と共に現在地に復原されました。

※その他に弘前に残る外国人教師館は ⇒  【旧制弘前高校】 【弘前学院
 また秋田には、【日新館】という興味深い建物も現存しています。


【2013年7月 訪問】

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